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テープの中の音楽からの散乱 - 最近何をしたか 8/15-9/8

テープの中の音楽からの散乱
時々書いている"街の選曲家"とかの元々の形態でもあるけど、昔カセットテープに好きな曲を入れて友達とかに紹介してた。それから今までカセットテープだけじゃなくMDという選択肢の時代もあったけど、自分にはそれは存在せず編集といえばカセットだった。面白いのはカセットテープは再生して曲が終われば終わりじゃないというところ。例えば九十分テープだと片面の四十五分は決まっていて、その時間内に色々な曲を入れ、できるだけ四十五分に近づける。そんなことをしていた。曲が四十分で終われば五分余るので、無音時間が五分あり、裏面の最初から再生するにしても五分もの無音を待たないといけない。もちろん早送りもできるが、テープという有限の素材をできるだけ有効活用したいのでギリギリまで録音したい。だからカセットテープの長さに合わせてうまく編集したくて、そこを試行錯誤というか考えながらやっていた。とはえいえ基本的に行き当たりばったりでもどうにかなったのだけどね。そうやって編集したテープを友達とかに聞いてもらって、あの曲いいね、とか、あれ誰が歌ってるの、とか言われると、それが嬉しくて楽しかった。そんなに友達は多い方でもないし、ある程度以上仲良くならないとテープのやり取りとか、そこまで踏み込めない。そして相手と自分の音楽の趣味というか嗜好の方向性もある程度は知っていないと見当違いなことにもなってしまう。でもそれらを越えて編集して聞いてもらい分かち合いたかった。現在では車の音楽再生方法はCDやBluetoothだけど、そういう時代になっても友人が、あのテープ、今でも営業車に載ってるよ、とか言ってくれて嬉しかったりね。その流れで"街の選曲家"とか書いているんだけど。それは音楽の細かいことは分からないので、大まかなこと以外は感情のままに書いてるだけ。その瞬間の感情の起伏やその時の何かを誰かに伝えたい。それは通りすがりの人でも、その曲を知っている人が他の曲に興味を持ってくれることでも、そのアーティストを気に入ってる人の目に留まったとしても、どんなのでもいい。それで何かを共有できればとてもいい。自分の好きな人、自分を知ってもらいたい人にはなおさらだ。別に個々の好みの違いもあるし、それらの曲すべてを好きになってほしいとは思わない。でも一度くらいは聞いてみて、って気持ちはあるし、それら中の曲が一曲でもそれぞれの人のなにかになればいい。そう思う。もちろん聞いてくれない人もいるだろうし、それはそれで仕方ないこと。それは自由だから。他人に自分の世界を広げられるのをよしと思わない人もいるだろうしね。また、いつも思うからあちこちで書いているかもしれないけど、音楽は最高だから。いつも音楽と暮らしてる。いつも聞いていつでも歌ってる。勝手に体も動くし、気分が落ち込んでいて何も動かないときも、頭をペンチでつまんで引き起こしてくれるような。最高なんだ。好きな音楽。ジャンルは関係ない。それを通して気のおけない人たちと通じ合いたい。この最高の曲を知ってもらいたい気持ち、見えてますか。って感じ。それは強制じゃないよ。でも単なる自己承認欲求の切れ端かもしれないね。それでも音楽はいいものだ。それを好きな人と共有できて一緒に聞いたりできれば。話したりできればね。

街の選曲家



感情のほとばしり

情景の一瞬を切り取って書いただけのもの。小説とかタグ付いてるけど形式不明の言葉の羅列。意味不明の感情のささやき。人が普遍的に持つ気持ちは、どういう状況下においても現れるもの。そういう情景をみていたつもりがこんなことになってしまった。起こるいらだちはどうすればいいのだろう。あふれる涙はどうすれば。人は人と関わらないと生きてゆけない。感情がほとばしり空間を切りつけた後にも安心はある。


目をそらしていてそらしていない

人は一人。そんなの分かっている。ずっとそれを感じていて崖の上を見上げていた。人と向き合うと目をそらしてしまう。そんな必要はないけどそんな必要はある。他の何かを感じてしまうとお互いの温度を確認して場合によってはとろけてしまう。目から血が出てしまう。そして目から出るビームで相手の目を通して頭を打ちぬいてしまう。あれ、目をそらしてないね。

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