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EGOIST(第6章)

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第6章

 ある日のこと、私は工房に着くなり、塚原にチョコレートを手渡された。前日がバレンタインデーだったことを思い出した。塚原の辿々しい説明によると、どうやら数年付き合いのあるお客様にチョコレートを貰ったらしい。
「実は……そのぉ……お客様には、あのぉ……私の難病のことはですね、クローン病ってこととか、私がそのぉ、食事のこととか、えぇと、話していなかったもので……だから……はい……」と目も合わさずにブツクサと呟いた。要するに、チョコを貰ったけど食べることが出来ないので、よかったら食べてくださいってことだろう。五秒で伝わる話に五分ぐらい掛けて説明された。
 義理、本命問わず、塚原にチョコをあげる人がいることにも驚いたが、それよりも、塚原にチョコを貰うなんて、いくら事情があるとは言え生理的に受け付けない。それに、元々チョコは好きじゃないので、結局私は冷たく突き返したのだ。

 その日を境に、塚原はより一層無口になった。些細なことであれ、私に拒絶されたことが堪えたようだ。私も、彼の性格からして、そうなることを見越した上で突き放したのだから、想定通りとも言える。
 仕事においても、相変わらず大した作業はさせないようにしている。ただ見学のみで、殆んど口を利かないまま一日が終わる日も珍しくない。早い話が、私は彼を毛嫌いしていたのだ。
 それでも、塚原は不平や不満を口にすることは一切なかった。どんな指示にも素直に従い、ミスすればここぞとばかりに叱られた。だが、どれだけきつく叱られようが、何度もやり直しさせられようが、塚原の心は折れることがない。私への忠誠も変わらない。その点だけは、賞賛されるべきかもしれない。
 しかし、そのことはもちろん、たまに仕事が上手く出来た時でさえ、私は塚原を褒めたことは一度もない。塚原が何かしていても、何もしていなくても、仕事が出来ても出来なくても、それ以前の問題として、同じ空間に彼が居るだけで私は苛立ったのだ。
 やがて、私は塚原をストレスの解消に利用するようになった。この流れは……そう、吉岡の時と同じようなものだろう。私の中に潜む嗜虐性が、おもむろに剥き出しになっていく感覚。私の場合、ストレスを解消する術が、嗜虐性の発散と解放なのかもしれない。特に、今回はストレスの原因も塚原にあるのだから、それぐらいの権利はあるだろう?  と、自分を正当化するほどに悪質だ。

 最初は八つ当たりから始まった。仕事で上手くいかないことがあると、全て塚原に責任を転嫁したのだ。
「お前がもう少し使える人間やったら、こんなことにならんかったのに」
「お前の所為で無駄な用事が増えて、細かいチェックが行き届かんようになったんや」
 そんな私の理不尽な言い掛かりに等しい叱責にも、塚原は口を真一文字に結び、じっと耐えていた。
 やがて、私の虐めはエスカレートしていった。その加速度は、吉岡の時の比ではない。とは言え、さすがに身体の弱い塚原に暴力を振るうわけにはいかない。普段の食事も出来ない塚原には、吉岡のようににかわを食べさせるわけにもいかない。そのぐらいの理性は、まだ辛うじて残っていた。
 しかし、それは「病人だから可哀想」という道徳観に起因するものではなく、万が一のことが起こり、自分が犯罪者になるのを危惧したに過ぎない。いずれにせよ、塚原への虐めはどうしても陰湿になる。
 出来ないと分かりきったことを敢えてやらせ、案の定、失敗すると必要以上に罵った。出来ないことを責め、咎め、馬鹿にし、教えを請われると拒否し、代わりにどうでもいい雑用を押し付けた。
 また、故意に酷いことを言っては、涙ぐみながら落ち込む塚原を見て、胸がスカッとした。
「お前にはこの仕事は向いてない」
「こんなにセンスのない人、初めて見た」
「数ヶ月ここに通って、何か身に付いたんか?」
「外で仕事しても、俺に教わったなんて絶対言うなよ、こっちが恥かくからな」
 こういった、かなり悪質な言葉の暴力は日常茶飯事だ。
 正直なところ、それで自発的に辞めてくれたら……という打算もあったのだ。だからこそ、虐めに躊躇いはなかったのだが、塚原はそれでも毎日やってきては、文句一つ言わずに従った。余程鈍感なのか、不感症なのか、若しくは打たれ強いのか、立ち直りが早いのか……ある意味、ゾンビ並みにタフなのだ。

 私は何とか音を上げさせようと、毎日執拗に虐め抜くようになった。もう、憂さ晴らしという次元ではなく、まるでそれが任務であるかのように、彼を虐めることが習慣付いていたのだ。
 専門学校との付き合いがある以上、こちらからはクビには出来ない。そもそも、彼は私に雇われているのではない。だから、自分から辞めたくなるように仕向けてやる……そういう狙いだった。
 しかし、なかなか目論見通りには行かない。塚原は何を言われても歯を食いしばり、耐えるのだ。何故、私の元での研修にそこまで執着するのか不思議ではあったが、ともあれ塚原は耐え抜いた。



 秋に開業した工房も、いつの間にか半年が経過し、間もなくゴールデンウィークを迎えようとしていた。
 専門学校と同校系列楽器店から卸してもらう、低単価の修理が業務の八割以上を占めていた。細々とながら仕事はコンスタントに入る為、倒産こそしないものの、事業を大きく展開していくことは全く出来ないでいた。悔しいが、駒田の予想通りである。
 開業当初と今を比べても、いや、おそらく一年後を比べても、このままだと収入はほとんど変わらないのだろう。まぁ、それでもいいか、と諦めの境地が半分、このままだとダメだ、という焦りも半分……唯一の楽しみヽヽヽは、塚原を虐めることだけという、我ながら陰鬱な生活だ。

 丁度、梅雨入りした頃のことだ。どんなに虐めても、なかなか音を上げない塚原に痺れを切らした私は、「いつまでここに居る気やねん?」とストレートに聞いてみた。
 どんな暴言や理不尽な言い掛かりにも、ひたすらに堪えてきた塚原だが、たまたま発した何気ないこの一言は、意外なことに塚原に今までにないような大きなダメージを与えたようだ。頬を紅潮させ、うっすらと涙を浮かべながら「私にはこの道しかありません。ここに居たいのです」と言ったのだ。塚原が感情的に私に言い返したのは、これが初めてだった。
 しかし、塚原のこの発言は私のかんさわった。なので、ここぞとばかりに畳み掛けて口撃した。

「はぁ?  この道しかないやと?  自分がやりたいだけやろ。何勘違いしてんねん。お前でも出来る仕事ぐらい、社会の底辺さらえば幾らでも転がってるわ。お前なんか、底辺の更に下にぶら下るレベルのクソやろが。それとも、あれか、もしかして、この仕事やったら出来るとでも思ってるんやないやろな?  ふざけんなよ!  そんな甘い世界ちゃうわ!  いつも簡単なことでも、すぐ病気の所為にして出来ませんって言うてるやん。初歩的なことも無理やのに、この先、その身体で何が出来ると思ってるん?  入り口で、と言うか、入り口のドアの前で躓いてんやで。重たい物は持てん、固いネジは回せん、ろくに工具は使えんし、見たことないレベルの不器用、物理の理論も理解出来へん、平均律もろくに作れん、必要な数値も覚えられんし……むしろ、一番向いてへん道やん?  それに、もし最低限の技術身に付けたとしても、その後どうするつもりなんや?  どこの会社が、難病で休みがちで何かと制限付きのお前なんか雇うねん?  だから、一人でやっていきたいんやろ?  でもな、誰がお前に仕事を依頼するんや?  もし依頼されてもな、お前に何が出来るねん?  この仕事、舐めてへんか?  だいたいな、病気以前の問題で、お前、他人とまともに会話出来へんし、目も合わされへんやん。そんなんで、どうやってやっていくつもりや?  お前なんか、ここに居ても意味ないで。やりたいことと向いてることは、一緒とは限らへん。他にも色んな仕事あるやろ。もっと向いてる仕事探した方がええんちゃう?  って言うか、自分に何が出来るか考えてみな!」

 私は、そこまで一気に捲し立てた。途中から自制が働かなくなり、感情を剥き出しに、胸のつかえを全て吐き出したのだ。
 塚原は一点を見つめたまま暫く黙り込み、小刻みに肩を震わせた。やがて震えは上半身全体広がり、激しく嗚咽を漏らすと、顔をクシャクシャにして大泣きした。悔しいのか腹立たしいのか分からないが、いつまでも泣き止まなかった。



 数日後、工房に来客があった。ご依頼頂いている仕事の進捗具合を、納品が待ち切れずに見に来たのだ。
 この仕事は学校とは関係なく、私が個人で手に入れた大切なお客様からのご依頼だ。開業してから、週に何件かの訪問調律は入るようになっていたが、大掛かりな修理の仕事は初めてだった。下請けではないので粗利も大きく、その分全神経を注いで慎重に取り組んでいた。もちろん、塚原には触らせていない。全ての工程を私一人で行っていた。
 私は、お客様に塚原を紹介した。例の一件以来、流石に休みがちになっていた塚原だが、それでも辛うじて辞めずにいた。
 あの日以降、私は取り立てて彼を虐めなくなったが、それは、彼の存在自体をほぼ無視するようになったからだろう。もう、どうでもよくなったのだ。なので、空気のように扱った、実際に、空気程度にしか思わなくなったのだ。ある意味、虐めより残酷な扱いかもしれない。
 そのクセに、「彼は、難病と闘いながらうちで技術を学んでるんですよ」「ほぼボランティアで彼に指導してましてね」「ハンデ抱えてても、何とか一人前に育てたくて……」と、お客様には「良い人アピール」に塚原を利用させてもらった。塚原は、珍しく不服そうな目をしたが、黙々と作業に没頭していた。お客様は、すごく感心して、私を見る目が尊敬の眼差しになった。そんなお客様の表情を見て、心なしか、私も優越感にも似た心地良さを感じた。
 その時に気付いた。理事長が彼を大事にするのも、ハンデを抱えた人材だからなのだ。そう、彼の為を思った支援ではなく、支援している自分をアピールしたいのだ。
 言ってみれば、病人を上手く利用した印象操作だ。クリーンで思いやりのあるイメージを創り出す、広告塔に過ぎない。なので、実際に面倒を看るつもりはなく、その一番嫌な役どころを私に押し付けているのだ。そうか、それなら少しぐらい、私もイメージアップに利用して良いじゃないか……そうして、私は罪悪感を消すことに成功した。

 しかし、その数日後、ついに彼は致命的な失敗をやらかし、それを機に、ようやく彼との関係に終止符を打つことになる。


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