noteに欲しい新機能
昔、先生が日記に引いてくれた、赤い波線。
あれ、やってほしい。
あれ、もらえると嬉しかったから。
花丸とか、スタンプとかもいいんだけど、あれがたまらなくいいんだ。
小学生の時、宿題に日記があった。
連絡帳の、明日の予定の隣に、日記の欄があって。
短い枠の中で、1日の出来事をピックアップして書いていた。
小学生の1日なんて、たかが知れていて、イベントと呼べるようなことがない日の方が多い。
それでも、あの短い数行の制限の中で、赤い波線を引いて欲しかった。
先生からしたら、慌ただしい授業の合間に、シャシャシャッと引いた線だったんだろうけど。
あの波線が先生からの、共感を表すのか、文章表現への評価を表すのか、内容への称賛を表すのかは知らなかったけど。
知りようがなかったけど。
なのに、あの波線、くせになる。
欲しかった。
しょうもないことを、仰々しく書く悪あがきはその時からなんだなあ。
そんなことを思い出していたら、noteに、あの赤い波線を引いて欲しくなったんだ。
文章全体へ向けられた、花丸よりも、かわいいキャラクターのスタンプよりも、「そこいいね〜、そこそこ」って引かれた波線が好きだった。
花丸やスタンプはもちろん嬉しいんだけどね。
この2つは、noteでいう「スキ」に似た機能を果たしていたんだろう。
もちろん、どの表現も、文章全体の文脈の中でこそ、意味が成り立つから、どの言葉も無くてはならないんだけれど。
だけれど、やっぱり、その中でも山場があって、書いていた自分の高まりと、読んでいる誰かの高まりが同じタイミングで現れたと分かったら、嬉しいだろうなあ。
それを表すのがあの赤い波線だったのかなあと思ったり。
noteで実現するのは、難しいと思う。
小学生の日記みたいに、1人の先生に読んでもらっているわけじゃないし。
読者がいっぱいだと、線だらけで訳が分からなくなってしまいそうだし。
そんな線、引いてくれるな、って思う人もいるだろうし。
でも、それはそれで楽しそうだと思ってみたり。
私は小学生ときから、あまり変わっていないんだと自覚する。
全くさびれた考えを、「noteに欲しい新機能」なんて銘打って書き上げてしまった。
いつまでも小学生の頭は楽しいものだ。