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横浜インターナショナルユースフォトプロジェクト卒業生たちのコラム。日本各地、海外で活動する多様な若者たちの思いち言葉に触れてください。Picture This Japan編集部
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記事一覧

ライフストーリー③中学時代:クラスでの壁・似た背景の同級生

私の通っていた中学校は、中華街の近くにある公立中学校だった。 よく中国から転校生が来ていて、学年に15人〜20人ぐらいいた。部活や勉強で忙しくしていたが、その時に仲良くなった友人とは今もつながっている。振り返ると楽しかった思い出はたくさんあったと同時に、特殊な環境で苦労することもあった。 クラスで感じた壁 私は中国人生徒のうちで仲良い人はいたが、クラスで日本人生徒と同じように仲を深めるのが難しく感じた。中学校に上がった時は日本語に困ることもあまりなく、部活では日本人生徒

私の留学ライフin Malaysia ⑥休日の過ごし方

私はアウトドア派なので、課題に追われていない週末や学校のない平日は、よく外に遊びに行く。事前に予定を決めてず思い立ったら行くことも多く、そんな時は寮の日本人の友達と弾丸で遊びに行く。 私は古着が好きなので古着屋さんに行ったり、都会のモールに映画を見に行ったり、カラオケに行ったりもする。夜は飲みに行ったり、たまにバーの様な場所に行って少し大人な気分を味わったり…。羽を伸ばして色んなところに遊びに行く。 移動手段はgrabというタクシーが安い交通手段でそれを使うことが多いが、

東南アジア旅行記(過去の思い出)

今年の夏、東南アジアに旅行する。 日程はタイ→カンボジア→ベトナム。 大学生としての最後の夏、何かやり残したことはないかと考えたとき、海外に長期間旅行をしたい!と思った。そして、どこがいいかと考えたとき、もう一度ベトナムにいきたいと。 実は、初海外旅行が中学生のとき、学校のプログラムで行ったベトナムだった。 初海外ということもあり、全てが新鮮で、世界には私が知らない世界がたくさんあると学んだ。そんなことから、もう一度ベトナムを訪れたいと思っている。 お金はないけど、時間

沖縄 ルーツ探しの旅①

6月27日 私のルーツを探るべく、琉球新報の松堂記者が西原町へ車を走らせてくれた。 手掛かりを元に情報収集へ 手掛かりは、曽祖父母の名前、西原の我謝に住んでいたこと、「イーミンター」という屋号があることのみ! ルーツを辿るべく西原町図書館を訪れた。 ☝️沖縄には、屋号というものがある。同じ名字を持つ人が地域に多くいるからだ。私の家系の屋号は「上前ン田(イーミンター)」ペルーに住む大叔母が教えてくれた。 記録から見えた語り継がれていないファミリーヒストリー 西原町戦没

富士登山(準備編)

日本で一番有名な山は?このように聞かれたら、まず一番初めに名前があがるであろう山、富士山。世界遺産に登録されたというニュースを耳にしたこともあるのではないでしょうか。 では、富士山は文化遺産・自然遺産どちらに登録されているのか知っていますか? 正解は… 文化遺産。 というのも、富士山は『富士山ー信仰の対象と芸術の源泉ー』という名称で2013年世界遺産に登録されました。そして、富士山だけではなくそれに関連する25の関連資産を全て含めて”世界文化遺産”として登録されています

作品「夢」からの始まり ⑤6月23日沖縄慰霊の日〜平和の礎での出会い

慰霊の日とは 戦争や平和に関する日、皆さんはいくつ知っていますか? 広島や長崎に原爆が落ちた日、東京に大空襲があった日、終戦の日…。 6月23日慰霊の日  沖縄では毎年この日に梅雨が明ける。休日として扱われ、学校や仕事が休みになり、多くの沖縄県民を巻き込んだ沖縄戦の記憶に思いを馳せ、平和について考える。 平和祈念公園へ 新聞社のインターンとして県民の声を取材するため、平和祈念公園平和の礎に向かった。朝の8時には到着したが、もうすでに刻板の前で手を合わせ、戦死した親族へ

作品「夢」からの始まり ④沖縄移住1ヶ月が過ぎて

沖縄での生活が始まって1ヶ月。やっと一人暮らしも開始した! ダンスをきっかけに繋がった人たち インターン先の人たち 色んな繋がりができて外に出る機会も増えた。 「思っていたよりも派手じゃないし、ぬるっと始まったなぁ」 沖縄での生活が始まってから1ヶ月後に地元横浜に戻る機会があり、飛行機の中で沖縄での出来事を思い出し、撮った写真を見直した。すると早いようでゆっくり感じた沖縄での生活は、思い返せば全てが初めての経験で、普通に怒涛の1ヶ月だった。 「歩く方がおかしい」って車

コラムニスト(まりの)

まりの( Marino) プロフィール 日本生まれ日本育ち。両親も日本人。富士山がよく見える県で生まれる。 写真を撮ることが好きと知っていた、母にすすめられ「横浜インターナルユースフォトプロジェクト」の初年度(2016年)に参加。日本の社会の中でマジョリティになる人たちに、多様な視点があることを知ってもらえるきっかけづくりに携わりたいという思いからこの活動に関わる。

私の留学ライフ in Malaysia⑤ダンス仲間

私はダンスが趣味なので、放課後はダンスのレッスンに通っている。 通っているダンススクールでチームを組んでいて、深夜はその練習も行う。このチームの中で私は最年少で、他のチームメイトはダンサーとして仕事をしている人がほとんど。全員チャイニーズマレーシアン(中華系マレーシア人)で中国語が第1言語の人たちなので、よく中国語で会話をされ私だけ分からないということが日常茶飯事。困る時もあるけれど、だいぶ慣れて気にしなった。 ちなみにマレーシア人の英語は訛ってて、私には聞き取りにくい。

作品「夢」からの始まり ③沖縄移住最初の2週間

普通の旅行だったら十分すぎる2週間。 ディープ沖縄なコザ(沖縄市の中心市街地にある文化圏の愛称) にあるスタートアップで働き始めて1週間がたった。 新しい場所での生活や仕事にすぐに慣れることができず、関東の友達と夜な夜な電話で話す日々が続いた。 沖縄での知り合いが5人くらいしかいない中で始まった移住は、正直「夢の沖縄移住」とは遠いもの。とにかく早く慣れて、「楽しい!」って思いたかった。 とりあえず沖縄での生活に「慣れた振り」だけしながら、街での様子を思わず写真に残して

私の留学ライフ in Malaysia ④〜食事編

私はほぼ毎日「ロックカフェ」という学校の近くの野外フードコートのような場所で友達と夕飯する。屋台のような場所で安くご飯は絶品!私が1番大好きなのはチキンライス。味も付いたご飯と蒸し鶏が最高に美味しい。値段はなんと300円!安くて美味しいご飯が沢山あるのは本当に幸せだと毎日感じる。飲み物はTeh iceとういうミルクティーの様なものが凄く美味しくて1番好き。 マレーシアは様々な文化の人が住んでいるので、中華料理からインド料理まで何でもあり、マレーシア料理は何?と言われると答え

ライフストーリー②小学生で来日・感じた違いや苦労したこと

日本にきた経緯前回のコラムで書いたように、両親が日本に定住したため、私は祖母に育てられた。だが「いつかは日本に行って両親のもとで暮らす」と言われたことはなかった。自分もそのままの暮らしが変わらずに続くと思っていたが、小5の夏休みに日本を訪れることになった。両親を訪問して旅行する予定だったが、そのまま残って日本の学校に転入することになった。あとから母親から聞いたが、「日本に来るのが嫌なのではないかと心配して言わなかった」そうだ。そんな訳で、何も準備せずに日本での生活がスタートし

香港紀行

お久しぶりです。コラムニストのじゅんです。 ゴールデンウィークに香港に行ってきました。6年ぶりの中国で初香港ということで少し感じたことについて記録したいと思います。 香港人は日本大好き街中を歩き回ると、日本料理の看板がよく目に付く。焼肉から寿司、お好み焼きなど種類もたくさんあって、日本にあるチェーン店も見られた(日本料理ではないが、サイゼリアも結構あった)。セブンイレブンは至るところにあり、商品は日本輸入であることを全面的に打ち出していた。ドラッグストアやスーパーに日本製

私の留学ライフ in Malaysia③〜インテリアデザイン科

私は大学ではインテリアデザインを学んでいる。 Diploma (ディプロマ)という2年半のプログラムで、今は2年目2学期。今年いっぱいまで授業を受け、最後に3ヶ月インターンをして終わりとなる。日本でいう短大みたいなもので、同じ時期に入った子たちは10数人。私の場合、このディプロマ卒業後にさらに4年制大学に編入しさらに2年半行くプログラムなので、まだまだ先は長い。 インテリアデザイン科では実技的な授業が多く、色や素材や照明や、建物の構造など幅広く勉強している。家具をデザイン