見出し画像

羊の瞞し 第2章 NOSTALGICな羊(5)

前話目次

(5)訣別のノクターン

 調律学校での響は、ズバ抜けて成績が良かった。
 もっとも、小学生の頃から父の工房で作業を手伝い、部品や工具の名称を覚え、アクションの構造を理解し、音やタッチの調整を目の当たりにしてきたのだ。更に言えば、高学年になる頃には、簡単な作業も熟すようになり、調律もユニゾンやオクターブを合わすぐらいは出来るようになっていた。つまり、同級生が二年間の学校生活で学ぶことの大半を、響は入学前に既に身に付けていたのだから当然の結果だろう。
 もちろん、本人の持って生まれたセンスも卓越していたし、誰にも負けないぐらいの努力も重ねた。その上で、学校では、新たに身に付ける技術や知識に注力していたので、大した労力もなく、常に成績トップに君臨し続けることが出来たのだ。

 しかし、学校生活の優越感とは裏腹に、家庭内不和による不穏なストレスは、響の精神的健康を疲弊させた。
 両親の仲は、誰がどう楽観的に見ても、もう修復不可能だ。仕事のない父を露骨に軽蔑する母。家計を依存しながらも感謝の念のない父。家事を押し付け傲慢に振舞う母。その所為で仕事が出来ないと言い訳する父。
 響にとっては、どちらも大切な親だ。父からは、ピアノの技術や知識を教わった。どんな授業よりも、実体験に敵うものはない。子どもの頃から様々な作業を手伝わせてくれたことは、調律師として歩んでいく上でかけがえのない財産となるだろう。
 一方、母からはピアノ演奏を学んだ。スキルだけでなく、音楽の表現力や感性を磨き、演奏する喜びを知った。調律師として、物理的な視点だけでなく、表現者の感性を共有出来ることは、大きな武器になるだろう。
 松本家の特殊な家庭環境だったからこそ、今の自分がある……その点は疑いがなかった。だからこそ、両親に感謝もしていた。と同時に、どれだけ拒絶しようとしても、否応にも両親の嫌な面が垣間見えるようになった。
 時折、吐き気を催すぐらいに父を、母を、そして、彼らの子であることを嫌悪した。もう、ここに居場所はない。卒業して、仕事に慣れてきたら家を出よう……響がそう考えるようになったのも、自然な成り行きだろう。

 自身の存在が、両親を無理矢理繋ぎとめていることぐらい、響には分かっていた。「子はかすがい」とはよく言ったものだ。響という鎹を失うと、両親がどうなるかぐらいは想像出来た。
 しかし、よく考えてみると、むしろその方が互いの幸福を見出せるのでは? と思える程に、両親は息苦しい関係に陥っていたのだ。そう、鎹で二人を繋ぎ止めているのではない。鎹に引っ掛かって身動き出来ないだけだ。
 いっそのこと、足枷あしかせと呼ぶべきではないだろうか。「子は足枷」……言い得て妙だ。



 調律学校二年生の三月、卒業式を間近に控えた時期のこと。
 響は、夏には居住する笠木市から30kmほど離れた隣市にある、県内最大手楽器店への就職が決まっていた。自動車通勤を認められた為、辛うじて通える距離だ。三学期は学校の許可の元、殆んど出席することはなく、就職先での研修がメインとなる生活を送っていた。もっとも、その時は公共交通機関の利用を義務付けられていたのだが。
 こういった卒業前から研修が始まることは、響に限った話ではない。内定先の企業の方針により、専門学校ではカリキュラムよりも社内研修に充てがわれるケースも珍しくない。

 そんなある日のこと、ついに美和が家を出た。
 厳密には、身の回りの荷物と共に家に帰って来なくなった。どうやら、響の卒業まで待てなかったのだ。美和にとって、宗佑との暮らしは限界だったのだろう。かすがいの片側を無理矢理引き抜き、接続を解除したのだ。
 この時期には、響の学費や卒業までの通学定期代等、必要な支払いは既に済んでいた。また、在学中に取得が推奨されていた運転免許も、美和の支払いにより済ませており、響の通勤の為に中古車も購入していた。これで、松本家への役割は全て果たしたと判断したようだ。
 残された宗佑は、幼い子どものようにオロオロした。これは、響には予想外だった。響の存在の為に、渋々繋がってるだけの夫婦だと思っていたからだ。
 ところが、その予想は美和だけにしか当てはまらなかったようだ。宗佑は頻繁に妻の携帯に電話し、メールを送った。しかし、何度試みても連絡は取れないようだ。勤務先の学校に電話すれば容易に連絡が取れそうなものを、それをする勇気はない。
 そもそも、宗佑は事態をよく飲み込めてない上、理解も追いついていないのだ。父親として、夫として、一家の主人として、何も努めを果たさなかったクセに、妻はずっと傍にいてくれるものだと盲信していたのだ。険悪な関係になりつつも、夫婦の絆は固いと勘違いしていたのだ。
 しかし、もう全て手遅れだ。美和の不満の蓄積は、既に除去不可能な高さにまで達していた。

 響は、母が出て行ったことに対する悲しみよりも、母に先を越された悔しさが勝ったことに自分でも驚いた。自分が先に出て行きたかったのに……あと少しだけ待ってくれれば、と恨めしくさえ思えたのだ。深層心理の何処かで、こうなることは予感していたのだろう。なので、想像以上にその時期が早かっただけで、美和の行動そのものには驚きもなければ悔しさもないのだ。
 現実問題として、残された響にとって、父を残して家を出難くなったことは事実だ。逆に、もし自分が先に家を出ていたとしたら、果たして美和は残ったのだろうか?
 ……確信にも似た直感で、響の導き出した回答はNOだ。美和は、どちらにしても出て行っただろう。
 しかし、響の選択は違った。悩んだ末に、ずっと残ることにしたのだ。情緒不安定になった父が心配だったこともあるが、家のローンも払わないといけないという生々しい問題にも直面したのだ。そう、今までは当たり前のようにこの家に住み、暮らしてきたのだが、ローンや光熱費、生活費など、全てにおいて、美和の経済的な負担があってこそ成り立っていた生活なのだ。

 何も言わずに出て行った母、電話にも出てくれず、今何処にいるのかも分からない母を恨めしく思う気持ちと、今までの苦労を気遣い感謝する思いが複雑に入り乱れ、平常心を保つのが精一杯だった。怒りに流されそうになり、泣き出しそうにもなった。
 しかし、その複雑な感情の矛先は、誰に向けるべきなのか分からない。しっかりしなくては、と意思を固めても、次の瞬間には自暴自棄になる。
 ややもすると壊れそうになる感情をギリギリの所でコントロールし、辛うじて「平穏」の範疇の淵に踏み留まっていた。

(次へ)