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信じること。

こんばんは。
そしてまた記事がだいぶお久しぶりになりました。3月最後の今日。
ここに書かないと、今のこの思いが無かったことになってしまうかもしれない。そう思って、自分のために書いています。

私は、昔から「変化」がすごく苦手です。
季節の変わり目も、進学も、何かが「変わる」ことに対して、身体や心が追いつけないことが、多々ありました。
そんな私が勇気を出して、大好きだった職場を離れ、新たな挑戦をするために、転職してから5ヶ月が経つ今、私の心と身体は気付かないうちに、ボロボロに疲弊していました。

「自律神経障害」「抑うつ状態」。それは、私が二度と聞きたく無かった言葉。だけど、休んでいいんだと思えた、安心できた言葉。
数年ぶりに聞いた今でも、その両方が重なりました。

転職先の人の優しさや、挑戦できる楽しさ、
認めてもらえた喜びと、期待される喜び。
それは全て、感謝してもしきれない、素敵なものだったけれど、そう思おうと自分の中の違和感を抑えていました。

だけど、その違和感に「慣れ」ようとした事が、1番してはいけないことだったのだと、今、心の底から後悔しています。

自分の主張を上手くできずに、言われた事を飲み込み、自分の中で傷つかないように努力し、決めつけられた私のイメージの中で、相手の顔色を伺いながら機嫌を取って仕事する。
そんな事したくないのに。わかってるのに。怖くて言えない。聞いてもらえないから。
理不尽に責められる同僚を見ては、心配になり、それが自分にも回って来ないかと怯え、勇気を出して声をあげる。それでもその声が届かない自分の無力さと、悔しさで自分を責める。

きっと聞き流したり、無視できたり、反発できたり、怯えなかったり。
そんな能力が私に備わっていれば、こうなっていないのもわかってはいるけれど、
そう出来ない人だっているはず。

傷つけられた方が、「自分が傷つかないように、捉え方を変えて、無視できるように努力して、我慢して聞き流す」なんてのは、絶対におかしい。そうであってはならないはず。
傷つける方が悪いに決まってる。
「そんなつもりはなかった」なんて言われても、そんなの通用しない。
そうやって思いはじめた頃には、もう遅かった。

何を食べても味がしなかったり、
食べてすぐに吐いたり。
急に耳が聞こえなくなったり、声が出なくなったり。不正出血があったり、夜眠れなかったり。
そんな事があっても、見て見ぬ振りをしてきました。

診断された時、私の脈は異常で、自律神経は乱れまくり、食欲不振に陥り、体のいたるところに不調が出始めました。

そんな事があっての休職中。
何もする気が起きなくて、テレビをつける気力もない。YouTubeをひとつ見終えるにもエネルギーがいる。何がしたいかもわからないし、どうしていたいのかもわからない。
もう、自分がどう生きていたいのかも、考えたくない。

だけど、繊細な気質である自分だから悪いとか、感じ取りやすいのが悪いとか、
私は、そうじゃないと信じたい。
きっと、その気質だからこそ、できる事があるはずだと、信じていたい。
そう思えている今、きっと楽しい未来が待っていると信じていたい。

同じように悩む人たちが、
少しでもこれを読んで楽になってくれれば良いなと願っています。
そして、これを読んでくれる、私の大好きな人たち。
いつもそばにいてくれてありがとう。
寄り添ってくれて、ありがとう。

2024.3.31


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