上手い写真といい写真、或いはその両方 #1
写真には、いい写真と上手い写真があると思う。
いい写真というのは、見た人に「いいな」と思わせる写真。心に残る写真と言い換えてもいい。
上手い写真というのは「上手いな」と思わせる写真。
この2つは結構混同される。
よく「写真上手くなりたい」という表現を使うが、ほとんどの人は「いい写真を撮りたい」と思っている。
ピンとこない場合は、普段見ている写真のことを考えるとよく分かる。
例えば、普段私達は毎日たくさんのプロが撮った写真を見ている。 路上にある広告、お店のメニュー、web広告。。
ほとんどはちゃんとしたプロが撮った写真だ。
つまり上手い。
でも、昨日見た写真を何枚思い出せるだろうか?
一枚も思い出せない人も多いはず。
つまり、上手い写真が人の心を動かすわけではない。
わけではないと言ったが、恐らく上手い写真といい写真の分布は以下のようになっている。
ある程度上手いといい写真になる確率が上がり、死ぬほど上手いと殆どがいい写真となる。
但し、下手でもものすごくいい写真というのは存在する。
ここでいう上手い下手とは、単純に写真に関する技術の有り無しだと思ってほしい。
この当たりを突っ込みだすと言葉の定義の話になるのでややこしいからやめよう。
今、写真が上手くなりたい人が多いのは、世間が「上手い写真を撮る方法」を教えたがっているからだ。 (儲かるからね)
そして、カメラの設定やら構図やらで「上手い写真」を撮る方法が本やネットの記事で蔓延している。
しかし、それを見てもなかなか「いい写真」が撮れない。
当たり前だ。上手い写真が撮れることは、いい写真が撮れる確率を少し押し上げるだけなのだから。
いい写真を撮りたかったら、いい写真を撮る練習をするしかない。
ただ、いい写真を撮るのは、上手い写真を撮る何百倍も時間がかかる。
・上手い写真が撮れる=技術がある
だ。技術は、考える力×練習量で決まる。しっかり考えて、ちゃんと練習すれば(考えるのが苦手な人は練習しまくれば)確実に技術は習得できる。
・いい写真が撮れる=技術以外の何かがある=人生経験、写真・写真以外のことに対する知識、人柄、意志、目標、伝えたいことetc…の総合力
だ。その人の全てが「いい写真が撮れるかどうか」に表れる。
よくある勘違いに、プロ=いい写真が撮れるというものがある。 実は、プロでもいい写真を撮れる人は少ない。
上手い写真はみんな撮れる。それはプロとして最低限の能力だ。 ただ、プロはよく落とし穴にはまる。
「上手いけど良くない」写真を撮る人が圧倒的に多い。
「良くない」写真にもいくつかのジャンルがあるが、最もはまりがちなのが・ダサい写真だ。
ダサいとは、流行や世間の目から遅れていることを表す。
なぜこれにはまるかと言えば、勝ちパターンに胡座をかくからだ。
プロは、クライアントの要望に合わせて必ず80点以上の写真を撮る必要がある。
最初は現場ごとにあらゆる方法を試す。 試すうちに、必ずクライアントが納得しやすい「勝ちパターン」を見つけることになる。
勝ちパターンは安住の地に見える。
一度やった方法なので楽で確実、失敗もない。しかし、全ての技術は必ず古くなる。
勝ちパターンに1年ほど安住すると、その人の写真はダサくなる。多分。
ずっとダサくならない人がいる。100年経っても。
そういう人は決まってその時代の異端児だ。 新しい表現を見つけようと、誰よりも攻めた人たちだ。
新しい表現をしなくても、ダサくしない方法もある。
長くなりそうなので、このことについては別の記事で考えようと思う。
そしてこれも、はまりがちな落とし穴だ。
自分はこれにはまっている駄目なフォトグラファーだ。
なので変えたいと思って、自分への戒めにこの記事を書いている。
いい写真とはどのような写真か、については、part2で考えようと思う。
長く「良くない写真」について言及したが、 プロの中でも「上手い下手」も実は大きな差がある。
上手いプロは、それはもうとんでもなく上手い。
そしてそういう究極に上手い人たちは、写真もよても「良い」。
良い悪いなんていうのは、所詮世間から上手いと言われる程度の、下手な人たちの言い訳なのかもしれない。
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