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境は権利だけでなくいろいろなものを分断する

朝、美化清掃がてら、町内の境を成している川の堤防を歩いた。

堤防には草木が生い茂ったところもあり、踏まれて歩きやすくなっているところもあった。

川沿いの家々は家の裏から堤防にかけて植木を並べたり、家庭菜園をつくったりしていた。

敷地と堤防の法面との境界はどこにあるのかわからず、パブリックとプライベートの境がない印象だった。

上越市で町家の前に連なる雁木は、プライベートをパブリックに開放するという意味で境がない空間ではある。

しばらく歩みを進めると、斜面のほとりに数本の木が生えていた。

すぐにそれとわかったのだが、この木は小学生のころに友人とクワガタ虫を採取にきた雑木林の名残だった。

当時は誰の土地かもわからず、しかし新興住宅地になろうとしているまちの片隅で、子どもたちに自然を提供していた貴重な場だった。

いまやその区画一帯すべて開発造成され、宅地に生まれ変わり、この木のほかかつての面影は一切ない。

さらに歩みを進めるとこの住宅地へアプローチする道路のどん詰まりにたどり着いた。

丁寧に舗装され、先ほどの草を踏みながら歩く必要のないきれいなまち。

しかしそのアスファルトの黒々とした色に、自然と人工物、プライベートとパブリックを明確に分ける力強さを感じた。

いま、私が必要としているのは中庸な場所、もの、ひと、考えなのかもしれない。

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