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彼女達のピアノ 第3話

第3話 『彼女の理由』

 私は、業務の一環として、ピアノの買取業も行っております。と言っても、複数の大手買取業者と提携しており、買い取ったピアノは全て横流しにする為、単なる「窓口」として取り組んでいるだけですが、そこにも色んな物語が潜んでいるのです。



 もう誰も弾かないし、使う予定もない。長年音を出したこともないし、調律もしていない。楽器というより、不便な物置として部屋の片隅で佇んでいる。
 それでも、売るつもりはない……。

 これは、ピアノの買取業に携わる者として、一番対応に苦慮するお客様です。
 もし、それがものすごく良いピアノで、何十万円、何百万円もの査定が付くのなら、まだ交渉の望みも持てるでしょう。しかし、現実は残酷で、大抵はせいぜい数万円しか(という表現が適切か分かりませんが)値が付かないピアノなのです。
 いや、数万円でも付けば、まだマシかもしれません。下手すれば、幾らか処分料を支払って頂くケースもあるのです。ただでさえ、手放すつもりのないものを、お金を払ってまで……なかなか至難の技なのです。

 実際の対処法として、私の場合は、情と自尊心に揺さぶりを掛ける交渉に徹しています。つまり、使わなくなったとは言え、思い出の詰まった大切なピアノ、手放したくない気持ちもよく分かる……と理解を示すことから交渉を始めます。
 しかし、楽器は使ってこそ価値のあるもの、様々な事情で、新品を買えない家庭も少なくありません。また、海外ではたとえ新品でも、信頼性に欠けるメーカーのピアノも沢山存在しており、劣悪なモノを掴まされるより、日本製の中古の方が信頼性が高いと評価されているのです。しかも、劣悪な新品より日本製の中古の方がずっと安価です。
 国内国外問わず、そういった巡り合わせで、このピアノを手にした人から、世界的なアーティストが育つ可能性もあります。そこまでではなくても、次のユーザーが大切に使い、音楽を奏でてくれるでしょう。ここで使われずに眠っているより、ピアノにとってはずっと幸せではないでしょうか。
 このピアノは、まだまだ演奏可能な状態ですし、大切なピアノだからこそ、誰かに使ってもらうという選択肢も、どうかご考慮頂けないでしょうか。ピアノとの思い出がなくなるわけではありません。それよりも、このピアノが世界の何処かで大切に使われていることを想像して欲しい……そんな話を繰り返すのです。

 時に、エコの観点からの説得も試みます。
 ピアノには木材だけでなく、フェルトや皮革など大量の天然素材が使われております。また、一台のピアノを作る為に、沢山の動力(エネルギー)も必要です。
 中古再生は、リサイクルと同じです。必要最低限の部品交換は行うにしろ、少なくとも本体の木材だけでも大量の資源が節約されるのです。つまり、ピアノを手放すことは、大きなエコ活動と同じです。

 それでも、やっぱり置いておきたいという方も珍しくありません。その理由のほとんどは、ほぼ二つに絞られます。
 一つは、予定にはないものの、将来、孫や身内が習い始めるかもしれないので、その時に新たに購入するよりも、出来ればこのピアノを使って欲しい、という未確定な根拠のない期待。もう一つは、やっぱり思い出との決別に対する躊躇とでも言うのでしょうか、どうしても手放したくないという「執着」に近い感情です。
 このいずれかの感情が強固な方は、もう何を言っても無駄なのです。こちらが何を言おうが、要するに売るつもりは全くないのです。



 しかし、ここにきて、ピアノを手放したくない事情の、過去に経験したことのない新たなパターンに直面しました。
 これは、つい最近に体験した実話です。ある方からピアノの処分を打診され、査定に伺いました。とてもお洒落なリビングに、綺麗に手入れされた木目調の小型アップライトピアノが設置されておりました。
 ただ、手入れされていると言っても、外装が清潔に保たれているだけです。実際には、十年以上もメンテナンスを受けていない為、内装は埃だらけ。意外と湿気の多い部屋なのか、若しくは加湿器や観葉植物の影響なのか、アクションは湿気の影響で動きが鈍っており、フェルトのパーツは虫に喰われ、弦も錆びています。
 実は、楽器自体、見た目のインテリア性だけを優先された三流ピアノです。平たく言えば、見てくれだけは良い楽器。音もタッチも品質も劣悪で、査定額は頑張って一万円です。
 それを伝えると、お客様はショックを受けたようです。どうやら、三十万円ぐらいで買取ってもらえるものだと勝手に思い込んでいたようです。いやいや、二十五年も前に製造された、当時四十万円ぐらいのピアノですよ、と伝えたところで、思い込みは簡単には覆りません。むしろ、私に騙されているとさえ思ったようで、不信感アリアリの表情に変貌しました。
 なので、「他の買取業者にも査定してもらうのはいかがでしょうか?」と提案し、査定に必要なこのピアノのメーカーと機種、製造番号を教えてあげました。

 数日後、お客様から連絡がありました。他業者数社に査定を依頼したところ、全てマイナスの査定になったとのことです。予想通りです。
 余談になりますが、買取業者は、私のような底辺フリーランスでも、一応は専門業者からの依頼として、少しでも利益に繋がるようにという配慮から、一般からの依頼よりは少し有利な査定を提示してくれることが多いのです。特にこういう安価なピアノに関しては、少なくとも私の査定より良くなることはないのです。
 お客様の話は、要するに「まだ決断は出来ないけど、売るとしたら貴方にお願いします」という内容でした。
 しかし、その連絡以降、数週間も音沙汰がなかったので、結局はピアノはどうされますか? と問い合わせてみました。すると、彼女からビックリするような返事が来たのです。

「ピアノの処分は、しばらく見送ることにしました。折角良い査定をしてくださったのに申しわけありません。実は、あの後ラガマフィンという猫を飼うことになったのですけど、この子はピアノの上が落ち着くみたいで、いつもピアノの上で寛いでいるのです。居場所を奪うのも可哀想だし、私もピアノの上で寝ているこの子の写真を撮るのが楽しくて……云々」と書かれていました。
 要するに、映え写真を撮るためにピアノが必要ってことのようです。綺麗なリビングにお洒落な木目調のピアノ、そしてゴージャスなラガマフィン……少なくともピアノはハリボテですが、写真ではさそがし「映える」ことでしょう。その画像をSNSで配信して、色んな方に見てもらい、褒められ、羨ましがられ、承認欲求と自己顕示欲を満たしたいのでしょう。

 では、そこから一歩進めますと……いずれ、映え写真の為だけに、ピアノを購入してくれる時代になるかもしれません。それにあやかり、観賞用(鑑賞の誤変換ではありません)ピアノなんてものも、開発されるかもしれません。
 もしそうなると、停滞期が続くピアノ業界も活性化され、私の家計も潤うでしょう。その時が来るのを、今からとても楽しみにしています。
 多分、来ないけど。

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