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師とは?安心して委ねられる存在

写真教室を10年以上続けていると、いろんなことがあります。その中でも一番大きなエピソードは、長年一緒にやってきてくれたプロ写真家の先生が亡くなったことです。先生が亡くなってから2年が経って、僕の中でいろんな整理がついてきたので、思うことを書こうと思います。

亡くなられたのは、五海(いつみ)ゆうじ先生。2019年6月に急逝されました。起業当初からパートナーとして一緒にやってきてくれた講師カメラマンの1人です。あやしいネット商売のような頃から僕を信頼してくれて、一緒に事業を立ち上げて、フォトアドバイスの成長を誰より喜んでくれた人でした。広告業界の第一線を退いたタイミングで僕と出会い、全国の受講生にプロの知識と経験を伝えてくれました。敬愛する受講生も多く、親子ほど年の離れた五海さんから、僕も多くのことを教わりました。

突然の訃報

訃報を受けた当日の様子を振り返ってみます。風呂から上がった僕は、バスタオルで身体を拭いながらリビングに入りました。

妻「電話が何回も鳴ってたよ」
僕「なんだろう、こんな時間に」

着信履歴を見ると、五海さんの奥さんからでした。短い間隔で2回着信があったようです。嫌な予感がしました…。 SMSを見ると奥さんからメッセージが入っていました。

「五海の妻です 主人が倒れました 共済病院にいます」

胸を突き上げられるような感覚がして、風呂で温まった身体が一瞬で冷たくなるのがわかりました。しばらくして、奥さんから電話がかかってきました。

「いま… 主人が亡くなりました…」

搬送されたのが僕の自宅から数キロの病院だったので、すぐに着替えて車を走らせました。運転しながら他の先生やスタッフに電話をかけて訃報を知らせました、みんな絶句していました。病院に到着すると、そこにはいつもの穏やかな寝顔がありました。五海さんは口癖のように「今の俺があるのは、あんたのおかげだよ」と言ってくれていました。僕から「あと5年は働いてもらいますよ」と冗談を言い合っていたのが、ただ懐かしいと感じました。

翌日、メルマガで訃報を流すと、会員専用の写真投稿SNSに追悼の投稿が相次ぎました。どれだけみんなに愛されていたんだろうか。「葬儀の詳しいことがわかったら教えて下さい」とたくさんの問い合わせがあったけど、ご家族の意向で近親者だけの葬儀が予定されていました。どうにかみんなで見送りをできないか?と考えて、追悼の投稿写真を全部プリントして葬儀に持参しました。参列していた映画監督の崔洋一さんの気配りで、棺桶を写真で埋め尽くしてくれました。ご遺族から「本当によい最期をありがとうございました」と感謝していただきました。

五海さんとの出会い

初めて五海さんに会ったのは、2011年の冬。当時、フォトアドバイスのDVD通販は順調でしたが、僕一人でやれることに限界を感じていました。カメラの仕組みや操作など基本的なことはお伝えできますが、いい写真を撮る技術については何もできない状況でした。そこでプロカメラマンの力を借りようと、ウェブで講師カメラマンを募集しました。ありがたいことに何十人のカメラマンから応募をいただき、その中から作品と実績を鑑みて選考して、順番に面談をさせていただきました。

僕はまだ会社に努めていたので、定時で仕事を終えてから五海さんの最寄り駅に行きました。前日にいただいたメールの文面です。

五海さんからの返信 2011年11月20日 15:30
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明日(21日 月)19:30 JR港南台駅改札にお迎えにいきます。
目印は、そうですね、私メガネをかけて無精ひげをはやし、
髪は白くなっています。(わりと短髪)

カメラメーカーに勤めていましたが、プロのカメラマンと接する機会は全くありませんでした。ちゃんと話ができるのか?若造の遊びだ、なんて言われないか?不安でドキドキしながら電車を降りると、改札越しにメガネとヒゲの小柄な初老の男性がいました、五海さんでした。

五海さんの自宅アトリエでいろんな話をしました。いま僕がやっていること、プロの力を貸して欲しいこと。五海さんの経歴、写真に対する考え方、五海さんのお孫さんのこと。初対面なのでお互いに緊張していたと思いますが、最後には「やりましょう!」でまとまりました。最初の計画では花撮影のDVDをお願いするつもりでしたが、五海さんの写真論のお話があまりに面白いので「写真とはなにか?」をテーマに、写真概論DVDを制作することになりました。この写真概論が、多くの受講生に影響を与えることになるのですが、それはまた別のお話。

あとで五海さんに聞いたところによると、五海さんの奥様が僕の募集を見つけられて、五海さんに「こんなのあるよ」と伝えてくれたそうです。五海さんは「怪しいな、詐欺じゃないか!?」と疑っていたそうですが、僕と会って話をすることで「なんだ、いいやつじゃないか」と心を開いてくれたそうです。

結果的に、プロカメラマン4人のDVD企画は大成功。それから五海さんは、友人のヒロ・ヤマガタさんを紹介してくれたり、海外ワークショップを企画したり、写真集出版まで実現したり。僕の想像もつかないアイデアと実行力でフォトアドバイスの活動を拡げてくれました。

また、大企業でサラリーマンの仕事しか知らなかった僕に、プロのクリエイターとの付き合い方や、独立して自分の力で仕事を創る心構えも教えてくれました。「いまの俺があるのは、あんたのおかげだよ」といつも声をかけてくれたし、1つのプロジェクトが終わったら必ず菓子折りを届けてくれたり、一緒に仕事をする心遣いも教えてくれました。

師という存在

受講生さんも五海さんに絶大な信頼を寄せていました。映画ポスターや芸能人を数多く撮影してきた実績、確固たる写真哲学、相手の個性を否定せずに期待して伸ばすまなざし、ちょこっとボケた人柄、一瞬で相手との距離を詰めるコミュニケーション術、思考とメッセージの抽象度の高さ。

多くの受講生さんが五海さんを師匠と仰ぎ「この先生なら大丈夫!」と信頼してくれました。「師」とは、自分のことを安心して委ねられる存在だと思います。中途半端な先生だと、自分を受け止めてくれるか不安になるので完全に委ねられないものです。でも五海さんはどんな難しい悩みでも受け止めて「大丈夫だよ」「このまま撮り続けなさい」と励ましてくれていました。何人もの受講生さんが「五海さんがいなかったら、今頃写真を続けていなかった」とおっしゃっています。

そんな五海さんなんですけど、僕は五海さんが亡くなるまで受講生さんみたいに委ねることができなかったんですね。理由は心を開くのが苦手な僕の性格です。起業した当初の僕の信念は「人は実績でついてくる、だから歯を食いしばってでも実績を出さなきゃ意味がない、弱いところを見せちゃダメだ!」でした。だから、先生や受講生さんと話をするときも、かしこまって隙を見せないようにしていました。代表として運営者として、やるべき仕事をやる、弱音は吐かない、全部自分の責任。

しかし、業績が低迷して自分の限界を感じたり、何のためにこの仕事をやっているんだろうと考えたり、みんなに支えられていることを実感するうちに、少し力を抜いていいかなって思えるようになってきました。

以前の僕は、ただ自分が非難されて傷つくのが怖かっただけなんだなと思います。本当の僕は人見知りだけど人に興味があって、ただ仲良くなりたいだけなんですね。

五海さんと話したことを振り返ると、仕事の話とか五海さんの昔話ばかりで僕から自分のことを話したことは何一つありませんでした。もしもう一度、五海さんに会えたら、僕のことをゆっくりと聞いてもらって少しでも委ねられたらいいなと思います。

今回の「いい写真」。京都の受講生、りりぃさんが撮影した写真です。

りりぃ_五海先生 ありがとうございました

僕にとって「いい写真」とは、人生のかけがえない瞬間を残した写真です。

沖縄ワークショップでビデオを構える僕(右側)と、オープニングトークを話す五海さん(左側)。受講生のりりぃさんが撮影してくれました。沖縄ワークショップは本当に楽しくて、この写真を見るとあのときの空気や高揚感がよみがえってきます。はかない人生にどれだけ楽しい想い出を創れるか?が僕の価値観なんですけど、写真は想い出の積み上げをリアルに感じられるツールでもありますね。

あなたにとって「いい写真」とは何ですか?


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