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<第3回>「進化論」がやたら気になる今日このごろです

私的な芋づる式読書の備忘録「考えるヒント」(©小林秀雄)は、「進化論」という、これまた大きすぎる鉱脈にぶち当たりました。書店での仕事中にも、関連する新刊がどうしても目について戸惑います。なぜいま、進化論なのでしょうか。この1カ月で新たに購入した本は、下記のとおりです。

≪今月の購入リスト≫
①『進化思考』太刀川英輔 海土の風 2021/4/23 @大垣書店イオンモールKYOTO店
②『「悪」の進化論』佐藤 優 集英社インターナショナル 2021/6/30 @大垣書店烏丸三条店
③『種の起源』ダーウィン 光文社古典新訳文庫 @Kindle unlimited ※正直に言うと、30日期間限定の上巻を読みはじめてしまいました。進化論のバイブルなので、いずれ購入します。
④『別冊NHK100分de名著 時をつむぐ旅人 萩尾望都』小谷真理/ヤマザキマリ/中条省平/夢枕獏 NHK出版 2021/6/30 @ジュンク堂福岡本店


■2021年6月5日

『日本史図録』『世界史図録』『倫理資料集』⇒大人の教養課程も、やはり教科書で学習を

この春、弊社にも7名の新入社員を迎えることができました。『進化思考』によると「創造性の変異が発揮」と「適応の思考」のベストバランスが35~36歳とのことですので、彼らが活躍するのは2035年ごろから、そして勤めあげるのは2050年以降。いったい、どんな社会にしていかなければならないのでしょうか。そろそろ2030年代に向け、SDGs(持続可能な開発目標)を超える理念が必要だと思われます。


そんな新入社員の一人と実習研修でMARUZEN京都本店を訪問していたところ、「歴史や思想が苦手ですぅ」と素直に打ち明けられたので、一般教養として下記の書籍を勧めました(旧版しか持っていなかったので、のちほど買い直すことに)。

◎『詳説 日本史図録 第8版』山川出版社
◎『詳説 世界史図録 第3版』山川出版社
◎『新訂第2版 倫理資料集』清水書院

いずれも2~3年で改定されていますが、本体850円前後でオールカラーのつくり、コストパフォーマンスは最高です(どこが改訂されたか、新しい知見がどこか、わかるようになるとなおいいのですが)。通読しなくても、リビングや読書机など手の届くところに置いておくと便利です。暇つぶしに眺めるだけでも、十分に役に立つでしょう。いずれも時間軸が一直線なので、歴史を「線」として理解できるので助かります。うまく組み合わせられれば、面にも球にもなります。大人の勉強です。鉄板の山川出版社、結局、基礎は教科書(副読本も)に勝るものはありません。お子さんがいらっしゃるご家庭は、ぜひ一度確認してみてください。
ちなみに上記『「悪」の進化論』で佐藤優さんは、同じ山川の「もう一度読むシリーズ」と平凡社の『世界大百科事典』(検索はWikipediaではなく、ジャパンナレッジ個人登録・月額1,650円! もしくは、コトバンクの『ブリタニカ国際大百科事典』)を同志社の学生に勧めていました。昔は"一家に一冊(全集)"でしたが、さすがにいまは、リアルの百科事典までは買えませんね。

■2021年6月20日

『理不尽な進化』⇒進化は進歩か、科学の知見と自身の信念にどう折り合いをつけるか

さて、連載の初回でリストアップしていた吉川浩満著『理不尽な進化 増補新版』(ちくま文庫)を読了しました。親本が出たときから気になっていたので、読めてよかったです。養老孟司さんは「人文社会学の分野には近年良い著作が出る」「日本社会は変わりつつある(のではないか)」と、毎日新聞の書評に書かれていますが(文庫本の解説に転載)、まったくそのとおりだと思います。

本書は、これまでの自分の予定調和的な進化論という無知を一変させる、とんでもない本でした。「理不尽」という概念を認めることは恐ろしいと、進化論の歴史が物語っています。
私たちの日常の満ち溢れる進化論のイメージは、究極的、包括的な科学思想であり、それに裏打ちされた、どこか根底に安心感のあるものだと思います。だからこそ、日々競争し、適応し、進化し続けなければならないと。ですが、生物世界のモデルでは、過去の歴史は圧倒的多数の99.9%が絶滅してしまっています。それこそ「みんな何処へいった?」(©中島みゆき)です。
この事実を前にして、進化論学説の誤解と争いの歴史を、大物の二人であるリチャード・ドーキンス(『利己的な遺伝子』など)とスティーヴン・ジェイ・グールド(『ワンダフル・ライフ』など)の対立を中心に詳述されます。息を呑ませる展開で、自分ならどう考えるかと自問しながら読むと楽しいです。
同じ進化論の歴史(系統樹)に立ちながら、より環境に適応しながら進むとする適応主義と、それに真っ向から反論する立場の争いでしたが、勝敗は完全に前者に挙げられます。グールドの主張は、そもそもダーウィニズムの革命性は、進化には目的も終点ももたない偶発性に左右されるものであり、森羅万象を網羅するスペンサー主義(「適者生存」語源の生みの親)とは異なるものだと。たしかに、世の中の出来事は複雑で不規則、不安定であり、将来の予測など不可能(物理学では「決定論的カオス」と呼ぶそう)ですが、進化を進歩と捉えることに全面的に懐疑的であることは、果たしてどうなのでしょうか
 本書を読み進めていて興味深いのは、なぜグールドが最後まで敗北を認めず、そこまでドーキンスを代表とする保守本流の権威に抗(あらが)ったのか、です。反抗的人間(@カミュ)であり、革新的かつ詩的な文才を持つ思想家、文学者でもあったからでしょうか。そのあたりの謎解きがスリリングで、本書のキモでした。

とくに終章は、読み応え満載です。私が再確認できたのは、歴史に対するスタンスでした。歴史家のE・H・カー(名著『歴史とは何か』[岩波新書])を引いて、歴史とは私たちと事実のあいだの「相互作用の普段の過程」であり、現在と過去とのあいだの「尽きることの知らぬ対話」であり、私たちはそのようにして歴史に規定されつつ歴史をつくるのである、という点でした。歴史が解釈であり、実践であるといわれる所以(ゆえん)は、歴史的な事実にどのような意味を担わせるか、どのような語彙(ごい)を用いるかを通じても歴史に参画していることになるからです。さらに、自分自身以外には根拠をもたない実存的なコミットメントなくして歴史へのアプローチはない、という点には、強く響くものがありました。生き方としての実存主義の復権が垣間見えます。

この終章では、ドイツの哲学者ヴァルター・ベンヤミンの歴史哲学ヴィジョンが、パウル・クレー『新しい天使』の絵画とともに出てきたあたりから、不穏な空気が漂いはじめます。フランスの哲学者ミッシェル・フーコーのカントの近代「人間」定義である、「経験的=先験的二重体」を挙げ、「人間から知的に遠ざかる動きと、人間として生を営む動きをどのように調停するか」という近代人と科学の相剋(そうこく)という思考課題が出てきたところで、いったい読者をどこへ連れていくつもりかと不安に駆られました。そこで続いて出てきたのが、私にとって未知のジョージ・プライスという集団遺伝学者の話でした。安閑(あんかん)と読書を楽しんでいられない、衝撃の生きざまです。
ジョージ・プライスの学問上の功績は、個体の自己犠牲的な行動(個体の利他性)がなぜ栄えるのかを、遺伝子の自己増殖(遺伝子の利己性)の観点から定式化した「プライスの公式」が有名だそうで、ドーキンスの利己的遺伝子説の基礎となったといわれています。
そんなジョージ・プライスの生涯が、「利己主義から無私の精神への移行、そして最後には、苦悩のどん底での自殺へと至る」というのです。プライスは自分の学問的業績ともなった、利他的行動に遺伝的根拠があることに、心情的に我慢できなかったといいます。どういうことでしょうか。
普通に考えると、個体の利他的行動に遺伝的根拠があるということは、私たち自身の利他主義もお互いに期待することができて、社会的紐帯(ちゅうたい)を考えるには好都合です。しかし、プライスは真に無私の利他的行動、自己犠牲的な行為を追求する、彼独自のキリスト教信徒だったため、純然たる利他主義にみえる行為も、じつはまったく別の利己主義(遺伝子の利己主義)に奉仕するものであるという事実に、絶望してしまったのです。前回も採り上げた「利他主義」は大きな問題ですが、そこには人を絶望にまで追いやる危険性もあるらしいのです。
プライスの晩年は自己犠牲的な行為に没頭し、アルコール依存患者にお金、衣服を分け与え、文字どおり一文なしになって研究室に寝泊まりするまでになります。最後には空き家を不法占拠して暮らし、1957年の冬の朝、頸動脈をハサミで切り裂いて自裁します。壮絶です。思想的な自殺といえば、最近(?)では江藤淳、西部邁がショックでしたが、理系学者にもあると知りました(本当のところはわかりませんが)。
この学問的成果と人としての信念との懸隔に苦しんだプライスを、伝記を執筆したハーマンは「ウィトゲンシュタインの壁」にぶち当たったと説きます。またまた不穏な雰囲気です。ウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』(岩波文庫)で、「たとえ可能な科学の問いがすべて答えられたとしても、生の問題は依然としてまったく手つかずのまま残されるだろう。これがわれわれの直感である。もちろん、そのとき、もはや問われるべき何も残されていない。そして、まさにそれが答えなのである」と書いています。ウィトゲンシュタインの名前が出てくると、条件反射的に同著の「語りえぬものについては、沈黙しなければならぬ」、黙ってなきゃ、と身構えてしまいますが、やはり最後は人間として自分の生き方の態度(言動)が問われることになるのだと理解しました。うっかり読んでいても、つくづく怖い本です。
本書の最後は、16世紀ルネッサンスの人文主義(ユマニスト=Humanist)を今後の指針として示唆し、終わっています。ホッとしました。まっとうな締めくくりだと思います。ただ、本書にベルクソンへの言及がなかったのが残念でした。

ちなみに、著者の吉川浩満さんは『「サピエンス全史」をどう読むか』(河出書房新社)というアンソロジー(池上彰さんとの対談)で、「私はなにを望みたいか。夢のような話ですが、われわれサピエンス自身が他種にたいして節度と寛容さをもって接する存在になれないか。実際に食物連鎖の頂点に君臨しているのですから、ノブレス・オブリージュ的な責任と義務は避けられない。自分の幸福を追求するだけでなく、自分が幸福になることに値する存在になることをも追求する。<中略>旧世代人として、ちっぽけなプライドや偏見と闘い、自分の中にある小さな超人(©ニーチェ)を育むべく努めながら、その途上であえなく死ぬだろう」という問題提起と自身の行く末を暗示しており、印象に残っています。

■2021年6月27日

『時をつむぐ旅人 萩尾望都』⇒「永遠の少年への憧憬」は理解できずとも、萩尾望都はすごい

最近のボーイズラブ小説、ボーイズラブコミックの興隆は、いったい何なんでしょうか。どの書店の一角にも確かな位置を占め、私もこれまで中島梓や橋本治、中村うさぎなど、いろんなBL論考、エッセイを読んできましたが、正直よくわかりません。ですが、凪良ゆうさんや一穂ミチさんなど、今後活躍が期待される文芸執筆者が登場してくる有力ジャンルであるのは間違いないようです。
BLはさておき、若いころリアルタイムで読んだ萩尾望都が傑出した存在であることは、実感して言えます。先日も、出張先の九州博多で、『別冊NHK100分de名著 時をつむぐ旅人 萩尾望都』を衝動買いしてしまいました。

『ポーの一族』が小学館コミックスの最初の一冊で、初版3万部が3日で売り切れたというのもすごいのですが、当時、14歳の美少年吸血鬼というテーマを採り上げたのも革新的であったと思います。作品の発表された1972年当時の時代背景をつい考えてしまいますが、いまなら吸血鬼をコロナウイルスの暗喩(あんゆ)として新たな視点で扱ってもらいたいです。ベタですね。
また、私が中学生のころでしたが、レイ・ブラッドベリ原作のシリーズ(『週刊マーガレット』に掲載)は、その抒情性が原作と見事にリンクしていた記憶があります。さらに、光瀬龍原作の『百億の昼と千億の夜』(少年誌掲載/秋田文庫)は、登場人物である阿修羅やキリストのイメージが忘れられません。SFでは、小松左京の「お召し」が原作の『AWAY』(フラワーコミックス)も描いています。小松左京さんの原作は未読ですが、無謀にも中学生のころ『果しなき流れの果に』(角川文庫)に挑んで挫折し、懲りています。ハードSFは、文系の私には鬼門です。
『別冊NHK100分de名著』のなかでは、とくに小谷真理さん(SF&ファンタジー評論家)による『トーマの心臓』の読み解きが納得のいくものでした。最後に『ルネッサンスとヒューマニズム』という架空の(?)著作に導かれて、抑圧されてきた女性たちの解放「死んでいるも同然」の魂復活への期待が、この作品には込められているというのは、女性ならではの読みだと思います。
続く『イグアナの娘』を読み解くヤマザキマリさん(漫画家)が、不条理な世界への身の処し方を、実存的、倫理的に説いているところに考えさせられました。「進化論」に関連して言えば、主人公の娘がガラパゴス諸島で葛藤(かっとう)のあった亡き母に夢で出会う印象深いページが転載されています。いのちの連鎖、父、母、子供のシーンです。これは人間の進化、進歩、発展につながるものだと信じたいです。
そのほかの執筆者のセクションも興味深く、論者の思い入れがある作品を読み解く筆致は、読んでいて爽快です(いろいろ難しい問題もありそうですが)。萩尾望都さんのマンガ作品は、しばらく読んでいなかったので、また読んでみたいと思います。チラ立ち読みしたのですが、最新刊『一度きりの大泉の話』(河出書房新社)で明かされる竹宮恵子さんとの確執(?)、決定的な別離(?)も気になるところです。

終わりに、今回も読みながら考えた松下幸之助(創設者)の代表的なキーワードは、やはり「生成発展」「人間は万物の王者」でした。松下幸之助の著作で、哲学、宗教、歴史に関するお勧めは、『人間というもの』『日本と日本人について』が決定版です。

以上、今回も私の拙い読書論が、みなさんの「考えるヒント」(©小林秀雄)になることを願ってやみません。