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ベロニカは死ぬことにした

(大昔に書いた個人ブログからの転載です)

 真木よう子さん主演で映画化もされたそうですが、原作を読んでの感想です。

 まず、舞台が精神病院ということもあり、テーマの一つは「狂気」です。
 でも、「狂気」を語る前に「狂気」とは何か? という定義が必要になりますが、その為に作者はまず、 「普通」とは何か? ということを、登場人物の精神科医を通じ論じています。
 そして、その「普通」から逸脱したものを「狂気」とするならば……というアプローチですが、では、「普通」とは何なのでしょうか? 

 大勢が「普通」と考えるから一般的に「普通」であるように思われているだけで、タイプライターの文字配列やフィレンツェの時計を例に、「普通」でない物、不自然な帰結も「普通」とされていることがあります。 
 しかし、一旦「普通」になった物に対しては、人は誰もそのことを疑問に思わないのです。

 とは言え、先の例のように、実際に「普通」とは思えない事象も、いつしか常識のように、または当然として、「普通」として捉えられている現実がある以上、「普通」から外れた「狂気(若しくは異常)」も、もしかすると一概に「狂気」とは言えないのかもしれません。 
 いや、むしろ「狂気」とされていることにも、人間として健全なことはあるのかもしれません。 
 本来なら、それこそが「普通」であるべきことも、「狂気」のように捉えられているケースもあるかもしれません。

 物事の本質を純粋に見つめ直した時、それが本当に「狂気」なのか、ひょっとしてそれこそが「普通」ではないのか……そういった提言を作者が訴えているのかなぁ、なんて思いました。

 そして、この作品のもう一つのテーマは、「生きること」と「死ぬこと」です。 
 生と死に、真剣に向き合ったことのある人は少ないと思います。 
「生きること」を強く意識し、その上で「死ぬこと」も考えてみます。そうすると、「死」を単なる恐怖や憧れ、疑問……といったものとして見られなくなるかもしれません。 
 では、逆に強く「死」を強く意識して「生きること」を考えると……そうすれば、きっとより密度の高い「生」に目覚めるでしょう。 

 まさにこの本の主人公ベロニカは、そういった経緯を経て、いつの間にか自分で閉ざしていた心の扉を開き、そこから自己探求が始まったのです。 

 とても有意義で重いテーマと向き合えるステキな小説だと思いましたが、非常に残念な点は、翻訳が酷すぎることです。
 私の読解力に問題がある、と言われればそれまでですが……日本語として成立していない(としか思えない)文章も多く見受けられました。全体的に文脈はヨレヨレですし、ストーリーを見失ってしまう程ではないにしろ、時々誰が主語なのかさえ(私には)判別出来ない文もありました。
 その点は、想像力で補いながらも、ある程度の我慢が必要かもしれません。

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