見出し画像

HSS型HSPに気付いた話

子どもの頃からわたしは少し周りと違って、”ぴえろくんだから”、と容認されることが多かった。

もちろん認められない時もあって、衝突することや影でコソコソ言われること、大々的にイジメも経験した。(当時はわたしも子供だったのでやり返してましたが)

なんで理解してもらえないんだろう、そんなこと分かるのに。人が何を求めているか分かる、何をして欲しいかも読める。なんでみんなそんなことが分からないんだろう、と中二病みたいな時期もあった。

ごくたまに、わたしの思っていることが伝わる人がいて、それをわたしたちは”こっち側の人間”と呼ぶ。こっち側の人間はとても少なくて、30年近く生きても数えられる人数、ごく少数だ。大体みんな、あっち側。仲が良い友達も大体あっち側。

でも大丈夫なんだよね。

わたしはカメレオンだから。道化師だから。ぴえろくんだから。

相手がほしい”わたし”に、演じるつもりもなく、無意識で変身できる。だから友達は多いんだ。しかもこちらがとてつもなく興味があるわけではない友達も、わたしのことを大切な友人だと思っていてくれるケースが多い。

わたしはよく相談を受ける。自分のことをペラペラ話す専門の友達もいるけど、聞き役係として扱われている場合が多い。

歩くエンターテインメントと友人から言われるくらいには社交的で友達も多くてネタも多い。頭沸いてるやつ変わってるやつ、というイメージも多分強い。(見た目からは想像できないと思いますが)  ただ深く付き合うと、本を読むのが好きだったり、人間の思考に興味があって実験したりひたすらに調べるのが好きだったり、自分で考えて深く深く潜っていくのが好きだったりetc 真面目というか、他人から言わせると賢い(勉強はできない)ところもある。

合わせすぎて、それが普通すぎて、たまに自分がどれか分からなくなる。心から楽しんでいるのに何故か疲れる。なんで人の欲しい言葉が分かってしまうのか。求められることをしてしまうと依存されてしまう。分からないふりをする。バカなふりをする。大学の教授からは何か持ってそう(ADHDとか)と言われ、変わっている認定をされる。でもそれが嬉しかったりする。

無性にその理由が知りたくなって性格診断に纏わることを調べまくったり、霊的な何かかと思いオカルト系(心霊や占い、それに纏わる学問(算命学とか))を調べまくったり、人で実験したり(最低ですね、ごめんなさい)、でもずっと行きつかなくて。

ようやく昨日、それっぽい”名前”を見つけた。

それが

HSS型HSP。

HSPという個性を知り、深く調べたら行き着いた。名前を付けることは好きではないけど、人口の6%くらいがコレと知り、少し安心した自分もいた。

変わっている自分が好きでも、なんでわたしは...と思うことも多々あったので、やはり人、特に日本の精神が染み付いているとグループ分けされることに安心感を覚えるのだなと。それと同時にそれに安心した自分に呆れたが(笑)

そして、この個性のように、思い立ったらすぐ行動。なぜか文字に記そうと思い、noteをはじめた。

衝動のままに。

小学生の頃から文字に起こして色々整理してきたわたし。noteはぴえろくんの感情整理用と、苦しんでいる同じ個性の方に届けばと思い綴っていく。


おしまい     #1  


ぴえろくん。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?