資本主義と、心のズレ💩
ヒトは純粋に「苦しんでいるヒトを助けたい」
と思う心をもっている。
ただそれだけで。
見返りがなくても、救われることに喜びを感じる。
助けてもらったわたしも、心からありがとうが溢れる。
0円で、東京から福岡までチャリ旅をして感じたことだ。
でも、お金が発生すると
5000円払ったんだから、ここまでするのは当たり前だよね?
そんな気持ちになる。
ヒトの話を聴くシゴトをしてみて想った。
きいているうちに、時間がかかりすぎると
「もっと金額もらえないと、聴くエネルギーが湧いてこない」
逆に、もっとお金をもらえるのなら「聴いてもいい」
つまり、お金をもらえるのなら、退屈でも話を聞けるということ。
自分が、逆の立場だったことを想像したら、切なくなった。
だって、ずっとお金を払って、話を聴いてもらったら
しだいに、すごく親近感や理解者のような
相手への信頼を感じるだろう。
でも、お金を払えなくなった瞬間、全く話を聴いてもらえなくなったら?
「所詮、お金だけで繋がってた脆い関係だったんだ」
気づいた瞬間。
孤独感や寂しさが広がると思うんだ。
心の矛盾を感じてしまった。
でも、ちょっとまて。
もし、不労所得月30万円入ってくる生活をしているとしたら・・・?
「 時間あるし、聴くよ~ 」
くらいの感覚になっていたはず!
ひとを助けられる時って、余裕があるときなんだ。
お金を持っている(余裕がある)ヒトが
お金に困っているヒトを助ける。
ただ、それだけなんじゃないか?
本当は、ものすごくシンプルなのではないか。
そうか、わたしは余裕がないんだ!
(たぶん、無意識によゆうのある自分を演じていた。)
まずは、余裕がない自分を受け入れることから始めよう。
\ わたしは、今、余裕がない!助けて~! /
それで、いいじゃないか。
助けてもらうために、想いを聴いて、言葉を紡ぐ必要があるんだ。
居候中とはいえ、さすがに
日給100円のお仕事では、生活に余裕はなくなるって~😂
10年後のわたしが、今の状況みたら爆笑でしょww
落ち込んでいるひまはないゾ、ぽんこつさん!(笑)
5000円でできる範囲は、ここからココまで!
って明記する必要があることに気づけた💡
(「最初に料金表作りなよ」って50回くらい、言われていたのに…
経験してやっと理解するおろか者でした。)
商売って、あいまいさを、ハッキリさせることなのかなぁ🤔
腑に落としたくて、今日もぐるぐる考えちゃうのであった。
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