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「幸せな仕事」はどこにある?

親戚のTさんの会社が倒産した。地場の印刷会社だった。

地方の小さな印刷会社の得意先は、えてして地元のスーパーや飲食店だ。コロナ禍でそんな得意先からのチラシの発注が止まり、一方で中小企業とはいえ飲食店の何倍もの従業員や設備を抱え、経営の舵取りはさぞ難しかったことだろう。

Tさんの会社はそんな苦難のコロナ禍をなんとか乗り切った。そして、飲食店に活気が戻り、地元の経済が回り始めた矢先、まさにこれからというところで力尽きてしまったのだった。長い洞窟の出口で、もう目にすることはなかったかもしれない日の目を見て微笑み、そして命果てる勇者のように。

去年の夏、実家に立ち寄ったとき、ふとした折にTさんのことを思い出した。近況を尋ねる僕に、母親はそういえば言ってなかったっけ、という顔をする。そして次の句を聞いて、僕は膝に乗っていた猫が慌てて飛び降りるほどの大声を出してしまった。猫はそそくさとベランダの際まで避難し、冷たい窓ガラスにもたれて批判がましく僕を見る。

僕はその印刷会社に、少なからぬ思い入れを持っていた。実家の近くにあったかつての本社兼印刷工場には、紙の切れ端をためておく大きな木の箱があったのだが、その「紙のプール」は、僕たち兄弟や従姉妹たちの大好きな遊び場だったのだ。

会社の工場に親戚の子供が出入りして遊び回る。そんな光景は、年に数回なら微笑まくもあるだろうが、毎日のようにとなると、眉を顰める人がいてもおかしくはない。それでも僕たちがあの「紙のプール」に通い続けることができたのは、社長であるTさんがいつも笑顔で僕らを迎え入れてくれていたからに違いなかった。

Tさんは、小学校とともに「紙のプール」を卒業した後も、僕の人生にたまに登場しては短編映画のような思い出を残してくれた。ある日の高校帰り、一人で駅へ歩いていたところ、車道を行くシルバーの「クラウン」が速度を落として僕の真横に停車した。不思議に思って運転席を見ると、Tさんが笑顔で手を振っている。あの日、紙のプールに僕らを迎えてくれたのと同じ笑顔だ。

Tさんは客先から会社に戻るところだったようで、当時は会社のすぐ近くだった実家まで僕を車で送ってくれることになった。その頃のTさんは、親戚一同から「あの人は少しおかしい」と言われていた。連日昼夜を問わず取り憑かれたように働き続けており、家族や親戚が少し休めというと、「これは戦争なんだ」と真顔で答えるという。

そんな親族の噂話とは裏腹に、クラウンの運転席で僕の高校生活や進路について尋ねるTさんは、子供の僕に目線を合わせて語りかけるあの日のTさんと何も変わらなかった。ミュージシャンを目指している、とぎこちなく語る僕を、やるなら本気でやれよと笑顔で肯うその目には、しかし子供の頃には気づかなかった凄みのようなものを感じた。

僕が最後にTさんと会ったのは、母親から倒産のニュースを聞く半年ほど前のことだった。用事があって立ち寄った実家を後にすると、少し離れた路地でTさんとばったり出くわしたのだ。実家の近くにあったTさんの印刷会社兼工場は、僕が大学生の頃に市内の別の場所に移動しており、跡地には全く関係のない清掃会社が入っていた。だから、そもそもそのあたりでTさんを見かけること自体、下手したら20年ぶりかそこらだったはずだ。

長い月日の後でも、僕はTさんをすぐに認識できた。世間一般ではお爺ちゃんと呼ばれるような歳だったが、Tさんが身にまとう覇気のようなものは、クラウンの運転席で僕の夢を肯定してくれたあの日のままだった。ただ、会話をするには少し距離が離れすぎていたのと、十数年の間に積もり積もった近況に何から話したものかと気圧されてしまい、僕は大袈裟に驚き会釈をしてみせただけで、その場をそそくさと立ち去ることにしてしまったのだった。

これはただの後知恵かもしれないが、あの時Tさんは僕に何かを言いたそうだった。母親によると、会社を畳んだTさんは、上越にある奥さんの実家に引っ越したのだという。同じ街に住んでいても、たまに会うのが10年、20年ぶりという世界なら、僕が今後Tさんに会えるチャンスは限りなくゼロに近いだろう。どんなに恥ずかしかろうが、どんなに気まずかろうが、僕はあの時Tさんに声をかけておくべきだったのかもしれない。

「幸せな仕事はどこにある」。そんなタイトルの本を書いている間、僕はしばしばTさんのことを思い出した。Tさんが巡り会った、地場の印刷会社の経営者という仕事は、果たしてTさんにとって「幸せな仕事」だったのだろうか、と。文字通り「仕事の鬼」となって一心不乱に育て上げ、生涯のほとんどを捧げた印刷会社は、今は倒産を知らせる地元のニュースにその名を残すのみとなってしまった。

長年苦楽をともにした仲間、信じて付いてきてくれた社員からは、図らずも仕事を奪うことになり、自分自身誰よりも経済的な負担を負ったに違いない。それも人生の最晩年にだ。会社経営にはリスクもあれば夢もある。それはわかっている。わかってはいるけれど、僕が知る限り、Tさんは決して一攫千金やいわゆる「成功者」を夢見ていたわけではなかった。

会社が軌道に乗っていた時期も、自身は倹約を貫き、儲けは次なる会社の成長に向けた投資に充て続けてきた。Tさんの会社が、ネット社会やスマホ社会を乗り越え厳しい印刷業界で何十年も生き残ってこれたのは、そんな堅実な経営ゆえに違いなかった。そんなTさんのキャリアの終着点が、職業人生の集大成が、全てを捧げた会社の倒産だなんて。

でも、それでも僕は思うのだ。Tさんの職業人生は幸せだったのだ、と。Tさんが見つけたのは「幸せな仕事」だったのだ、と。実家の近くの路地で遭遇したとき、Tさんの顔に浮かんでいたのは、僕にとってはTさんのトレードマークとも言えるあの笑顔だった。あの時Tさんが僕に伝えたかったのは、会社の倒産を知らせるニュースなんかではなかったのではないか。

ミュージシャンになるって言ってたな。本気でやったか? 今は何をやってるんだ。本気でやってるか? 憂いなどそのかけらも感じさせなかったあの日のTさんは、今僕の心の中では、笑顔でそう僕に語りかけている。あのTさんの笑顔がその答えなのだとしたら、幸せな仕事とは、きっと何かを成し遂げることではないのだ。何かを得ることでも、何かを残すことですらない。

会社を立ち上げて間もない時も、事業が軌道に乗って多忙を極めたときも、その全てが無に帰してしまった時も。そのすべてのタイミングで、Tさんは常に本気で走り続けていたのだろう。夜空に自分だけの北極星を掲げ、それを仰ぎみて前進を続けていたのだろう。ときに足踏みし、ときには足を踏み外しても。そして、どこかで、そこには永遠に辿りつけないということがわかってしまっても。幸せな仕事とは、結果ではなく、そんな「過程」を言うのではないか。

おわり

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幸せな仕事はどこにある: 本当の「やりたいこと」が見つかるハカセのマーケティング講義

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