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【感情紀行記】ユーモアのベン図

 人の知識には量的制限と偏りがある。時々、そんな知識を一気に押し広げてくれるような人物に会うことができる。当たり前だと思っていたことや、知らなかったことを気づかせてくれる。

 つまり、人が二人いれば、そこには知識のベン図があるというわけだ。そんなベン図は時々問題を起こす。ユーモアというのは、受け手の知識量が必要となる。いじったり、例えたりしているものがわかり、それを冗談として受け取る能力が必要だからだ。自分の知識というのは、極端に偏って情報を蓄積している。ユーモアで使いやすい政治的な話題は時々ジョークとして使う。しかし、それを受け取ってくれる人はなかなかいない。

 そんなことで、友人の知識を強化した。その成果がやっとで始めた。友人が、「車、右寄りに駐車しちゃった。」というものだから、「運転手が左寄りだから大丈夫。」と言ったら、ワンテンポ遅れてかなり面白がってくれた。一昔前なら、「どういう意味それ。」と言われていたであろう。ジョークの意味を説明するだけでも嫌なのにもかかわらず、この手のジョークは前提知識から話す必要がある。その時間でうんざりされるのを何回見てきたことか。

 とある時、かなりの長時間着席していた後に、腰が痛くなったので、腰に手を当てて立ち上がった時、「マッカーサー?」と言われたことがある。昭和天皇とマッカーサー元帥の有名な写真のことを指していることをわかる自分はよかったものの、周りは引いていた。しかし、よく考えてみれば、「それ、〇〇って韓国のアイドルみたい。」というようなことを言われてもさっぱり意味がわからない。知識がないからだ。

 自分の知識のベン図をもう少し世の中に近づける必要がありそうだが、これもまた個性と言い聞かせながら、日夜、政治の話題を振り続けている。


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