ある医師の所作に思う
こちらには(整形外科の個人病院)数年に一度のペースでお世話になっています。
初診はかれこれ7、8年前になりますが、当時職場が変わりデスクワークから立ち仕事が増えたことで足の不調を感じるようになったので診ていただきました。
初めての診察は、先生の元気で(子供っぽい表現ですが本当にそんな感じで)大きな声で呼ばれたところはちょっと刺激的でしたが、診察室にいらした先生は映画やドラマに出てくるまさに外科医という風体で姿勢よくキリッとした紳士でしたので、私は少しの緊張と安心を感じました。
結局、その時は立ち仕事でも足に負担がかかりにくいような方法を教えていただき、それを実践後は症状が治まったので受診して良かったなと思った次第です。
以後、整形外科といえばこちらにお世話になっています。あ、いやこの前休日に怪我した時は別の整形へ行きましたが…。
先生は診察中もハッキリ大きな声で話され、ちょっとぶっきらぼうな雰囲気かもしれませんが、診断結果を説明する際には、医学書を持ち出して解説されることもあり、とても丁寧な対応に感じます。
追記
先日、数年ぶりにこちらを受診した際に印象に残ったことを書きます。
いつものように先生の元気な声で診察室に呼ばれたので、調子の悪い身体のせいで調子が悪かった気分も少し上がった感じでした。
ただ、診察を受けると思ったよりも症状がよくないようで、大きな病院への紹介状を書いて頂くことになりました。
この時、
一般には「では帰りに受付で紹介状を受け取ってください」とすぐに診察は終わりそうですが、先生は私の目の前で紹介状を書いてくださいました。
それも、とてもゆっくり、丁寧に。
私はこの時「ああ、この先生は本当に尊敬できる立派な先生だな」と思いました。
ごめんなさいね。人によっては前述のように紹介状を書いてもらっている間はもう待合室に戻ってスマホでもしていたいと考える方もいるかも知れません。多分うちの奥さん><
でも、私はこの時、この先生の所作にしばし見惚れていました。
後付けですが、この時の「ゆっくり、丁寧」に書くという態度に敬意を感じたのだと思いました。
手紙ですから、それを受け取る相手の先生はもちろん、患者さんへ、さらには医療そのものへの敬意です。
たまたま私が見ていたからでしょうか?
それでも良いと思います。その人の前では丁寧に振る舞わなければならずにいられない。それこそが敬意なわけですから。
神様からもらった人体ですから、本来人間の診断、治療、メンテナンスに限界はあります。
だとしてもお医者さんというのは結果で評価されるのでしょう。
そもそもお医者さんを尊敬したところで病気が治るわけでもありません。
逆に世界を見渡せば、善悪を判断できないようなバックグラウンドであっても、その技術によって命が助けられるという事例も聞きます。
それでも私がここに報告するのは、
こういった傑出した人物の態度に触れたときこそ、私たちが生活するこの町や社会が信じるに値し、翻って人生が生きるに値するものであることを確信できると思うからです。
傑出した人物の態度というのは何も地位が高い人物の態度という意味でなく、どこのどんな人物においても傑出した態度がある事を示しています。
今回の出来事は、物事に対する丁寧な態度をあらためて教わりました。
忙しい時にはついつい周りへの態度が雑になってしまうことがあります。
玄関に靴を脱ぎ散らかしたり、肘をついて食べたり、足で引き出しを閉めたり、逆さまに押した宅配伝票へのハンコ、店員さんへの横柄さ、繰り返される子供のワガママへの無視。
忙しい時や不調な時はしょうがないです。それは。
でも、そういう他者への雑な態度が「繰り返される」なら、行き着くのは自分自身への雑な態度であり、それは人生の価値を下げるのではないかと考えます。逆もまた真なりですが。
先生や親と呼ばれる存在は尚のこと、かくあるべしと感じた瞬間でした。
生命やモノを、丁寧に。
令和3年6月3日 五月の涼しい風が吹く日に 6月ですが
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