noteに付ける写真
noteを書き終え、カメラロールを漁る。
ノートの内容とは、関係ない場面で撮られた写真を選択する。
大真面目に書いたnoteに付けられた写真が、ケラケラ笑いながら撮ったものだったりする。
例えば。
「死にたい」「生きたい」と書いたnoteに付けた写真は、ケーキ屋さんのeat-inで、まったりお茶をしている時に、目に止まった電球。
小学生の時の日記を思い出しながら書いたnoteは、大学の講義で観察したミジンコ。
「人生を変える出来事」なんて大きなこと言いそうな題名のnoteには、眠気覚ましに寄ったサービスエリアから撮った、ただの高速道路。
まあ、関係ない。
でも、適当に選んでいるわけではなくて、伝えたいイメージを秘めている写真を選ぶ。
撮影した場面からなるべく切り離して、それを視覚で捉えた時に、書いたnoteとつながるように選んでいるつもりだ。
先に述べた「死にたい」「生きたい」と書いたnoteに、電球の写真を選んだのは、電球は切れる(=死ぬ)まで光り輝くもので、且つ、それらが寄り集まり光る(=寄り添い生きる)ものだったから。
小学生の時の日記を思い出しながら書いたnoteに、ミジンコの写真を選んだのは、幼心に胸を踊らせて、初めてのぞき込んだ顕微鏡。そこから見える世界を楽しんだことを忘れていない人が多いと思ったから。
サービスエリアから撮った、ただの高速道路の写真は、違う遠い場所へ繋がることを連想させるから、「人生を変える出来事」という名前のnoteに付けることにした。
写真が第二の人生を歩み出す。
( カッコよく決めてみたけど、つまりは、こじ付けですね。)
撮られた場面から切り取られて、新たな場所に貼り付けられる。
新しい意味を持つ。
noteを面白いと思う瞬間の1つ。
たかが、noteに“付ける”写真。
されど、noteに 付ける“写真”。