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田舎の少年の話① TeenageでAssholesだった頃

"This is a song for you and me and the holy night and the blue sky.
To the lambs lost in the deep forest fog.
This song is for them and you. "

この記事のタイトルを辿ってきた人達には馴染みのある可能性が高いマスタピース曲の歌い出しです。
そう、HAWAIIAN6の「MAGIC」

"This is a song for you and me"までなら大半の友達が歌え、"and holy night and the blue sky"まで歌える人はその半分、それ以降を歌える人は僕の周りには存在していない(確認できていない)というデータもあります。

ちなみにこの部分の歌詞の内容は、

"この歌をあなたや自分自身、霧の立ち込める深い森の奥に迷い込んだ子羊達、とにかくみんなに向けて捧げます"

自分なりに訳しましたが多分こんな感じ。聖飢魔IIみたいな訳になってしまいましたね。

このQuarantine期間にみんなで覚えて、来年にはカラオケでぶちかましましょう。ヒラヒラのついた長袖シャツを身に纏いながら。

ちなみにHAWAIIAN6の名前の由来は当時メンバーの誰かが"ハワイアン"とプリントされているTシャツを着ていて、そこに精巣の数が2個×3人分で6個で6とつけたとのこと。確か。

デビュー当時はメンバーの名前を"クラッチ"、"ディーゼル"、"タイヤ"と表記してましたよね。タイヤって凄いですね。

◼️PIZZA OF DEATHサブスク解禁

何故急にこの様な記事を書き始めたかというと、4月22日に同レーベルのサブスクが解禁され、TwitterのTLやInstagramのstoryがその話題で埋まってしまうという事実を目の当たりにし、アンテナ張りまくって常に流行に敏感で、更に芯が無い僕はものの見事に感化されたためである。

ちなみにサブスクとは

Subscriptionサブスクリプション(名詞)
Subscribeサブクライブ(動詞)

のどちらかは忘れたが、そこから来てたはず。購読とかそういう意味。後は調べてみてください。

その後5月1日にはYOU TUBE上でも過去のDVD作品などがUPされ、今もそれを再生しながらこの記事を書いている。
※DVD作品は5月31日までの公開なので皆さまお見逃しなく。

ちなみにPIZZA OF DEATHとはレコードレーベル名であり、その通り"死のピザ屋"である。1999年設立のレーベルであり、社長は同レーベル所属バンドHi-Standardのギタリストである横山健。クレイジーケンバンドのボーカルは横山剣。

1994年から存在していたみたいだが、1999年までは違う会社のレーベル内レーベルで、そんで晴れて独立したみたい。


話が逸れたが、音楽が好きなの人を多くフォローする自分のアカウント故に起こったことではあるにせよ、あの人もこの人も、あの先輩もあの子もこぞって話題にしているのを見ると、とても素敵な気分になった。

そう、素敵な気分に。このコロナ禍の真っ只中。

といった背景もあり、ふと、そういえばいつからピザのバンドとか聞き出したのかなと思い、回想や思い出供養も踏まえて、だらだらと書いていきます。

タワレコもない田舎育ちのkids目線で綴った内容です。皆さんも各々のTeenageでAssholesだった頃に想いを馳せて読んでいただけたらと思います。

想いを馳せる"という言葉、最近のブームなので何回も登場します。

◼️初めての洗礼(12歳)

初めてPIZZA OF DEATHの音源を聞いたのは、中学一年の頃である。

ちなみにこの記事の見出し画像は中学の入学式の日に撮影されたもの。12歳。

初めて髪に自分でヘアワックスたるものをつけた日である。

母親の物を分けてもらった。適性量も付け方も知らなかった。テカリがついて脂っこくなっただけであった。

またまた話が逸れた。同レーベル内バンドで初めて聴いたのはHi-StandardのDear My Friendだったかな。

二つ上の先輩が無理やり貸してくれたオリジナルMDに入っていた。

先輩といえど彼とは小学校の頃からの知り合いであり、同級生に弟がいたため、良く一緒に遊んでもらった。

小学生の頃に初めて友達の家にお泊まりしたのはその兄弟の家である。
翌朝に食べたフルーチェの味は今でも忘れられない。
1人一袋という自分の家ではタブーとされていたことが、いとも簡単にできてしまったのだ

夜にひたすらスーファミのロックマンX2をやり込んだ。

その時の途中までのパスワードは今でも覚えてる。2357だった気がする。
一番上の行だけ入力するのだ。4×4のパスワードは流石に覚えられない。

その先輩のイメージは、小学生の頃はただ単に長距離を走るのがめちゃくちゃ速い友達の兄ちゃんだった。ちなみに弟は短距離を走るのがめちゃ速い。

中学の先輩として再度僕の前に姿を現した彼は、僕より2年先に中学生になり、バンドサウンドの洗礼を受けていたのだ。そして次に洗礼を受けるのは僕であった。歴史は繰り返す。

彼は自分の遺伝子を後世に残すが如く、自分の知識や経験を、弟ではなく僕に詰め込んだのだ。

生き急いでるのか?と思うこともあったが、彼がいてくれたお陰で今僕がこうして異国の地でコロナ禍に巻き込まれるという事象に陥っているのも確かである。感謝はしている。

実はそのMDを無理やり貸される前にはMr.Bigのベスト盤を無理やり貸されている。

初めて聴いた洋楽のCDである。

歌詞カードの写真を見て、「全員髪なげえなあ」ぐらいしか思わなかった。とりあえずMDに録音した。

話しを戻しに戻してそのMDには他にも太陽族の「今度映画に行こう〜の歌」や、GOING STEADY、THE MAD CAPSULE MARKETS、SUM41といったバンドの曲が数曲ずつ収録されていた。

ハイスタはあとSTAY GOLDと何故かCalifornia Dreamin'が収録されていた。渋い選曲である。うむ。

その後も何回かMDやCDを借りる。毎回先輩に感想を言わなくてはならなかったのでちゃんと聞く様にしていた。
最初はなんだかのめり込めなかった。

だって英語の歌詞の曲がほとんどなんだもん。意味がわからなかった。

とりあえずコンポで再生して聞いて、良さそうな曲のトラック番号を次の日に伝えて曲名を教えてもらう。トラックにタイトルは記載されていない。
なんのアーティストなのかも分からない。

そこがこのオリジナルMDの欠点であり、素晴らしいところでもあった。

新しいのを借りるごとに「あ、この声はあのバンドや!」と色々な"気付き”を体験し、学び、感性を磨くトレーニングとなっていたのだ。

ちなみに英語で良い点と悪い点は

”pros and cons"

と表します。0いいね雑学。

◼️父親(あつよし)が買っくれたコンポ

話の途中で出てきたコンポの話だが、これにもエピソードがある。

中学生になった4月にお祝いとしてMDコンポを買ってもらった。KENWOODのCD、MD、カセットが聞けるやつ。SDカードは入らない。

SONYの浜崎あゆみがCMでやっていた”あゆはこう聴く!”が欲しかったのだが、あつよし(父親)が、これが音が良い!といって選んでくれた。

帰宅して音を出してみるとあつよし(父親)は首を傾げ「あれ、なんか全然音が良くねえ」と文句を言い出した。

音の良し悪しなんて今でも分からない自分からしたら、その時のあつよし(父親)の言葉はただの雑音として捉えられ、僕はもうMDコンポに夢中になっていた。

今だから言えることだが、あつよし(父親)が音が悪いと感じた理由ははっきりしている。

僕達が初めて再生した音源は、コンポを購入した帰り道にレンタルしたのは

”ハモネプリーグ決勝戦のステージパフォーマンスを録音しただけの音源”

だったのである。音質の面から考えると果てしなく底辺に近い音源であり、楽器の音も入っていない。

歌い出しの1、2、3、4のカウントや吐息まで余すことなく録音されている、まさに”リアル”そのものだった。

関連ワード:おっくん、ケンゾー、バカやす、チンパラ

父親(あつよし)がその時にそれに気がついていたのかは今でも分からない。

その日から父親が今まで使っていた部屋が僕のものになり、父親は自分の部屋を失った。

そこからはことあるごとに買い物について行き、レンタル屋に連れて行ってもらい、CDを借り、録音するというルーティーンが出来たのだ。

田舎すぎて車がないと気軽に街に行けなかったのだ。バスに乗ると一時間かかり、片道1000円弱かかる。狂っている。

年に数回、友達と遊びに行く街がキラキラして、特別で、毎回プリクラを撮った。

PIZZA OF DEATHの話をするつもりがなぜかプリクラの話で完結してしまいました。

続きはまた書きます。

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写真1:父親の買ってくれたコンポ、カナダに来る際に捨ててしまいました。18年間連れ添った相棒。 I miss you baby.

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写真2,3:プリクラケース。爆走天使

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