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自己紹介③<大人になってから・バスケットボール編>【前編】

前回の自己紹介<子ども時代・バスケットボール編>(←読んでみてね)に続き、今回は、その後の<大人になってから・バスケットボール編>を送ります。

<高校時代から社会人なりたて・スキー編>もあるので、よかったら読んでみてください(^^)/

現在は高校3年<けんたろう>と中学3年生<しんのすけ>(2019年現在)男子2匹の母親。
栃木県宇都宮市在住

某地方新聞社が発行する情報誌のリポーター。

そして、「えがおをつなぐとちぎ木育の会」という会に所属し木育活動を楽しみ、さらに、とちぎYMCAが集めた「English Town」という国際交流ボランティアに参加。高校生や大学生を中心にイベントを立ち上げたり、国際交流を広げていく取り組みのサポートをしている。

「えがおをつなぐとちぎ木育の会」や、「大道芸人フェスティバルうつのみや」のチラシやパンフレットを作成し、ほめられたことで調子にのり、フリーライターとチラシ作成を仕事にしようともくろんでいる。

小学生時代から社会人までバスケットボールをし続け、さらに社会人でスキーデビュー。SAJ準指導員をもつ。長男はアルペンスキーでインターハイ、国体出場。

Noteではスキーのこと、ブレックスの試合レポート、その他思いついたことを書いていきたい。

🏀たけだじゅんこのおいたち③
<大人になってから・バスケットボール編>

東京都高体連女子バスケットボール4部から1部へ駆けあがった、高校時代の引退前、大学のバスケ部とはたまに体育館の都合上、練習を一緒にしたこともあった。

特にスポーツが盛んな大学ではない、しかも女子大。
高校のバスケ部だった人が一人も入っていない、そんな大学バスケ部。

弱かった。思った以上に弱かった。

小学校からバスケットをやり続けていた私は、ちょっとバスケに疲れていたし、そんな弱っち―チームでやる意味も見いだせなかった。

なので、大学に入っても、「バスケ部に入る」という選択肢は全くなかった。

そんな大学生活を送っていた2年生の時。文化祭で、バスケ部主催によるバスケットボールトーナメントが開催されるから、高校のバスケ部ÒGで参加しない?と一緒に高校時代戦ってきた一つ下の後輩からお誘いが。

ちょっと面白そうだね。ということで、うちの学年と一つ下の学年をあつめて「共立女子高校バスケ部OG」というチームで参加した。

決勝は、あのちょ~弱っち―大学の体育会バスケ部との対戦。

もちろん圧勝~。優勝!!

他を寄せ付けない強さで勝利!
1年間以上やっていなかったけれど、やっぱりバスケは楽しかった♡

「ね~、バスケ部に入ってくれない!練習来なくていいからさ。試合だけでもいいから。ねっ?どう??」

という、その後のバスケ部からの勧誘がものすごかった。。。全員のところに来た。おそるべし勧誘💦

もちろん、誰も入部しない・・・。ごめんね。

🏀あ~バスケがやりたい。でもやる場所がない。。。

時代はバブル。短大全盛期。

特に、わが共立女子短期大学は、就職率NO.1と言われていた青山大学女子短期大学につぐ、就職率を誇っていた。

人生においてのん気で、「どうにかなるさ」体質の私は、やりたいこともなく、「1部上場で、通勤時間30分以内。週休2日の会社がいい!」とろくな就職活動もせず、父のコネで、学校にものすごく近い某海運会社に就職する。

この会社は、部活動がさかんで、ヨット部、スキー部、ワンダーフォーゲル部、ボート部、テニス部、野球部、音楽鑑賞部、華道部、書道部‥‥などなど、本当にたくさんの部があった。

しか~し、バスケットボール部はなかった。あったのはバレー部。
バレー部に誘われて練習に参加したこともあったが、なんか違う。

「あ~~~、バスケやりたい。。。」

高校バスケ部時代の友人につぶやいたことが、社会人バスケデビューへとつながる。

🏀ついに社会人バスケデビューへ

「バスケやりたい」とつぶやいた相手は、伊藤忠商事に入社したY。

Yは高校から入部してきた170㎝のチームメイト。
高校デビューだったにもかかわらず、運動神経の良さで、チームのエース的存在だった。ポジションはフォワード。

当時、伊藤忠商事バスケットボール部は、関東実業団リーグ(現在は東京都社会人バスケットボール連盟らしい)に加入していた。

この実業団リーグは、バスケットボール日本リーグ(今のBリーグの前身)の下部リーグとして存在していた。

伊藤忠商事バスケ部女子は3部に所属。

だいたいバスケット採用は実業団1部まで、それ以外で社会人になってもバスケをやろうとする人はあまりいなく、しかも「伊藤忠商事の社員で」となると、ほぼいないに等しい状態。

そんな中、友人Yが新入社員で配属されたの部署にバスケ部の人がいた。

友人Yは社会人になってまでバスケをやりたくなかった。でも背が高く、バスケ部だったという経歴から、かなり強い勧誘をうけていた。

「ずん、うちの会社にバスケ部あるよ。伊藤忠の人じゃなくても参加できるみたい!練習場所もずんの家から近い体育館だし、一緒に行ってみない?」

「行く~っ!」

これが、今後私の人生において大きなポイントとなる、伊藤忠商事バスケ部入部の瞬間である。

久しぶりの体育館。

バッシュを履いてボールを持つ。
ドリブルをしてシュートっ。。。

気分は現役時代。でも・・・あ、届かない。。。。ドリブルもあっちの方に行ってしまう。。。
パスもボロボロ…。

3,4年ほどのブランクは、週2回練習しているチームでは通用しない私を作り上げていた。

ぐ、くやじいいいいいいいいい

負けず嫌いがむくむくと顔を出してくる。

このままではやめられない。

チームの雰囲気もよく、快く歓迎してくれ、そしてなによりうちから近い。
バスケをやれよ。と言われているのも同じだった。

私は、週2回の練習に参加するようになった。
そして、気が付いたら‥‥Yは辞めていた( ;∀;)

🏀実業団バスケ生活スタート!

もともと強豪校ではなく、成り上がりで東京都高体連バスケットボールリーグで1部となったチームで甘っちょろく、すんなりキャプテン、スターティングメンバ―としてバスケット人生を送ってきた私に、ポジション争いという過酷な戦いが待っていた。

しかも、先輩に、あの日本一の東京成徳短大付属バスケ部出身者が私と同じポジション、ガードにいた。

さらにガードは、気の強いプレイを見せる先輩が二人。

試合に出るのは大変だった。

練習嫌い、試合が大好きの私も、練習をしっかりやってアピールするしかない。
私の武器は、小さい体で走ること。パスカットからの速攻と3ポイントシュート。元来司令塔であるガードというよりは、自分からシュートを打ちに行くフォワード気質な私。しかし身長が153㎝しかない。

だから、自然とポジションがガードになるのだが、高校の時は2ガードで、もう一人司令塔がいた。なので、お互いガードフォワード的な動きをしていた。

そのポジションをアピールし、少しずつプレイタイムを増やしていった。

🏀伊藤忠はさすがの大企業

伊藤忠商事は、大阪本社と東京本社がある商社。
大阪本社にもバスケ部があり、毎年東西対抗という親善試合をしていた。

今年は東京で試合をすれば、来年は大阪で。というように2年に一度、伊藤忠商事のお金で大阪に行っていた。さすが、日本が誇る商社、伊藤忠商事様である。恩恵に預かりまくり。

この大阪遠征にくっつけて、みんなで京都に行ったり、神戸に行ったり、関西観光を楽しませてくれた。大阪の食べ物もおいしかった。

普段の練習は葛西の体育館だったのだけれど、総会や会議などは伊藤忠商事の青山の東京本社に行く。

やっぱり、すごい。青山本社。

建物も素敵だけれど、立地も素敵だけれど、会社の中もキラキラしていた。
日本の経済の中心。そんな感じがした。

🏀まさかの試合に出られない1年間💦

伊藤忠商事バスケットボール部は、伊藤忠商事のクラブである。
それでも私のようにほかの会社の人も練習して試合にも出ていた。

そこで、そういったメンバーにコーチが伊藤忠グループへの就職を世話していた。

大学体育会バスケ部の人の就職も伊藤忠子会社に世話をし、入部させたりもしていた。

そんななか、「ずんの会社は一部上場だし、転職となると伊藤忠商事じゃないと条件が悪くなる。でも伊藤忠商事には入れられないから、そのままでいいか。」と言われ、海運会社勤務のまま試合にも出ていた。

実業団リーグは、加入企業からお手伝いを出して運営していた。
私は、実業団リーグのお手伝いをし、1部リーグの試合のウグイス嬢までやるようになっていた。

日本リーグの試合も見られたり、楽しくてどっぷり浸かった実業団のお手伝い。そこから、私が伊藤忠の社員ではないことが発覚してしまう。

実業団リーグの事務方の方々とも仲良くなっていたので、あちらも苦渋の決断だった。

それでもやっぱり社員じゃない選手の出場は認められない。。。。

何度も謝られた。それでも、前例は作れないと…。
確かに仕方がない。

コーチから、「ずん、実業団の手前、試合に出すことができなくなった。でも絶対1年後に試合に出られるようにしてやる。だから、1年間スコアラーで我慢してくれないか。」と。

元来、「練習は嫌だけど試合が大好き!」という私。それが試合に出られないことが確実にわかっているのに練習だけしなくてはならない。という状況が1年。

それでも、まだまだバスケと付き合っていきたかった。なにより伊藤忠商事のチームの一員でいたかった。

スコアラーとしての1年間が始まる。

この1年間。あまり記憶がない。
それでも、私はスコアラーとして毎試合参加していた。

おかげで、試合の全貌、進め方など分かった気がする。
そして、なにより今でもスコアがつけられる(^^)

自己紹介④<大人になってから・バスケットボール編>【後編】へつづく






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