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ベルギーを留学先にした理由

最近、なぜか留学の頃のことをよく思い出すので、今日は、なぜベルギーを留学先にしたのか、について書きますね。

桐朋学園大学での生活も後半になると、だんだん卒業後を考えるようになりましたが、当時は、留学して音楽の勉強を続ける人が、わりと沢山いました。私も、卒業後は是非、クラシックの本場ヨーロッパに行って勉強してみたい、国際コンクールにも挑戦してみたい、という思いがあり、両親もそれを理解して、行きたい場所に行ってみたら?と応援してくれていました。特に裕福ではなく、普通のサラリーマン家庭でしたので、行かせてもらえるからには、何でもしっかり吸収してこよう!という思いを強くしていました。

そこで、どこにどのような先生がいるかを調べていましたが、正直に言って、特にこの先生に習いたい!と思う先生はいませんでした。では、どの国にしよう、ドイツかフランスか・・・などと考えていたのですが、当時の私はドイツ(またはフランス)の作曲家を中心に勉強したい、という風には思えませんでした。とにかく魅力を感じる作曲家が多すぎて、幅広く勉強したい!と思っていたのです。(この感じは、今も全く変わりません 笑)もちろん、ドイツでドビュッシーを学ぶことは出来ますし、フランスでベートーヴェンを学ぶことも出来る。幅広く教えてくださる先生も多くいらっしゃいますが、なんとなく私の中では違和感があって、やっぱりドイツに行ったらドイツものを中心に学ぶのが自然のような気がしていました。

また、都会に行くのか田舎に行くのか、についても考えました。どちらにも良さがあると思いましたが、たとえばドイツの田舎に行ったとして、コンサートが沢山聴けるかしら?と。ヨーロッパに行けば、安くていいコンサートが沢山聴けると聞いていたので、留学したらとにかく沢山聴きに行きたいと思っていました。

そんなことで、大学4年の前半はいろいろ迷っていましたが、ある時、広島のエリザベート音楽大学での夏期講習の情報が。ベルギーの王立音楽院から先生が来られて、2週間ほどレッスンが受けられるとのことです。ベルギー・・・、ゴディバのチョコぐらいしか思い浮かびませんでしたが、王立音楽院のあるブリュッセルは首都だから、きっと主要なコンサートは聴けるだろう、先生も幅広いレパートリーをお持ちのようだし、世界的に有名なエリザベート国際コンクール(ベルギー)の受賞者であり、審査員もされているから、コンクールへの理解もありそう。また、ベルギーは公用語が2か国語で、フラマン語圏とフランス語圏に分かれているらしく、ゲルマン系とラテン系のどちらの人々の様子も知ることが出来そう、EUの本部もあるし・・・と、だんだん気持ちが向いてきました。当時はインターネットなど無いので、頼れる情報は「地球の歩き方」だけ(笑)。そこに、ベルギーはグルメの国で、本場フランスよりも美味しいフランス料理が食べられる、とあり、それが決め手になりました!(結局、学生には高級レストランは無縁でした・・・笑)

大学4年の夏休みの講習会(広島)では、ベルギーから来られたアンドレ・デ・グロート先生にお会いして、レッスンも受けましたが、レパートリーも知識も幅広くて、とてもいい感じ。何よりも、お人柄が優しくて大らかだったので、安心しました。留学先の一人暮らしはきっと心細いだろうと思っていましたので・・・。そこで、翌年の秋には先生のもとへ留学するお約束をして、1年後の留学に向けて準備をしながら、残りの大学生活と桐朋学園大学研究科の半年間を送ることになりました。

そして翌年の秋には、初めて国際コンクール(イタリア)に挑戦したその足でベルギーに向かい、留学生活が始まったわけですが、期待していた通りの、いろいろな経験が出来ました。まず、コンサートには沢山通えました。多い時は週3回ぐらい行っていたかなぁ。音楽院のホールでは、様々な楽器のリサイタルや室内楽のコンサートが行われていましたが、学生は全て無料。街の大きなコンサートホールでも、学生券はとても安いし、学生用の年間交通パスがあれば、バスもメトロもトラム(路面電車)もそれでOK。コンサートを終えたら、カフェはたいてい深夜まで開いていて、コーヒー1杯の値段でベルギービールが飲めるので、そこで友人達と心ゆくまでお喋りし、夜中にタクシーを相乗りして帰る・・という、少々危険ながら、楽しすぎる日々を過ごしました。

思い出すと、まだまだ出てきますが、今日はこの辺で。そうそう、いろいろ考えて選んだ留学先のベルギーでしたが、思いがけず素晴らしい先生に出会えて、私はこの先生に出会うためにブリュッセルに来たのかな?と思うことがありました。それについては、また追々書きますね♪

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