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my 格言・箴言集 | 箇条書き


今日出来ることは明日に延期してはならないというが、今日出来ないことを明日に延期しなくてはならない理由にはならない。


早起きは三文の得というが、遅起きが四文の得なら遅く起きたほうがよいでしょうね。


三食も忘れるほど仕事に打ち込んだ人が、もともとは五食食べていたかもしれないと考える人は少ない。


常識とは、それに従っていれば無難だという知識のことであり、絶対的に常に正しいというわけではないが、やること為すこと全部が非常識な人は、間違いなく非常識人であると言える。


表現の自由とは、表現の自由を意味する。それ以上でも、それ以下でもない。


比喩は比喩であって、比喩されるものと全く同一のものではないということを認識しなければならない。


「カラスは白い」と言ったら、それは話し手の言い間違いだと考えるのが一般的であるが、「もしかしたら本当かもしれない」とあなたが思える人なら、信じてもよい。他者への実害がない限り、私にあなたの事実を否定する権利はない。ただ、一人の人に心酔するのは危険だということは指摘しておこうと思う。


怒りに震えるとき、少なからず殺意を含んでいる。つまり、怒りを覚えた経験のある人は殺意を抱いた経験があると言える。なのに、殺人事件が報道されると、「信じられませんね」「あってはならないことだ」「なぜ止められなかったのでしょうね」と言う人が少なからずいる。思考停止している人はコメントするな!自らの悪を直視できない人は信用できない。


書くことがない、と嘆く人には、書きたい気持ちがある。読みたいものがない、と嘆く人には、読みたい気持ちがある。


自らのことをバカだと言うのは、謙遜ではない。本当にバカだと思っている人は極めて稀であり、ただ頭の良い人に対してひがみを持っているだけだ。言うに事欠くと、頭の良い人の性格が悪いという人格攻撃に走る。頭が良くて性格の悪い人は多いが、頭が良くて且つ性格の良い人も多い。性格の良さと頭の良さとは、まったく別のものだ。しかし忘れてはならないことは、頭が悪くても性格が良い人がいることを強調するあまり、頭が悪くて且つ性格も悪い自分を可愛いと思うのが一番質が悪いということだ。


「A=A」ということをトートロジーという。僕は僕だ、君は君だ、というのはトートロジーだが、何か深い意味があるのではないか?と思うのが人間のさがである。


経済の血液は、貨幣だと言われることがある。カネ回りが悪いのは、血液の循環が悪い身体と同じだろうか?貨幣がなかった頃の人類には経済活動がなかったというのだろうか?
比喩を使われると、そのまま目の前の事象と比喩を同一視する人が一定数いる。比喩は説得のためのレトリックに過ぎず、論理の正しさとは性質を異にすることを忘れてはならない。


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