見出し画像

手からこぼれ落ちていくもの

たしかそれは3月の終わりくらいだっただろうか。まだ暖かいとはいえない気候だったはず。やや厚手のコートを羽織り、いそいそと帰宅の途につく。繁忙期も落ち着き、定時の17時に帰れるようになった頃だった。
いそいそとした足取りは急ブレーキがかかった。目の前の信号が赤に変わったから。ふうと息をついて、んーっと伸びをした。信号を待っている間、ふと目線を左にやると、キラキラとしたネオンが光っていた。

もしかしたら、来週には大きく事態が変わっているかもしれないね、と会社の人と話していたけれど、自分が思っているよりも社会はゆっくりと変わっていく。ほんとうに大きく変わるのか、それともだらだらと今が続いていくのか。そういえば、あの人は3月中にはこういう状況は収まるといっていたけれど、収まってはいないよなあ。人によって考え方が違うとはわかっていたけれど、ほんとうにここまで違うとは思わなかったなあ。そこまで考えて、仕事で疲れて酸欠状態となった私の頭は、思考がストップした。

プップーと車のクラクションが鳴り響く。反対車線の信号が黄色に変わる。その様子を見ていて、なんとなく、このネオンの輝きは、この街の賑わいは、そう長くは続かないような、そんな気がした。


日常が非日常となり、曜日の感覚がなくなりそうになりつつある今、あの感覚は当たっていたんだなとふと思う。ゴールデンウィークが終わったらしいけれど、在宅勤務と出勤を繰り返した4月と、仕事をしていなかったというだけでさして私にとっては変化がない日々だった。もはや今日が月曜日でも水曜日でも、金曜日でも土曜日でも、もうなんでも良いと思ってしまうほど、時間軸が狂っている。
ただただ息をして、ただただものを食べ、ただただ眠っている。そんな毎日を繰り返した。
でも、そんな生活も今しかできないのかもしれない。出口が見えない毎日に、絶対や確実なんていう概念は存在しないのだから。そうなるとどんどん何も考えたくなくなってしまう。以前では考えられなかった毎日が日常となっている今、この毎日さえも送れずになってしまったとしたら。

すくったはずの水は何度も指からこぼれ落ちていく。何度こぼれた水を見つめればいいのだろう。もう前には戻れないと割り切って、新しい生活様式とやらを受け入れた方が良いんだろう。
でもそこまで全てを割り切ることはまだ、私には勇気がでない。まだ以前を全て捨て切るほどの心の余裕がないのだ。だからまだ、その勇気が出るまで、もう少し水をすくわせて欲しい。こぼれていくのがわかっていても。虚な目をしていたとしても。


いつもたくさんありがとうございますっ!