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【PFFアワード2024】セレクション・メンバーおすすめ3作品《♯06中山洋孝》

『分離の予感』(何英傑)は「換気していない」部屋から「外の空気」を吸うために出ることで終わる。部屋にはレースのカーテンの勢いよくたなびいた窓の写真が飾られている。吹き込んだ風の強さを想像させる画だが、そのような瞬間は映画に訪れない。暗い屋内での息詰まるシナリオの上演から一転、制作の女性による台詞の反復(および監督との切り返し)をきっかけに、彼ら彼女ら「自身」へ近づこうとする光と音の介入は感動的だ。

『分離の予感』

しかしどれほど明るい陽は射しても、ついに窓は開かず風は吹きこんでこない。この限定された空間で発揮される演出力自体は今回の入選作でトップクラスに違いないが、その目指す先はたとえばベルイマンが既に通った道かもしれず、そこから踏み外した危うさこそ見たい。映画を見る側も「外の空気」のようなものを吸いたい。

『正しい家族の付き合い方』

『分離の予感』よりも小さな箱庭みたいな映画が『正しい家族の付き合い方』だ。監督・主演を兼ねたひがし沙優と、プロデュース・出演も兼ねた父親のヒガシ淳郎が既に役者として活動していることを差し引いても、その微笑ましさと不気味さの表裏一体となった手作りの感触が面白い。壁の向こう側との見る・見られる関係を作り出すアイデアも興味深い。

一方で自分自身を見つめ直す試みが、良くも悪くも表現に向かう動機の大半なのだろう。コロナが原因か、または本格的に映画と関わり続ける先行きの見えない状況の反映か、映画作りに関わる上で発生しうる力関係の非対称性の問題かわからないが、予備審査の過程で映画作りを題材にした作品の多さが印象に残った。

『サンライズ』

『分離の予感』も映画のためのオーディションという設定であり、『サンライズ』(八代夏歌)も映画監督志望の主人公を監督自ら演じている。だが『サンライズ』の閉じた印象には、どこか先の見えない不確実な現在を記録するためか、おかしな夢でも見るような忘れがたい魅力がある。紙袋を被った友人の扮する怪物、似顔絵の描かれた微糖の缶コーヒーが日常に潜んで、夜に見る悪夢と、朝に目覚めては向き合わざるを得ない将来の夢がせめぎ合う。その不安は決して他人事ではない。

『わたしのゆくえ』

『サンライズ』とタイトルを交換可能かもしれない『わたしのゆくえ』(藤居恭平)では、探偵社にて映像の編集、報告書の作成をしている主人公が帰宅すると、テレビからイスラエルによるラファ侵攻を伝えるニュースの音声が流れている。このシーンにアキ・カウリスマキ『マッチ工場の少女』の天安門事件、または『枯れ葉』のロシアによるウクライナ侵攻を思い出す人も少なくないだろう。それでも本作のヒロインが秘かに抱いている愛の感情は『枯れ葉』はおろか『マッチ工場~』の悲劇にも発展できない。パレスチナでの虐殺をニュースで知っても通勤時に足音の刻むリズムは変えられない。彼女は日頃からの慣れた手つきで証拠としての映像を編集している。だが編集ソフト越しに男の後ろ姿を追う時、彼女が自ら撮ったと錯覚して没入しているかのように、本作は彼女と映像の関係を繋げる。注目すべきは彼女の台詞の大半が観客に嘘とわかる点だが、涼しい顔で嘘をつくことに慣れた人間とも思わせない。それでも嘘のために、彼女は走り、しかし呼吸の乱れを相手に悟られまいと目標地点では歩行のペースを取り戻す。一方で彼女はパレスチナの虐殺を伝えるニュースに、それほどの動揺もできないように見える。だが映画を見る観客にとっての救いは、この引き裂かれた「わたし」の感覚を記録していることではないか。

セレクション・メンバー:中山洋孝(会社員)

「第46回ぴあフィルムフェスティバル2024」
日程:9月7日(土)~21日(土)
会場:国立映画アーカイブ ※月曜休館

「ぴあフィルムフェスティバル in 京都2024」
日程:11月9日(土)~17日(日)
会場:京都文化博物館 ※月曜休館

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