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029_そんなに大事かコミュニケーション

またしても、ウケない記事のオーラがハンパないタイトルですが、続けます。

IT時代になってから、このコミュニケーションという奴の重要性が増してきた… ような錯覚がひどくなりましたね。

言うまでもなく意志の疎通は大事なのですが、それに基づく行動への動機はまた別物です。

私たちは、あまりインタラクティブに慣れていませんし、それをそんなに必要としていません。情報はどちらかというと「聞き流す」のが好きで、ラジオが登場し、テレビが登場しましたが、それは瞬く間につけっぱなしにして聴くものになりました。

友達とのコミュニケーションは大事と言っても、その中身は疑問符だらけです。私はある場所で二人のおばちゃんがお互いに自分の言いたい事をずーっとしゃべっているという不思議な光景を見たことがあります。実はおしゃべりというのはそういう事で、聞きたいというのはあまりなく、喋りたいという欲求に基づくものなんですね。

夫婦の会話で、カミさんというのは旦那がしゃべる事をはいはいと聞く事はあまりないと思います。あるとすれば生返事です。旦那がテレビのニュースを観てああだこうだと感想を述べるよりも、喋るのが上手いテレビのアナウンサーの言葉の方が数倍耳に入ると思います。旦那に限らず男の「オレ的」には価値はありません。
当然、カミさんがしゃべる「ご近所の話題」「芸能人のあれこれ」について、旦那はリテラシーがありません。それに旦那はすぐに総括したがりますが、カミさんは喋っていたいのであって総括を求めていません。

職場で、ミーティングでも何でも3分以上の話は、もう半分以上が忘れられます。上司が部下に対して指示をしても同じです。後でメールを見返せばいいのであって、もちろんメールは言葉足らずですが、ブルース・リーの名言「考えるな。感じろ」に基づいて仕事をしているし、下手な言葉の伝達よりも空気を読むことの方がスキルが上なのです。

そのメールですが、3行以上は読みません。おっさんは顕著です。「あれ、どうなった?」「メールで送りましたが…」というやり取りは今日もどこかの無数のオフィスでなされています。誰も読まないメールを、時間をかけて作成するのがオフィスワークというものです。これは在宅でも変わりません。
ちなみに、この長いメールをまともに読むと大変です。文章がひどく、誤変換がすごいので理解に苦しみます。チラ見ではいはい、というのが極意です。

なぜコミュニケーションが大事か、という概念が浸透したかというと、テレビから情報産業のCMが垂れ流しになったり、つまりは第四次産業のウェイトが上がったからですが「意志の疎通は金になる」という端的な言葉によるものなのでしょうね。
その企業にとっては金になるのかもしれませんが、庶民としては伝達能力は全く向上していません。

緊急役員会の後、社長より全社員に通達。と来れば何でしょうか? 絶対に嬉しい話ではないですよね。意志の伝達以前に「あなたにそれが見えているか、見えていないか」の問題が大きいです。

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