phrase of wonder

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ガンディー本について投稿したせいか彼の名言とされるものが流れてきた。 「あなたがすることのほとんどは無意味ではあるが(略)世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」 でもこれの典拠は1983年のTシャツ広告までしか遡れないらしい🥲

    • 『ガンジーの実像』

      気になっていたマハトマ・ガンディーについての本。訳者が「フランスの知の集積」と呼ぶ叢書「クセジュ」の1タイトルとして1999年に発行されたのが原書。それまで出ていたガンディーに関する資料がよく整理されているのが分かります。 ガンディーと言えば、非暴力で社会を変えた白い服の偉人というイメージがありますよね。あと、にこやかだけど頑固そう。 でもこの本を読むと、なんだかちょっと違う顔というか、偉人というよりは現代の芸能人に近い、それでいて新しい国家すら生まれてしまう時代の大物政治

      • 『茶柱の立つところ』

        小林聡美さんの最新エッセイ! 大学3年のころ、なんとなく大学に行けなくなって、ずっと地元のショッピングモールに入り浸ってる時期がありました。 そのころ毎日のようにいたお店はリブロ(書店)とイタリアントマト。小さなリブロだったけれど幻冬舎文庫が豊富で、当時すでに刊行されていた小林聡美のエッセイを少しずつ買ってパスタを食べながら読み耽るという毎日を過ごしていました。(小林聡美の昔のエッセイのほとんどが幻冬舎文庫から出ています) 「やっぱり猫が好き」というコメディドラマが大好

        • 『零落』

          40代に差し掛かる男の主人公とこのタイトル、それだけで予感されるとおりズシンとした重いマンガだった。 巻頭カラーページの古いフィルムのような色、ブレた夜景の装丁、濃いトーンを多用して稠密に書き込まれた東京の情景。そういったビジュアルも雰囲気を重くする。 作中で訪れる田舎(北茨城~いわき辺りがモチーフ?)は青空の下の風景がいかにも爽やかだし、ユーモアもあって、重苦しいだけの作品ではないのだけど、零落と題される話はやっぱり重い。 この「零落」は、青春の終わりと言い換えられる。青

        ガンディー本について投稿したせいか彼の名言とされるものが流れてきた。 「あなたがすることのほとんどは無意味ではあるが(略)世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」 でもこれの典拠は1983年のTシャツ広告までしか遡れないらしい🥲

          『ナマケモノ教授のムダのてつがく』

          スローライフを提唱・実践してきた著者には、世界が「ムダを恐れ、そこから逃れようとしているよう」に見え、ムダをなくした世界は生きにくい世界でないか、と思えるという。 ムダは非効率と決めつけてしまうような価値観が、本来人生で大切に思える価値を見失わせてしまっている、と。 そういう状況を「解き方の分からない魔法をかけつづける現代社会」と表現しているのに同感。 そもそも、コロナ禍中に不要不急を避けるべしという大号令が響き渡る中、「不要不急をなくすなんて!」と嘆いた若い編集者からの提

          『ナマケモノ教授のムダのてつがく』

          『夢に迷ってタクシーを呼んだ』

          読みながら昔の自分を嫌というほど思い出す。 蓋をしていたできごととか、あのときの周りの人の表情とか、ぜんぶ。 あいててて… って痛みを伴いながら感傷的に読みました。 でもそういう時代の自分が今の自分を創っているのも間違いないし、嫌いかと言われたら、割と気に入っています。 高校時代に日刊で(!)学級新聞を勝手に作り勝手に貼り出していたという燃え殻さんの狂気が今もずっと続いていて、その狂気に読者は魅了されている気がします。 燃え殻さんの文章には希望がある。 燃えたぎるような

          『夢に迷ってタクシーを呼んだ』

          『百年と一日』

          生きる時代も場所も違うのに、妙に自分と重なるような、今どこかの町で起きているような、不思議な読後感を味わえる短編集。 短編といってもあらすじのような長いタイトルから始まる33編もの物語が綴られていて、とにかく新感覚でした…! ぐぐぅっと感情を揺さぶられる物語も好きだけれど、この『百年と一日』は時間の流れを感じる短編集で、不思議な読後感、つまり余韻で心が共鳴するイメージ。 そんなふうに感じながら読んでいたので、柴崎さんが柴田元幸さんとの対談のなかで“時間”について触れる会

          『百年と一日』

          『にがにが日記』

          生活史研究で知られ、大阪と沖縄、そして音楽に魅せられた社会学者・岸政彦さんによる2017年4月から2022年8月までの日常を綴った「にがにが日記」と、愛猫おはぎとの日々を書いた「おはぎ日記」。 岸先生は自己紹介に「打たれ弱い」と書いていて、岸先生が好きな人ならもうそれだけでクスッとはにかんでしまうのだけれど、日記にもそういう性格が滲み出ている。 淡々とした文章は悲壮感を漂わせず、「まぁこんな日もあるよね」とまるで岸先生と向かい合って話しているように読み心地がよい。 不安

          『にがにが日記』

          『虎のたましい人魚の涙』

          くどうれいんさんが会社員と作家を両立し、退職するまでの日々のエッセイ。個人的には『わたしを空腹にしないほうがいい』に続き2作目のれいんさん! ▶︎理想とする大人になれているか不安な人 ▶︎過去の恋愛が散々だった人(!) ▶︎エッセイに苦手意識がある人 どれかに当てはまる方にはぜひ読んでもらいたいです…! 私は昔からエッセイばかり読んでいますが、この本はかなり好きです…! よく「いくつになっても大人になれない」とか「思い描いていた大人と今のじぶんはぜんぜん違う」などと言い

          『虎のたましい人魚の涙』

          『言葉というもの』『文学の楽しみ』

          コミュニティFM「渋谷のラジオ」の番組「Book Reading Club」をされている宮崎智之さんが紹介していた吉田健一の本を知り、すぐ読んでみたいと思い借りて読んだ。 『吉田健一著作集 24巻』に収められた『言葉といふもの』では、言葉というものが(思考や生活のためだけでなく)人の精神にとって欠かせないものであり、人に「生命を与え続ける」ことを説いている。 明治以降の「西洋の基準に即して」書かれた形式的な「文学と称するもの」の価値を一蹴し、言葉と人とは「生命を分かつ」根源

          『言葉というもの』『文学の楽しみ』

          『熊の敷石』

          2000年の第124回芥川賞(ダブル受賞)の中編小説。 堀江敏幸作品では『おぱらばん』が好きで内容も思い出せるけど、『熊の敷石』はどういう内容だったか(そして熊の敷石とは何だったか)を思い出せず再読しました。 舞台はフランスのノルマンディー地方。パリから西へと向かい、現地で待ち合わせた友人ヤンが運転する車からの風景描写へと続く序盤。前に読んだときはその風景について痺れたのだ、と思い出し始めたものの、喉元ならぬ意識元まできている当時の感想が言葉にならないのがもどかしい。 そ

          『熊の敷石』

          『ソラニン』 浅野いにお

          数年前のメモを整理していたら浅野いにおの『ソラニン』と『零落』を読もう、と書いてあった。両作品には11年の間があるが、『零落』が『ソラニン』新装版と2017年に同時刊行されたので、そのニュースをメモしていたのだと思う。 浅野いにおの初期作品を読んだ時、知人に一押しと公言した記憶があり、その懐かしさもてつだって今回『ソラニン』を読んでみた。とても上質なマンガだった。初期作品で感じた鮮烈さが再びきた!とまでいかなかったのは、自分の感受性が変わってしまったせいかもしれないけど、1冊

          『ソラニン』 浅野いにお

          『サード・キッチン』

          Eテレ理想的本箱「人にやさしくなりたい時に読む本」で紹介されていた本。 物語は留学先のアメリカで孤独な日々をおくる19歳の尚美が、友人に誘われ、出身地やLGBTQ、経済格差など、あらゆる学生が集い運営する学生食堂「サードキッチン」に加入することで少しずつ成長していく青春小説。 勉強はできるけど、じぶんの気持ちをうまく英語で表現できないことで劣等感を感じ周りから孤立していく尚美の姿に、多くの読者が自分の姿と重ねてしまうはず。 それでもサードキッチンの仲間との交流を通して、

          『サード・キッチン』

          『世の中と足並みがそろわない』

          ふかわさん! 愛すべき不器用芸人のユニークな日常。 昔は「不思議な人だなぁ〜」と思っていたけれど、 年齢を重ねたらどんどん親近感が沸いてきてる。 それが自分にとっていい変化だと感じられるし、 間違ってない(たぶん)と思える。 特に「わざわざの果実」の章は楽しかった! 社会に対する解像度が高いとすごく疲れると 思うけれど、考えて考えて自分と折り合いを つけていく姿勢がすごく信用できる。 脱力したのんびりした文章も好きだし、 ギラギラしていないのに元気になれる。 ふかわさ

          『世の中と足並みがそろわない』

          『定食屋「雑」』原田ひ香 商店街の古びた定食屋で働く、 生き方の異なるふたりの女性。 正義と後悔のあいだを往来しながらも 変わってゆく自分を受け入れながら 前を向きつづける彼女たちの大きな勇気に 胸がいっぱいになる一冊。

          『定食屋「雑」』原田ひ香 商店街の古びた定食屋で働く、 生き方の異なるふたりの女性。 正義と後悔のあいだを往来しながらも 変わってゆく自分を受け入れながら 前を向きつづける彼女たちの大きな勇気に 胸がいっぱいになる一冊。

          『ポスト戦後の知的状況』――あの人の語ることは社会をよくするのか

          ラジオがきっかけ TBSラジオで放送されている武田砂鉄の番組内の「金曜開店 砂鉄堂書店」で紹介されていた本を今回読んだ。この番組は講談社がスポンサーで、当コーナーはポッドキャストでも配信されている(2024年3月29日の回)。 タイトルにある「クリティック」は批評・批判または批評家・評論家と一般的に訳されるが(criticかcritiqueかによる)、著者の用いる「クリティック」は理性的な検証を行う知的営み・系譜を意味する。健全な批判には必ず求められるバックグラウンドだ

          『ポスト戦後の知的状況』――あの人の語ることは社会をよくするのか