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表現がもつ力✴︎希望を抱いて

わたしたちは生きている 

毎朝 起きて 顔を洗う という 繰り返しの行動は

”身体がある”という事実と ”身体がある”という奇跡 が成し遂げている

この身体は、確かに 父や母の面影を写し・・・その先何代と続いてきた命のリレーが確かにそこに ある

新型ウィルス後の世界はすっかり変わった

ひとりひとりの価値観・考え方はそのどれもが正当でありながら 正解不正解がない。 

自分と違った考えにであっても、よくよくその方の人生を感じるときには、その考えに至る背景を感じ、なるほどと思えるものだ。

でも、それは希望とともにあるのか。と、問いたい。

外側に原因があるのではなく、すべてはいつも内側に原因があるのだから。

コンサートの形を模索する

2018年に、ファーストソロアルバムのリリースを皮切りに、本格的にソロピアノ活動を開始した。

その時に地元紙に取り上げていただいた流れで、地元でイベントを開催している主催のかたから、演奏依頼をいただいた。

木崎湖畔は日本の原風景がそのまま残る美しい場所で、その大地や自然、暮らす人々・地域への思いをもつ方々とのご縁に導かれ、その後も、幾度か、コンサートを開催してきた。

音楽や文化的活動がもつ力をわたしはこう考える。人のこころを癒し人と人との繋がりを育み、大地や自然など声なきいのちとの繋がりをも育み、わたしたちがここに生きている繋がりへの意識を取り戻す。そのような感覚や安心感を得ることは、それぞれの人の力がますます発揮される方向へと動きだし、活気ある地域が成長していく。

秋田県でも、幾度かのコンサートを積み重ねてきた。そこには、ある女性との古き長きご縁の繋がりがある。彼女と出会ったのは2007年に名古屋で開催したライブ会場だった。その後、彼女が結婚し、新潟に引っ越したタイミングで、新潟でのコンサートを企画していただいた。その後、旦那さんのお仕事の転勤で秋田へ。そして、わたしは彼女とのご縁により、秋田県でのライブを重ねてきた。

今年度のわたしのコンサートも、もちろんこれらの場所での開催をイメージしていたが、コロナ後の社会基盤、生活様式の変化の最中、いままでにはないアイデアやチャレンジを試みることになった。

そして、感染を防ぐためのガイドラインに沿った形でのコンサート開催や動画での作品発表などにチャレンジしている。

そして、あらゆる人たちの心配や不安の表れをみながら、深いところから湧いてくる疑問。

果たして本当にそうなのか? 

わたしたちは 何を恐れているのか? 

意味付けが 未来を創る

マスクをつけないと 買い物に行きづらい風潮。そこにはもちろん正当化できる考え・理論もある。

本当は必要ないのでは?と思いながら、、マナーとしてつけていく。

仕事上、県外の人と接触する機会が多いから、習い事を休むことにした。

仕事上、旅を自粛している。

歳をかさねてきたから感染したら死んでしまう・・・。

日常に現れた、あらゆる新しい考えやマナー。

わたしは どれも 変だ! と思っている。

”死への恐れ”から逃げているだけのように感じる。

社会の風潮にあわせたほうが楽だし。

”ハートの声”を聞き、従うことを忘れてしまっただけ・・と感じる。

すべて頭で理解し安心したいとおもっているのに、情報や考え方を 偏った場所からしか得ていないことも多い。

でもだからといって すべてなるほどね そうだよね。って。

だから、わたしは私自身が何に注目していくかを明確にするとき、こう問いかける。

”明日死ぬとしたら、今、いかに生きるか?”

世界が自由だったら。世界に感染病がなかったら。こうする。

と、此の期に及んで、そういうのか?

自由とはどこにあるものなのか?

そもそも今現実のものが、もしも無いならという想定のなかで考えを巡らせて何になるのか?

すべての理由づけを外側に向けているということでは、ないのか?

わたしのなかのこたえにたどり着く時、

”自由は外側にはない” ことを知る。

私たちが自分自身に誠実でなかったことが、世界を創り、このような社会が現れたのではないか?

自由を求めるなら、それは 内側にある。内側にある。そこからはじまる。それは必ず、形になっていくのだ。

わたしたち一人一人にその力がある。

まずはそれに気づいている者たちがはじめていくしかない。

ひとりひとり、それぞれのプロセスがある。すべての人がそれぞれのプロセスを歩んでいる。だから、それに気づいた者たちがはじめる。シンプルにただ、それだけ。

それは、自分のためであり、結果的には世界のためになるということを、確信している。

なぜ いつまでも、外側を理由にして、ハートの声を無視するのか。

今のわたしたちの内側の状態が、これからの世界への影響となるんだ。

今をどう意味付けるかで、未来が形づくられていく。

音を届けることは生きている証し

秋田ツアー”きらめき”solopianoLIVE 9/26,27が決定し動き出している。

新型ウィルス対策も行い、あらゆる方が安心して集まれるように配慮した形での開催を準備している。

コロナ後の今、ハートで生きることの大切さを噛みしめる。

生・死にみる美しさ"きらめき"をテーマに、即興でピアノの音を紡ぎながら、新しく生きる力に繋がる時間を届けに旅します。

その時期、わたしは妊娠8ヶ月を迎えるころです。

各地でオーガナイズしてくださる皆様とともに、あらたな社会基盤を育む希望の光となるコンサートを練り上げています。

コンサートの詳細については、ホームページfacebookページにて更新していきます。

こちらは秋田県大仙市でのDijuDijuのチラシ

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言葉にすることは、どこか、確固たる何かを想像させる力があります。

だからこそ、言葉にしたい。

わたしたちは絶対に大丈夫であり、より良き未来に向かっている。

なぜなら、成長への欲求は本能的なものだから。

この新しい社会において、希望を抱き生きるということは、

死も生も含んだ 今を 体中で感じながら生きること。 

良いも悪いもない!!!!

身体があるからこそ体験できるあらゆる実感体感そのものの豊かさ。

わたしたちはどこまでも図太く生きぬく。

身体にはそれそのものの知性があり、どんな時も生きようとしている。

そしてその時がきたならば、身体は死を迎え、大地に還り、子孫や未来につづく命たちへの肥やしとなるのだ。

希望を抱いて。



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