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086_古い人間が通用しない

ちょっと前、と言っても10年くらい前からだと思いますが「オレ、古い人間だから」というフレーズを聞かなくなりました。

気がつけば「アナログ人間」という単語も聞かないですね。テレビの地上波という不思議な単語から地上波デジタル、略して地デジという単語が行き交っていた頃でしょうか。無知な私は、要するにテレビの電波ってアナログだったのか? と初めて認識した次第です。
デジタルの対義語がアナログだとすれば、デジタルが主流になった今日ではわざわざそれを冠する必要がないわけですね。

デジタル環境について行けてない人がアナログ人間を自称していたのであれば、それ以前にあった「古い人間」「古風な人間」というのも聞かなくなったのは当然です。

しかし巷はどうなっているのでしょうか? 超高齢化社会で、3人に1人以上が「古い人間」となっています。それなのにそのフレーズを聞かないですね。
そうなんです。昨今は「情報弱者」と言うらしいです。

かく言う私も高齢者ですから、それなりに古い人間です。
何が古いかって人間そのものが古いのですが、自分の中で極めつけ古いものは倫理観です。ですから政治や世の中にかかわる新しい概念には概ね否定的です。

ネット内の某インフルエンサーが「職人の修行に10年費やす」を批判していました。例によってTシャツ着て腕組んでですが、技術の習得に10年かけるなんて人生を棒に振るし時間の無駄…。

親方の下で見習いや下積みをして10年。それで一人前の職人になる。かつては当たり前だった職人のプロセスが時代遅れと化している。習得そのものはWEBや動画で得られるし、その中にはとても革新的なものもある、親方という人物の近視眼的な視野よりももっと今風でビジネスの拡大も見込める世界が広がっている。

その主旨は分かります。「終わっている」というフレーズでマウントを取る意図も分かります。しかし無一文の一人の人間が社会に対して信用を得るためにはどうしたら良いでしょうか。総じて合理的あるいは理論的な売り文句だけで信用というものは得られるのでしょうか、という事です。

私だったら、親方の下で10年働いたという人間を一応信用します。数カ月前にWEBであれこれと習得してプロになりました、という人間を信用しません。
もちろん双方の優劣は判断できません。ですので自分の同類かあるいはそれに近い人間を信用します。何しろ古い人間ですからね。

当然、こんな私だから還暦を過ぎても働いているしアルバイトで安月給だしと、時代について行けてない悲哀の塊です。
負け惜しみで古いものの良さがあるとか、古いけど変わらない価値観があるとか、古いことを無理に肯定しようとは思いません。しかし古い人間だらけの社会で、その古さを隠して新しい概念で表面を覆う事には無理を感じます。

職人の見習いを10年、それが時代遅れなのかを否定も肯定もしません。私もその昔、印刷のアナログの技術を10年かけて習得してデジタル化でリセットされましたからね。しかし還暦を回っても何だかんだでこの関連のスキルで生きていられる、それは常に先端のものに対応してきたから、とは言い切れないのも事実です。

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