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呼吸するかのように、まなざしを持つこと

こんにちは。4月からPIECESにジョインしました、笹本愛子です。いろいろなご縁が重なり、今こうやってnoteを書いていることが、なんだかとても嬉しく感じています。

これまで、「持続可能な農」をテーマとして生きてきたわたしが、今PIECESにいることを、少しだけお話させていただければと思います。


アフリカでの「農」との出会い

浪人生時代に「カラシニコフ(松本仁一著)」をたまたま読んだことをきっかけに、シエラレオネの少年兵たちに対し、強烈な興味を抱きました。

「なぜ地球の裏側ではこんなことが起きているのか。とにかく現場を見に行きたい」
と思いながら浪人生時代を過ごし、その後なんとか大学生になった直後の夏、たまたま大学のプログラムで、東アフリカの内陸国・ルワンダを訪問することになりました。

社会問題をきっかけにアフリカ大陸へ興味を持ち始めましたが、実際にルワンダの大地を踏み、そこに暮らす人々と時間を過ごすうちに、その想いは一蹴されました。

複雑かつ多くの問題が社会に満ち溢れているものの、毎日をとても豊かに過ごしとても幸せそうに暮らす人々が、わたしの心に鮮明に残りました。
以降、バックパーカーやインターンを通して東アフリカ諸国と触れ合ううちに、その地で暮らす人々の暮らしの中にある「農」「農業」の存在感に気付かされました。

これがわたしと農との出会いであり、結果として今日までも、農家さんと関わり続けることをライフワークとしていく原点となっています。

去年、福島にてコンバインデビューしました。

多様性に触れた

そんな農との関わりを深める一方、社会の多様性ということにも触れる機会もこれまで多かったと今改めて感じます。

留学生としてアメリカで生活していた際、アジア人が多い西海岸にいたからか、ネガティブな意味で人種の違いを目の当たりにすることはほとんどありませんでした(ナイーブ過ぎて、気づいてなかっただけかもしれませんが。。)。
それ以上に、人種も国籍も言語もバックグラウンドも、何もかも全く異なっていても、同じ関心や想いで人との繋がりは生まれるんだ、ということに気づかされました。

たぶん厄年だったんでしょう、
2年間のうちに毎年1回交通事故にあうという強運時代でしたが、
そんな中も様々な友人や見ず知らずの人に助けられました。

新卒時代にフィリピンに駐在していた際も、
わたしの周りにいたフィリピン人が最強にハッピーでポジティブな人種だったからか、初めて行った国にもかかわらず、自分がここにいてもいいんだ感を自然と感じさせられました。

PIECESとわたし

転機となったのは、妊娠を通してでした。
とりたてて困難があるような妊娠期ではなかったものの、自身の身体が刻一刻と変化していく中で、社会の異物となっていく感を強く抱き始めました。

妊娠・出産をとりまくニュースで頭でっかちになっていたせいでしょう、
街中で自分が妊娠していることを知られることが怖く、
なぜか引け目を感じるような妊婦生活を送ることとなりました。

そんな経験が引き金となり、
産後のマタニティブレインに鞭打ちながらGoogle検索をしまくっていたところ、PIECESの斎さんが携わる、NPO法人ピッコラーレによる妊産婦のための居場所づくり事業「project HOME」と出会いました。

自分自身、社会福祉との関わりは、行政サービスの一環として享受される程度でしたが、そんなことは一切関係なし、とにかく自分ができることをなんでもいいからしたい、そんな想いで、妊娠が困りごとではない社会をつくろうと邁進するピッコラーレへ関わるようになりました。

これまで自分の肩書きや役割で社会と関わってきたアプローチから、まっさらな一市民として関わり合う一歩目だったと、今になって感じています。


長くなってしまいましたが、そんなきっかけでPIECESと出会い、今があります。わたしが尊敬する農家さんたちは、当然のこととして、自然や循環を尊重しながら農的活動を日々営んでいます。わたしが諸外国で出会った人々も、困っていようといまいとも、目があったら声をかける、脊椎反射的に人とコミュニケーションするカルチャーが根付いていました。

これからのPIECESでの活動を通し、そんな呼吸するかの如く他者を尊重しまなざしを持ち続ける未来を、PIECESと一緒に見ていきたいと思っています。

笹本愛子

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