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「本は読むことだけが楽しみではない」ことを説明するという試み(装丁も大切)。

本を図書館で借りる。
本を書店で購入する。
一冊の本を最初から最後まで読まないともったいない気がする。
読めない。挫折。頓挫。
返す、あるいは、処分する。

本って、1週間、長くて3ヶ月くらいで読み切らなければならないものだろうか?
生きている限り、10年くらいの時間をかけてもいいし、場合によっては一生かけて読んでもいいのではないか?、と思うことがある。
否、読まずに置いておくだけでもいいのではないだろうか?

もちろん、一度読んだら、もう再読をしないような本もある。
それは「すぐに使える、役立つ本」。
すぐに役立つけど、すぐに役立たなくなる本。新聞、ハウトゥー本や週刊誌など(たまにとっておきたいものもあるけど、必要なところだけスクラップしておけばよく、全部をとっておく必要性は低い)。

ずっと手元に置いて置きたいのは、今すぐには役に立たない、即効性のない、いわゆる「古典」的な名著。必ずしも全部読まなくても、「ご利益」はある。

本棚に並べてもいいし、「積ん読」でもいい。ただし、本のタイトルあるいは著者名が目に入るようにしておくことが大事。気に入った本なら、立て掛けて飾って置いてもいい。

話の前置きが長くなっているので、そろそろ本題に入ります。

「春の雪」。三島由紀夫の「豊饒の海」4部作の最初の作品。
だいぶ前(先ほど調べたら2005年)に映画化された作品。

公開されて間もなく見に行った記憶が今も鮮やかに残っています。
竹内結子さん主演。妻夫木聡さんもほとんど主役に近い共演。主題歌宇多田ヒカルさん「Be my last」。

本を読むことに比べると、映画はあっという間に終わってしまいましたが、長く余韻に浸っていました。

しばらく時が過ぎてから、原作を読み進めました。映画の「春の雪」は「豊饒の海」全体から見ると、プロローグに過ぎないんですよね。「春の雪」だけで終わる物語だとしても、十分すぎる内容の濃い物語です。

「春の雪」、「奔馬」、「暁の寺」、そして「天人五衰」。新潮文庫で4冊。
一冊につき、一週間くらいのペースで読んでいって、一通り最後まで辿り着くまで一ヶ月くらいかかりました。(大切な箇所かもしれませんが、「神風連史話」は読み飛ばしたままです。)

一気に最後まで目を通して、しかもまだ読み飛ばしたところが残っているので、最初からもう一度読みたい、今度は時間をかけて熟読したいと思いつつ、
もう16年の歳月が流れています。いまだに「豊饒の海」を読破していません。

でも・・・。16年間も読破していないことを覚えているのは、タイトルが目に入るような場所に文庫本を置いているからです。そして、たまに文庫本の表紙を眺めているからです。

「豊饒の海」の装丁が気に入っているので、時折、眺めたくなるからです。

これが電子書籍だとしたら、もうきっと覚えていないだろうな、と思うのです。

四冊の文庫本をまとめて手にしたときの重量感。
四冊並べたときの装丁の美しさ。

本って、中身も大切ですが、中身の存在を一目で伝えてくれる顔となる「表紙」は、読もうとする気持ちを、鼓舞し続けてくれる貴重なものですね。

16年は長過ぎるかもしれません。
でも、たまにでも手にとって、全部ではないにしても、拾い読みをしたくなるのは、自分の意志だけでなく、装丁の力が大きいのではないでしょうか?

話は「春の雪」から逸れますが、例えば岩波文庫。

一見簡素な装丁の岩波文庫が書店に並んでいると、買いたい本がなくても、つい立ち寄ってしまいます。
岩波文庫が一冊も置いていない書店は一目でわかりますよね?

「入りたくなる書店かどうかは、岩波文庫の有無で決まる」みたいことを言う人もいるくらいですから、本の見た目は大事だと思います。

文庫本で、装丁のほかにもうひとつ大切な外見上のこと。それは、本の後ろの部分(岩波文庫は表紙)。

中身の内容の説明文。「名著」と「珠玉の」などの美辞麗句は読まなくてもいいと思いますが、「ネタバレ」しない程度にうまく要約や説明がなされていると、これから読もうとするきっかけになりますし、読み終わって長い間経ってしまったあと、再読するときに、全部は読まなくても全体の流れを思い出す糸口になります。

しかし、「内容説明」は装丁ほどは、重要ではありません。読んだあと、きれいに内容を忘れてしまったなら、もう一度全く新しい本を読むような気持ちで読むことができるからです。

受験参考書の類いと違って、小説や文学作品ってストーリーを覚えたり、暗記することが重要なわけではないですよね?

いま読んで大切だと思えず、感動もしないところが、10年後に読んだら強烈なインパクトを持つことだってあるかもしれない。

もう一度、その10年後の再会を促してくれるのは、やっぱり「装丁力」(想定力ではありません)だと思います。

私の記事としては、おそらく史上一番長い記事になっているので、そろそろ終わりにしようと思います。

「本は読むことだけが楽しみではない」ことの説明(証明?)ができたかどうか、心配。本は「見ること」と「読むこと」が一身一体です。表紙がなくなって中身だけになってしまったら、中を見ないと何の本だかわからなくなってしまいますものね!  Q.E.D.

P.S.
ストーリーとはあまり深く関係ないですけど、「暁の寺」に「バンコク」の長い名前の由来が書かれています。そこを読むだけでも面白いと思います。

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