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087_高学歴で無能の人

高学歴という単語は今日ではその言葉通りではなくなっています。
以前は単に大卒の学士を指したわけですが、大卒が一般的になった昨今では高学歴と言えば特定の上位の大学を指すようになっています。

テレビのクイズ番組などでは「高学歴タレント」という言葉が躍りますが、その出身大学と言えば東大を筆頭に国立大学や早慶などの有名私大、医学部などの漠然と受験時の偏差値が65以上の大学や学部を指すようです。

これも当然ですが職場にも偏差値はあります。出身大学の偏差値がそのまま会社の人員構成をつくります。例えば某メーカーでは東大工学部の卒業生がトップであり、そのコアになっている部署には東大から偏差値順に出身大学の序列ができています。
これは自動車メーカーに限らず、有名企業の主要部門は有名大学をトップとする序列で成っています。それによって学閥ができ上っている会社も珍しくないでしょう。

私は中堅の印刷会社にいましたが(後に上場)、その上層部は地方の国立大学、慶応、早稲田、などの出身者がいましたが、実質では概ねMARCHと日東駒専が多かったように思います。偏差値的にはその両者の中間くらいでしょうか。もちろんそれらの序列は折り重なっていて複雑でした。
その中にあってグラフィックデザイナーであった私は、全く学歴を話題にした事はありません。基準外の存在でしたが、それなりにうまく生きて来たと思っています。

時折、私の所属する部署に高学歴な人材が入って来る事がありました。さすがに東大はいませんでしたが、明らかにMARCHよりも上位でした。

具体的に言えば慶応大学、早稲田大学、一橋大学、そして地方の国立大学でした。不思議なもので、MARCH出身者を上位とする会社にこういう場違い感がある人材が来ると、浮くような沈むような印象になってしまいます。それだけ、出身大学による先入観は大きいという事でしょうか。

そこで表題にある「高学歴で無能」という人が際立ってしまうというわけです。

無能と言ってもタイプはさまざまです。職場のスケープゴートや潤滑油などの必要悪説もあり、かつ最近では働きアリの中の働かないアリの必要性など、組織の立派な構成員として組み込まれている無能という考え方もあります。
ただ、ここで言う無能とは「あなたが何かをしてあげなければならないけど、あなたには何もしてくれないその人」という意味です。そう、無能だけれども主流の学閥に所属しているとか、その故に引き立てられて管理職をしているとか、ひどいのになるとコネ入社や二代目で、無能だけれども将来を約束されている人等、人畜無害とは言い難い存在です。

まあ、大学の有名度やペーパーテストの順位で採用してしまったらそうした状態になってしまうのは仕方がないでしょう。俯瞰してみれば十人十色というそれぞれの枠の中に納まってしまうのでしょうが、ただ、その中には「ズルくて危険な人」も含まれます。

学歴がさほど高くなければ、ただの無能であれば職場では短命に終わりますが、なまじ高学歴であれば上層部の学閥に入って猛威を振るう事もあります。

私は狭い見識の中ですが、そうした無能に取りつかれておかしくなった会社をいくつか見てきました。傍から見ると割と明瞭に分かります。クリティカルシンキングにおいて、誤った活用をしているからです。

成績が優秀で有名大学を出ている人間は、そのほとんどが学生時代にリーダーやサブリーダー的役割を経験しています。クラス委員、部活やサークルの部長、そして生徒会長…。学校の勉強は社会で役に立つ事は稀ですが、リーダーとして集団を運営した経験は大いに有用です。
私が見てきた高学歴の無能は、そういう経験がなくて単にペーパーテストが長けていたり、そして本来そういうリーダーを担うべき立場なのに逃げてきたり、つまり頭が良くても利己主義と優越感だけの小人物です。

そういう「なまじ頭が良い人間」が組織やリーダーに対してクリティカルになるのも道理として分かりやすいです。総じて発展性のない批判のための批判、反対のための反対に陥ってしまい、組織や事業を前進させるよりも自論のひけらかしを好みます。そして語彙がある分、周囲への悪影響を及ぼすことがあります。実に厄介です。

しかし学生の頃にリーダーの経験がなくても有能である人はいますし、キャリアを積むことによって進化する人もいます。つまりそういう人は学校よりも社会に出てから学習して向上するタイプです。高学歴であっても社会や職場からものを学ばない人はヤバいです。

大企業や優良企業や官僚や教育関係にウツや自殺者がいるのがこういう側面があるのではと疑っています。もちろん無能のその人ではなく、それに関わった人の災難として、です。

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