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043_主義者とか論者って何なんだよ

私には肩書がありません。

アルバイトで学習教材の会社で働いている。PIXTAにイラストを投稿している。高齢者である。という事でよければ一応ありますけど、何かの会員登録をする際に職業欄には「アルバイト」と書いています。
コロナで失業し、アルバイトで働きだして1年。自分を説明する語句はこれだけです。

過去を語れば色々と出てきます。サラリーマンであったり、グラフィックデザイナーであったり。しかしそれは過去ですから現在の私ではありません。定年した老人の現役時代の話は自慢ばかりで失笑ものですが、さすがにそこは心得ています。

キャリアとしての肩書はなく、性格や趣味趣向、政治や宗教、ポリシーや信念、そういったパーソナリティに関わる部分での説明もありません。平々凡々、凡庸、没個性。noteでよく見かける発達障害でも高学歴でもありません。

特別なものを全く持ち合わせていないので、変なカテゴライズにはとても抵抗があります。何々派、何々主義者、何々論者、…そういう意識がどこから来るのか分かりません。

例えば政論については私は保守的なところがあるかも知れませんが、所謂保守主義者ではありません。票を投じた候補者が一般的に保守と呼ばれる人であったとしても、私は保守派ではありません。

防衛にしても、平和主義者ではありませんし好戦論者でもありません。国民が自分自身を守る事は権利ではなく義務だと認識しています。
日本の名誉を貶める活動や領海の漁業権を侵害するなど、国益を脅かす隣国については「軍事力を背景にした手段」を以って解決することは悪いと思いません。しかし友好こそ最善の防衛策であるとも考えています。

エネルギー問題については、マスコミの報道にイデオロギーやアレルギーなど異質な「ギー」がまとわりついている事が不安です。日本が今後産業として発展させるべきは最小動力による最大出力で、自然エネルギーの開発も重要ですが運動と出力のバランスが悪すぎます。開発の余地は大いにありますが、代替エネルギーという理屈そのものに疑問です。しかし誰かさんが言うところの原発推進派ではありません。余計な「ギー」がないだけです。

日本国を構成する多くの概念には概ね肯定的です。私は外国人でも元外国人でもありません。自論に酔っているインテリの主張には否定的です。勝手に階級を作ってそれに所属したり、批判政党や政府の監視などと頼まれもしないでポジションを作ってそれに収まったり、すぐに「許さない」などと特権意識を振りかざしたり、あるいは単なる自己主張を公的権利とすり替えて要求したりと、これらを愚行とみなしています。

こんな私を国家主義者だという人がいれば、言うのは勝手ですが違います。あくまで国民です。国税(消費税)を払っていますが、国家に払っているのであって国家主義に払っているのではありません。

日本国民という自我よりも優先すべきは時代や時勢であると考えています。何々派、主義者、論者、下手にこれらを気取っていると時代に取り残された見苦しさだけが際立ちます。時代についていくのは高齢になると至難の業ですが、努力しています。

最近、時間の経過が異常に速いのです。

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