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第5章

 初心忘れるべからず……か。
 駒田と電話で話をしてから数日後、私は、学校に借りた工房を拠点に、ようやく独立開業を果たすことが出来た。やはり、感慨深いものがある。前の会社で過ごした数年の月日が、自然と脳裏に蘇った。何故かネガティブな思い出ばかりが思い浮かんだのだが、だからこそ、ようやく自分の城を持てたことに安堵し、純粋に嬉しかった。
 嬉しいという気持ちを抱くのは、久しぶりな気がした。調律師になった頃の感情は忘れつつあるが、今のこの喜びは忘れないようにしようと思った。
 その日の夜、私は師匠に報告の連絡をした。しかし、師匠はスッカリ耳が遠くなっており、発音も不明瞭で、もう電話での会話は無理があるようだ。それでも、何となく、私が母校の支援で開業したことは伝わったらしい。「学校の人と上手くやれよ」って言葉だけ辛うじて拾えた。

 工房には、機材やチェーンブロック、作業台など、仕事に必要な最低限の設備を学校が用意してくれた。もちろん、私に寄贈してくれたのではなく、全て学校所有の備品扱いなのだが、テナント代にはそれらの使用料も込みにしてもらえたのだ。今後の機材のメンテナンスや消耗品の交換など、維持管理費は私が支払うことになるのだが、ある物は好きに使っていいようだ。最初にハードを揃えてもらえたことはありがたい。
 私が開業までに準備したことは、まずはPCを購入し、ホームページを作成したこと。あとは、名刺の作成と各種書類の準備、社印の作成、税務署への開業届出、警察での古物商許可申請、今後使うことになると予測出来るパーツの購入、運送屋や取引業者への挨拶訪問など、慣れないデスクワークと営業活動に専念していた。
 未来への不安はない、と言えば嘘になるが、何としても成功してやる!  という意気込みだけは十分に持ち合わせていた。既に、学校から依頼された修理も数件入っており、初日から仕事があることに、ひとまずは安心した。
 しかし、一つだけ想定外の出来事があり、それだけは不安でもあり、不満にも思っていた。専門学校から援助の見返りとして、同校の卒業生を一人、研修生として面倒見てくれないかと、半ば強引に押し付けられたのだ。ここにきての追加条件の提示に腹が立ったものの、今更拒絶して白紙に戻すわけにはいかない。やむを得ず、受託するしかなかった。
 その卒業生の人物像や経歴について話を伺うと、面倒臭そうなヤツ……という印象だった。



 数年前、彼は専門学校への入学が決まったものの、入学式の数日前に体調を崩し、長期療養することになったそうだ。結局、入学式にも出席出来ないまま一年間休学することに。復学後も、闘病を続けながらの休みがちな就学となり、成績も出席日数もギリギリのラインで、辛うじて卒業出来たそうだ。
 ところが、彼は卒業は出来ても就職は出来なかったそうだ。と言うのも、彼の病は完治することはなく、毎日フルタイムで就業する体力も保証出来なかったからだ。
 実は、入学前に彼が罹った疾患は、難病の一つ、「クローン病」だった。
 クローン病の病状は人によって様々なのだが、彼の場合は元々が虚弱体質だったからなのか、かなり重い方らしい。と言うのも、発症して以降、彼は生涯食事をすることが出来ない身体になったそうだ。どうやら、何かと飲食に制限が設けられるクローン病患者の中でも、ここまで厳しく制限されているケースは稀なのだとか。そして、日常的に強いステロイドを服用し、鼻からチューブで栄養を吸収する生活を余儀なくされていた。
 それでも、専門学校は彼を見捨てなかった。系列の会社で嘱託社員として受け入れ、彼の体力と病状に応じた仕事を与えたのだ。
 彼も、仕事に生き甲斐を感じていた。体力、経験、技量、知識……全てが圧倒的に不足する彼に出来ることなんて限られてはいたが、それでも与えられた仕事を懸命にこなし、向上心を絶やさずに仕事に打ち込んだ。
 しかし、そんな生活は僅か数週間で終焉となる。

 ある雨の日に、徒歩で移動していた彼は、泥濘に足を滑らし転びそうになった。右手に傘、左手には工具鞄を持っていた彼は、足の力だけで辛うじて堪えたのだが、結果的には、抵抗せずに転んだ方が良かったのかもしれない。なぜなら、踏ん張った時に掛かった負荷により、彼の大腿骨が折れたのだ。
 更に悪いことに、太腿の踏ん張りを失い身体を支えられなくなった彼は、結局その場に転倒したのだ。そして、その時に傘を投げ出して地面についた右手の手首も骨折し、運悪く縁石に強打した鎖骨にはヒビが入った。
 ステロイド性骨粗鬆症——。
 ステロイドについての功罪はここでは取り上げないが、ステロイドに限らず、薬物の過剰摂取に副作用は付きものだ。彼も、数年に渡り強いステロイドを投与され続けた結果、いつしか骨は枯れ枝のように脆くなっていたらしい。
 だからと言って、ステロイドを使い続けたことを安易に批判は出来ない。問題は、そうと知っていても使わざるを得ないと判断される症状が、実際にあることだろう。
 彼の主治医も、もちろん彼自身も、ステロイド性骨粗鬆症になりかけていることは検査の数値から理解していたのだが、病状を抑える為に、ステロイドの継続投与は必要と判断されていたのだ。「副作用があっても」である。使うリスクと止めるリスク、要は、どちらを優先するか?  ということだろう。
 転倒を回避すべく足を踏ん張るという彼の咄嗟の行動は、ほぼ本能的な防衛行動だ。防ぎようはない。しかし、この事故により、彼は、再び一年近くも入院することになった。



 彼……塚原樹生が、専門学校の理事長に連れられ私の工房にやって来たのは、開業から三日目のこと。彼が退院してからは、一週間ぐらい経っていたそうだ。
 塚原の第一印象は、すこぶる悪い。特定疾患を患っていることは予め聞いており、勿論、気の毒には思ったが、彼の人を寄せ付けない陰鬱な表情は——疾患に起因するのかは分からないが——不気味にすら感じた。その「根暗度数」は、前の会社でイジメを受けていた岩見を遥かに超えているだろう。
 それに、塚原とは会話も弾まなかった。塚原の声は妙に甲高く、なのにか細く、話し方はオドオドしていた。お世辞にも心地良いとは言えない声質で発する過剰な敬語は、むしろ人を馬鹿にしているかのような印象を与え、不愉快な気分にさせるのだ。
 その上、一つ一つの話が全く要領を得ない。どうやら、話をまとめることが出来ない人種のようだ。主語と述語の関係もメチャクチャで、数日後には、「で、結局どういうこと?」が、私の口癖になったほどだ。

 それでも否応なく、塚原は研修生として、ほぼ毎日工房にやって来るようになった。
 一応、彼も調律師として、ほんの数件ながら外回りもやっているようだ。体力的に、週に一〜二件が限界のようだが、外回りのない日(=ほとんどの日)は、朝から工房にくるのだ。いつの間にか、学校に合鍵まで持たされている。私が居なくても勝手に工房に入り、掃除や片付けをしていた。
 契約上、私は彼に仕事を手伝わせ、技術を学ばせないといけないのだが、彼は何をやらせても鈍臭く、何度も同じ説明をさせられ、何度も同じ失敗を繰り返すのだ。岩見の何倍も要領が悪く、吉岡よりずっと馬鹿なのだ。私は辟易とした。もはや、仕事の邪魔でしかなかったのだ。それなのに、何故か塚原は私のことを崇拝しているようだ。まるで、面倒臭い女に付き纏わられてる気分だった。
 僅か数日後には、毎朝塚原の顔を見るだけでうんざりし、胃液が逆流するかのように胸がムカつかようになっていた。

 専門学校の理事長は、時々塚原の様子を見に来た。その都度、私は「もう面倒を見たくない」旨をさり気なく訴えてみたが、聞き入れてもらえるはずもない。
 と言うのも、塚原の給料は、僅かとはいえ専門学校から出ていたので、私に金銭的な負担はない。それどころか、塚原の教材としても私へまとまった量の仕事を発注してくれていたし、そもそもこの工房自体、専門学校から格安で借りているのだ。それに、私も僅かながらの指導料を受け取っていたのだから、強く訴える資格なんて全くなかったと言えよう。
 しかし、頭の中では分かっていても、塚原と顔を合わす毎日は、私には苦痛でしかなかった。数週間が経過する頃には、私の精神的な疲労と苛立ちは、飽和寸前にまで蓄積していた。
 兎に角、塚原は失敗が多かった。いや、単なる失敗なら成長過程に必要だろうし、誰しも避けられるものではない。私も研修生時代は失敗の連続で師匠に迷惑を掛けてきたことは自覚している。でも、どんなジャンルの仕事でも、技術習得やキャリア形成の為に必ず通る道と言えよう。師匠には毎日のように叱られつつ、根気強く指導してもらえたのもその為だろう。
 しかし、私は塚原に対しては、師匠のようにはなれそうにない。彼の失敗は全くの別種で、擁護しようもなく、寛容的に見過ごすわけにもいかない、言ってみれば「救いようのない」類のミスばかりなのだ。
 例えば、「必ずこうするように」と指示すると、何故か違う方法でやろうとする。「ここだけは触るなよ」と注意すれば必ず触るし、「何があってもこれだけは見落とすな」と忠告したことは、ことごとく見落とすといった具合だ。
 ひょっとして、私のことを揶揄っているのか?  と勘繰るぐらい、間の悪いタイミングで間の悪いミスを繰り返した。しかも、コミュニケーション能力にも難があるため、ミスの報告もまどろっこしい。一言で済む内容に何分も要する上、いつも話が右往左往し要領を得ない。注意したところで、果たして理解や反省をしているのか……レスポンスが薄く、目も合わさない為、全く手応えがないのだ。

 また、これは私が最も嫌っていたことだが、彼は失敗や困難に直面すると、全てを病気の所為にする悪癖が身に付いていた。
 もちろん、彼の深刻な疾患は、作業に、いや日常の生活そのものにさえ様々な制限を設け、時として障害にもなる。しかし、明らかに疾患や病状に起因しない凡ミスも、彼は何かとこじつけては病気の所為にするのだ。そうなると、健常なこちらとしては、何も言えなくなる。特殊で重篤な病気だからこそ、それを言い訳にされると一種の免罪符に成り得てしまうのだ。
 問題は、彼が意図的に免罪符を利用しているように感じたことだ。
 普段は元気なくせに、都合の良い時にだけ大袈裟に老いをアピールする老人のように、塚原は病気を主張し、病気に甘え、病気を理由にしているように感じた。実際、普段からそうすることにより、ミスは同情に変換され、何でも見逃してもらえているのだろう。日常的に、その狡猾な習性が染み付いていたのだ。
 もちろん、病気による苦しみもあるのだろうが、窓の閉め忘れや電気の消し忘れ程度のミスは、クローン病の影響ではない筈。そうは思っていても、やはり病気を持ち出されると、こちらは何も言えなくなる。薬の影響と言われると、本当にそうなのかな?  と考えてしまうし、少なくともその場での否定は躊躇する。
 だからこそ、塚原が免罪符を使う度に、私はやり場のない苛つきとムカつきを消化出来ず、はらわたが煮えくりかえる思いがした。

 工房を借りる条件だったとは言え、いつしか塚原は、私にとっては邪魔で鬱陶しい存在でしかなかった。
 何かやらせると逆に仕事が増えるので、何もやらせなくなった。すると、塚原は見学だけでもさせて下さいと言い、私の仕事を食い入るように眺めた。いや、それがまた気持ち悪かった。本能的な距離感のセンサーに異常があるのか、彼は必要以上に私に近付き、荒い鼻息が聞こえ、視線は泳いでいるのだ。
 それに、いつも私の手先が影になるように立つので、その都度怒鳴りつけなければならなかった。 どこまでも間の悪い男なのだ。


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