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人の価値 - 最近何をしたか 6/6-6/16

人の価値
最近人に出会った。素晴らしい人。男性だとか女性だとか関係ない。その人は自分のことを過小評価して過大評価してうそぶいて揺れる。でも本当のことは分からない。人の心なんて見えないし容易に知ることはできない。全てを吐露したと自己申告されても真偽をうかがい知ることはできない。だけど分かる気がする。それは理解した気になってるだけなのかもしれない。でも何かは汲み取っていると思いたい。そして感じる。
彼女は何かを失ったまま茨の道を歩き続けた。彼は率先して殻を破ろうと努力し、道を外れても平気な顔をして過ごした。涙が見えたんだ。彼はこの世の煩わしさから開放されようとし、彼女は他の誰にも見えないものに押しつぶされ夢の世界に入り込んだ。震えていたよね。彼女はしっかりとした船を見つけ大海に漕ぎ出したが嵐ばかり。彼は澄んだ目で淀んだ社会を見つめていたが、目が淀んでいるとそしられる。だけど知っているよ。
本当のことは分からない。でも話したり見ていたりすると大きななにかを感じる。人って何だろうね。人の価値って。別に世の中に虐げられ後ろ指さされていても私にとっては安心の懐。人の道を外れたと罵られてたとしても私は全然かまわない。法治国家だもん。多少外れていたって省みてるよ大丈夫。法を犯しているわけではないし、古い慣習や自己の社会的規範と照らし合わせて批判だけするのは勘弁だ。
その人はちょっと違う。強いようで強くないようで。でもとても暖かい。敏感で感情的で冷静さを装いたい。血塗れに、泥塗れに、体液塗れになり生きている。恥を知り手を差し伸べ感情を露にする。だから、だからその真実が分からなくても、愛するしかないな。だってそれは私の物差しだから。人は誰かを愛するもの。人は何かを愛するもの。男性とか女性とか関係ない。それは人間と人間の出会った証。もうそんなに知ってしまったのなら認めるよ。もっと知りたいって。もっと話そうよ。

もっと先への旅

TWSイヤフォン、持っているのに買ってしまう。それをさせるのは何なのか。どこからパワーが出ているのだろう。物欲だろうか、刺激がほしいのか、それとも音楽、音への探求か。とか考える。そうすると、多分どれもかなって思ってしまう。新しいものを見ると欲しくなる。今と違う体験ができるかもと惹かれてしまう。今使っているもので満足してるんだけど、もっといい音はないか、安くていいのを探してみたい、聞いてみたい。そんな感じ。そして聞いてみれば音が広がり個々の音が明確に存在感を示す。そんな体験をしたら今までは何だったのって思う。見た目には耳から変なものが見えててもいいさ。こんな小さな幸せ。こんな大きな喜び。だからそれは一時の終着点であり、本当の終着点ではなくまた旅が始まるのだと思う。

時と場所を超えたそこ

映像作品のサウンドトラックはサウンドトラックの為のサウンドトラックじゃない場合、サウンドトラックとして聞かなくても、それぞれの曲単体でも意味をなすものだし、世界がある。しかしその世界も作品というベクトルに組み込まれればその世界の一角をなす一員だ。ハマっている場合、その時々の場面ではもうその曲のピースしか考えられなくなってしまう。それが音楽の多様性だとかいうつもりはないが、映像作品の制作者側も吟味して選んでいるだろうし、製作者も映像作品側からの発注があって作っているのかもしれない。それは以前のサウンドトラックの為のサウンドトラックとは違い、だんだんと普遍的になってゆくのかな。例えばこのドラマを見るまで知らなかったたくさんの曲。世界も時間も超越してドラマの下に集まった。それを聞き、感じ、楽しめる。あーこれは最後にダッドの台詞を引用しなくてはならないな。

"そしてオレもキミが見えた。バカだから時間かかったけど。キミはいろんな物の陰に隠れてたし。でも、キミを見つけたんだ。"


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