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言葉の拡張解釈 分解能

 分解能という言葉を知っているだろうか。色々な分野で使われているが、例えば顕微鏡では、2つの点が2つの点であると認識できる能力のことをいう。2つの点は近づくとまるで一つの点であるように見えてしまう。顕微鏡の倍率をあげると分解能が高くなり、それをしっかり2つである(別々の点である)とわかるわけだ。
 私は分解能を「学び」、特に知識習得の文脈で使っている。学ぶとは分解能をあげること。
 私が森を見るとき、森だとしか思わない。確かに、そこには色々な木があり、花があり、虫たちがいる。だが私には、森という漢字一字程度の情報しか見えないのだ。
 私には動植物にとても詳しい知り合いがいるが、彼には、おそらく、それぞれの木々が、それぞれの草花が、一つ一つの特徴を持ったものとして見えているのだろう。そして彼が自然について話すとき、とても楽しそうだ。彼は自然に対する分解能が高い。
 もう1つ例を挙げておこう。
 ファッションについて。服に興味がない人は、結局のところ、どんな服を着ていても気にしない(清潔感はまた別の話)。確かに各人がそれぞれ違う服を着ている。もちろん、見比べれば違うのだろうが、興味がないので、服を着ている以上の情報が見えない。
 だが、服を好きな人には、やっぱりこだわりがあって、どういう服が似合うのかなど色々考える。2つの服があったときに、悩むことができる。だから、楽しいのだろうと思う。(周りの人間を観察した結果、そう考えられた。)
 ある物事に関心がないと、分解能は低くなる。分解能が低いと、関心がなくなる。
 まるでピカチュウしか出てこないポケモンみたいに、つまらなく感じるのではないだろうか。
 学びとは、分解能をあげること。
 私はそこに、学び(知識習得)の楽しさがあると考えている。

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