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夢Ⅰ(26)

第1話:夢Ⅰ(1)はこちら

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☆主な登場人物☆

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リックは、巨牛の背に括り付けられて、揺れる、ソリの荷の間から外の世界を窺った。朝の新鮮な空気が頬を滑って行く。

 

旅は7日目の朝を迎えていた。

 

巨牛は、全部で3頭。いずれも、今回の旅に備えて行商が連れて来たもので、リックが乗るソリを背に括り付けた巨牛の他に、2頭の巨牛がいた。それぞれに、ソリを一つずつ引いていて。《灰色》が隊列の先頭を歩み、《茶色》達当主が最後尾から続く。各家族の妻子は、巨牛が引くソリにそれぞれ乗り分け、時折降りては、隊列に加わった。

 

リックは、寝ざめの微睡みの中、もう一度、朝の新鮮な空気を吸い込み。意識が現在地を認識していく工程をじっくりと味わった。清く澄んで、新鮮な空気が、一日の始まりを迎えた生命を祝福している。視界の限り続く草原は、一向に表情を変える素振りを見せず。新鮮な毎日を差し出し続ける。一切の目印を示さない草原を、ヌエ達は、迷いなく突き進んだ。

  

太陽が頭上に達したころ、一行は、大きな河に差し掛かった。これまでも、何本か川を越えたが、今回の河が一番大きく、対岸の木々が小さく見える。隊列は、浅瀬の位置を正確に把握しているようで。中州までするすると進むと、《灰色》の動きに合わせ歩みを止めた。

日中に歩みを止めることは、初めてのことで。リックは、巨牛の背からゆっくりと地上に降りた。足元で、青々とした緑草が所々に小さな花を掲げている。

ヌエ達が巨牛の背からソリを下ろしている脇を通り、《灰色》がリックに歩み寄った。「この河を下ると、大きな湖があります。」「草原が出来た遥か昔。意図してか偶然か。湖は、生まれたと言われています。」「豊かな自然を纏い。湖水に深い翠を称えた見事な湖で。」リックは、河下に向けらた《灰色》の瞳に潤いを見た。それは、続く言葉が紡がれる束の間の出来事で。「このような。切迫した状態でなければ、一度見ていただきたかった。」視線をリックに向けると《灰色》は微笑んだ。

さて。と《灰色》は改めると「ここから、二手に分かれます。」と切り出した。「私と一緒に来るか。彼らと行くか決めてください。」彼らとは、《灰色》を除く《茶色》達5人の当主のことだった。

《茶色》達5人の当主は、ここから大河を上流へと進む。《灰色》と行商、そして妻子は、草原の順路を進み次の石柱を目指す。次の石柱までは、だいたい10日程、そこから行商と妻子は王都へ。《灰色》は一人、石柱から石柱へと、草原を進むという。

 

大河は、膨大な力を自在に操り、今は優雅に大地に横たわっている。隊列の痕跡を追ってくる「力の民」と、最初に対峙するのは、まっすぐと草原を進む《灰色》となるはずだ。

それは、わかっていた。しかし、リックは《茶色》達と行くことを選んだ。

 

出発してから7日間。日課としていた走り込みも、短剣の振り込みも出来ていなかった。日増しに、旅の行方に不安を覚える頻度が多くなっている。その度に、短剣の柄を握りしめ。もはや、明確でない思いを無理に奮い立たせようとした。そして、いつも最後には「今、『力の民』と対峙して何が出来る。思いを整理するには、時間が必要なのだ。」と自分に言い聞かせた。

ここで《灰色》と行くと、万が一に「王都組と行く。」という誘惑に負けてしまうのではないかという懸念が、脳裏をかすめていることにもリックは不安を感じていた。

 

リックは、《灰色》の目を見ることが出来なかった。「どうすれば、いいか。」《灰色》に聞きたかった。しかし、その問いだけは、必死で食い止めようと努力した。

太陽の光を満面に浴び、足元の緑草が揺れている。きらきらと。

分厚く優しい《灰色》の手が、リックの頭に触れた。

《灰色》は、リックの思い全てを汲み取ったうえで、ぎゅっと体を抱き寄せた。羽織り越しに伝わる《灰色》の温もり、草原の香りが、リックの体にすっとしみ込み。心をほぐした。リックは涙を流していた。もう二度と会うことのないであろう《灰色》の抱擁が、ただただ、リックのことを思っての行動であることに。心が張り裂けそうな、悲鳴を上げていた。「まただ。」「僕は、何一つ変われていない。」《灰色》の手が、リックの背を優しく撫でた。何度も何度も。別れのときまで《灰色》は優しい笑顔を絶やさなかった。

 

大河を上流へと進むソリの上、一波ごとに小さくなっていく《灰色》達に向けてリックは手を振り続けた。涙は、もう流れていなかったが。胸を締め付けるぎりぎりとした痛みは強く強く、リックの体に刻まれた。

 

 

大河は、浅瀬でもヌエ達の腰上の深さがあり。リックは相変わらず、終始ソリの上で、積み荷と波に揺られることとなった。

どれくらいの距離を進んだのだろう。河の中の行進は、ろくな休息もなく。翌々日の夕刻まで続いた。

 

熱を失った、ただただ赤い太陽が地平と溶け合い。色彩を掬い取っていく。

 

河辺にソリが引き上げられると。リックは、すぐにソリからはい出した。慣れない揺れに、内容物を吐き切った胃が、きりきりと締め上げられるような痛みを訴えている。2日ぶりの地面は、プカプカと揺れていてリックの心の支えにはならなかった。河辺では、ヌエ達が体毛にしみ込んだ水分を無心で振るい落としている。大きな体から、盛大に飛び散った水玉が、リックの体に降りかかると。それを見た《茶色》が、無邪気にはにかんだ。げっそりと、リックも笑顔を返した。一様に肩で息をしているヌエ達のシルエット、地平へと沈む太陽、草原を分かつ大河へと視線が流れた。

大河は、相変わらず緩やかに地平へと注いでいる。

この流れの遥か先に、《灰色》の言っていた湖があるはずだった。「一度見ていただきたかった。」リックは《灰色》の笑顔を思い出していた。

 

リックは弱く「見てみたい。」と思った。

胸のホルダーに収まった短剣が、ヌエ達と進む、上流への進路をはっきりと指し示している。様々な痛みを抱えたリックの心も、その形を持った思いを手放す気はなかった。

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