毒親再来の夏

毒親から連絡きた
祖母が余命わずかなので会いにきて
と。

日程決めと祖母の容体の話の後、
いきなり毒親(母)が
「反省してる。私が全て悪かった」という話をしてきた
今更いわれてもねーーー
うぜぇぇぇ
笑ってしまった
(防衛本能で酷いことされても笑ってしまうあの癖が蘇った気分だ)

「やはり、夫に洗脳されてた、◯◯家はおかしかった。」
それ!高校の時からいうてた!!何度も!何度も!
聞かんかったのはそっち!!
「人格否定してごめん話聞けばよかった。
離婚考えたけど
「そしたら娘達は俺のもの!お前はでてけ!」
と言われ、踏み止まった。」
初耳! それはもう児童相談所や弁護士に駆け込めばよかったのでは?
 やっぱり、実家はくそだった。母もある意味被害者なのかもしれないがそれでも許さぬ。
 その判断が長年、私を苦しめ続け、トラウマにさせ、結果として「◯◯家」には誰も残らなかった。私も妹も広島から出て行った。
もう戻りたくもない。
無駄にバカ広い4階建ての建物も
皆洗脳クソ野郎が死んで、
死の家なのでさっさと売り払えばいいものを
うだうだと行動力もなく謝罪マシーンに成り下がった母だけが住んでいる

と、色々思うことはあったが我慢し、
「もう、縛る奴いないんだから、
やりたいことすればいいやん、洗脳解けたんだし」
と言うても
「今まで父についていく形でうごいてたから何もわからんしできないんよ。切符の買い方もわからん。娘みたいな行動力ほしいわ」
うだうだ うだうだ 堂々巡り

「娘達のいる都会にはでてみたい」とはボソッと言った

ぎゃーーーーー!!嫌!吐いたろか
「ごめん無理じゃわ」しか言わんようになった
毒親に優しく接しただけ私はすごい!!

ここで情に流され、
私が案内したり世話するのは無理!しない!

祖母に会う夏が不安。今年は嫌な夏なりそうだ

(祖母も毒親の味方してたし、
『親子ならわかりあえるはず』という大嫌いな言葉を吐いた張本人なので、会いたくはない正直)

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