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(Re:)夢見るこどもと赤い月―夢水からマチトムへ、はやみねかおるの世界

・はじめに

柄谷行人は『日本近代文学の起源』の中で次のように指摘している。

神経症が隔離され保護された「幼児期」の産物であって、そのような文化にしか発生しないという指摘は重要である。いいかえれば、青春期が子供と大人を「分割」しない社会では、そのような病は「病」として存在しない。(……)児童心理学や児童文学が「真の子ども」を明らかにするのではなく、分離されたものとしての「子ども」こそ前者の秘密をにぎっているのである。

柄谷行人『定本 日本近代文学の起源』、岩波現代文庫、2008年、191頁

人々が―児童心理学や児童文学が―理想とし提示する「真の子ども」は存在しない。かつて子供だった人間が、そのことを忘れて、「こうあればよかった・こうあるべきだった」と、子供に願うのである。

そういった議論を前提に置きながら、1989年に講談社児童文学賞に入選し、1990年に「怪盗道化師(ピエロ)」でデビューした作家、はやみねかおるの諸作品を用いて本論を展開する。

なお、本論では「ミステリ/推理小説」「ジュブナイル(作品)/児童文学」は明確に区別しない。前者は探偵、あるいは探偵役が何らかの事件を解決する作品、もしくは「論理的に解けるとされる謎」が出てくる作品全般を指す。また、後者は小学生から中高生まで、「学校」と呼ばれる場所が日常となっているキャラクターが登場する作品、あるいはそういった世代が読むものとして出版されている作品全般を指し、これらを「推理小説(ミステリ)」や「児童文学(ジュブナイル)」というように表記する。どのような作品がこれらに分類されるのかは読者の主観に任せたいと思う。

はやみねかおる(漢字表記の「勇嶺薫」名義でも活動している)は、児童向け推理小説を主とする作家である。彼の作品は全て「赤い夢」という世界観で繋がれており、本論では主に「名探偵夢水清志郎事件ノートシリーズ」「怪盗クイーンシリーズ」「虹北恭助シリーズ」「都会のトム&ソーヤシリーズ」の四つのシリーズ作品を用いて、赤い夢と、我々の住む現実世界、特に主要読者であるとされている第二次性徴・思春期さなかの、子供と世界との結びつきについて考える。

本論は導入・作品読解・結論の三章構成であり、第二章である作品読解はさらに以下の三部で構成されている。

第一部は名探偵夢水清志郎事件ノートについて。ここでは主要登場人物である夢水清志郎、岩崎三姉妹、レーチ達がシリーズ内でどのようにその在り様が変化していくのかを追いながら、第二部、第三部への道標としたい。

第二部は怪盗クイーンと虹北恭助について。前者は冒険物語であり、キャラクター小説に分類されるものだろう。そして後者は、子供向けレーベルではなく、大人向けとして連載された推理小説である。この2作品の共通するところ、しないところを吟味しながら、他のシリーズとの関連性について考える。

第三部は都会のトム&ソーヤについて。主人公・語り手が女の子であることが多かった他のシリーズとは異なり、この作品は主人公・語り手が男の子である。この作品は、赤い夢の世界の「終わり」の一端を描いている描写がある。その「終わり」を見据えながら、はやみねかおるがこれまで何を書いてきたのか、これから書いていくのかを考えたいと思う。

この現実が、だれかのみている赤い夢にすぎないのなら、
それはだれのみている夢なんですか?
探偵(ぼく)ですか? 犯人(あなた)ですか?
 
PAYS DES MERVEILLES(ふしぎの国)
 
だれがみている夢にせよ、
しょせん、この現実は『夢の中の失楽』にしかすぎない。
あわせ鏡の迷宮のような―。
           (勇嶺薫著『夢迷宮』より抜粋)

はやみねかおる『機巧館のかぞえ唄』
講談社青い鳥文庫、1998年、6頁

―ここから数分間、あなたの目はあなたの体を離れ、この赤い夢の世界に入ってゆくのです。

・名探偵夢水清志郎事件ノートについて

『名探偵夢水清志郎事件ノート(以降、夢水シリーズ)』は講談社青い鳥文庫より刊行されている、児童向け推理小説のシリーズ作品であり、1994年から2009年まで、15年にわたって刊行されてきた。また、本論では取り扱わないが、2011年より『名探偵夢水清志郎の事件簿』の名称で、セカンドシーズンが開始されている。

作品の特徴としては、基本的に殺人事件が起こらないこと、メインとなる事件の前後に小さな事件が配置されていること、これら二点があげられる。推理小説としてはオーソドックスな「事件の発生→論理的解決」という形式を守り、解決が放棄されることはない。メインの事件の解決では「探偵が謎解きをする場合は必ず『さて―、』という言葉から始めなければいけない」という『名探偵の鉄則』に従う。物語は基本的に文芸部員で作家志望の岩崎亜衣を主人公、語り手として進み、亜衣が観測していないシーンでは三人称視点で物語が進行する。彼女が感じたように記されていくため、ときには誤って見聞きしたことを読者に伝えてしまうこともあるが、基本的には後に「どうしてそのように見えたか」という説明がなされる。一人称視点で書かれたことが真実とは限らないことは「信頼できない語り手」と呼ばれる推理小説の手法である。対象年齢が「小学上級から(青い鳥文庫裏表紙より)」ということもあり、前述した『名探偵の鉄則』やそのほかの推理小説における手法、形式を守ることによって、読者の混乱を招かないことと推理小説の読者を増やしたいという作者の考えの2つが汲み取れるだろう。

次に登場人物について触れていこう。本論で取り扱われる主要登場人物は次の面々である。
・夢水 清志郎…岩崎家の隣の洋館に住む名探偵
・岩崎 亜衣…三つ子の長女、文芸部所属
・岩崎 真衣…三つ子の次女、陸上部所属
・岩崎 美衣…三つ子の三女、星占い同好会所属
・中井 麗一…文芸部所属、二作目より登場。亜衣の彼氏?
・上越警部…夢水らと親しい警部

夢水シリーズだけではなく、他のはやみねの作品群にも共通して言えることだが、基本的に登場人物は「大人」「子供」の二種類、あるいはそこに「赤い夢の住人」を加えた三種類に分けることができる。

「子供」は亜衣ら中学生に代表される、未来がある人物として描かれ、作品を追うごとに成長していく。「大人」は多くの場合そういった「子供」を見守り、どのように成長していけばいいのかを示していく。故に多くの場面で彼らがプロとして示される。たとえば、第4作『魔女の隠れ里』では亜衣が次のように語る。

やっぱり、上越警部はプロだ。
わたしは、誰かのために仕事をしてるっていう人を信じない。仕事は自分のためにするっていうのが、本当のような気がする。

はやみねかおる『魔女の隠れ里』、講談社文庫、2008年
(初出・講談社青い鳥文庫、1996年)、167頁

また、第12作『笛吹き男とサクセス塾の秘密』でレーチ(麗一の綽名。知性が零→零知)は以下のように発言する。

あの先生はプロだよ。おれたちが高校にはいれるよう、いっしょうけんめいなのがわかったからな。理解ある振りして、授業がへたな先生よりは、数倍マシだ。

はやみねかおる『笛吹き男とサクセス塾の秘密』
講談社青い鳥文庫、2004年242頁

このように、ほとんどの作品に誰かしら「プロとしての大人」が登場する。そして、子供はそこから仕事や夢への向き合い方を学んでいくのである。

「赤い夢の住人」は、赤い夢を見る子供たちが一人でもいる限り存在し続ける、赤い夢の世界と我々の世界とを、すなわち、非日常と日常とを行き来する、あるいは赤い夢と共に生きている存在である。夢水シリーズにおいては前者が正(プラス)の存在、後者が負(マイナス)の存在として描かれることが多い。

読者は亜衣たちと共に赤い夢の住人=夢水と赤い夢の世界に入りこんでしまう。そしてそこで事件に遭遇するものの、名探偵である夢水の力によって「解決」が行われ、こちらの世界に戻ってくることができる。

 おうちにつくまでが、修学旅行です!

はやみねかおる『あやかし修学旅行~鵺の鳴く夜~』
講談社青い鳥文庫、2003年、326頁

赤い夢の世界は、推理小説(ミステリ)によくあるような、人里離れた山村や孤島、怪しげな館といった特殊な場所だけでなく、文化祭や修学旅行、卒業式といった、誰もが通る、どこにでもある、けれども特別なイベントにも現れる。赤い夢への入り口はどこにでも存在し、ふとした時に、その扉が開いてしまうのだ。

わからないかい、亜衣ちゃん。ぼくがこわかったのは、夢と現実を、どうやって見分ければいいか、わからないってことなんだ。

前掲『機巧館のかぞえ唄』、55頁

夢水のような案内人が存在しなければ、亜衣たち=我々読者はその世界から出てくることができなくなる。夢水シリーズのみならず、はやみね作品全般におけるいくつかの作品には、そういった赤い夢の世界から抜け出せなくなってしまった人物が登場し、夢水シリーズにおいて彼らは、気味の悪い・恐ろしい人物として描かれる。 

どこへなりと、お帰りください。所詮この世は、夢の中の失楽です。だれも気づかないままに、赤い夢の住人で一生を終えるんですよ。

前掲『機巧館のかぞえ唄』206頁

子供たちは、単に大人たちになるのではなく、先人たちがおこなってしまった過ちを繰り返さないよう自ら考え行動し、成長していく。そういった受け継ぎが虹北学園(学校)や虹北町(地域)全体で行われていく様を見せることによって、物語には記されていない未来の姿を、読者が想像しやすくしている。

夢水シリーズにおいて名探偵は、みんなが幸せになるように事件を解決する者を指す。だからこそ、時に夢水はどのように事件を解決すればよいのかを迷う。たとえば、第2作『亡霊(ゴースト)は夜歩く』では次のようなやりとりがある(『教授』とは夢水の綽名である。彼が元M大学論理学教授であることに由来する)。

「さあ、教授、事件の謎解きをしてよ。」
美衣はいったけど、教授はしぶい顔をしている。
「うーん、なんていうのかな……。事件は、解決したともいえるし、ぜんぜん解決してないともいえるんだ。それに、これからほんとうに事件を解決していくのは、 ぼくじゃない。」
びっくりするようなことをいいだす。
「えっ、じゃあ、だれが解決するの?」
「きみたちだよ。きみたち虹北学園の生徒が、事件を解決するんだ。」
わたしたちを見まわして、教授がほほえむ。

はやみねかおる『亡霊は夜歩く』、
講談社青い鳥文庫、1994年、231頁

「夢水さん、事件はうまく解決したのかい?」
警部がきくと、
「よくわからないんですけどね―。」
教授がすこし首をひねって、
 「十年―二十年したら、答えはでるんじゃないですか。とにかくぼくは、いま現在、自分にできることをやりました。」
と大きく息をはきだすようにいった。

前掲『亡霊は夜歩く』、263頁

虹北学園で起こった亡霊事件は、学校の在り方自体が原因となって起こってしまった事件であり、それを変え、事件を解決に導くのは学外の存在である夢水ではなく、学内の存在である生徒であり、名探偵である彼は、「今」の謎を解くことしかできないという性質のものだった。ここでのやりとりは、夢水の名探偵としての限界を示すと同時に、亜衣が謎解きや事件の解決を積極的に行おうと思ったきっかけになったと考えられる。

主人公である亜衣は第4作『魔女の隠れ里』で初めて積極的に謎解きに挑む。本作の第一部で夢水は謎解きを求める亜衣ら三姉妹に対し「君たちもぼくと同じデータを手にしてるんだから、ちゃんと推理してみたらいいじゃないか。いつまでも、ぼくを頼ってないでさ」と、突き放すような言動をとり、亜衣は彼が居なくなってしまうのではないか、と心配になる。その後、第二部のエピローグで亜衣は自らの推理を口にする。エピローグでは教授が突然置手紙を残して亜衣たちの前から姿を消し、彼女たちは嘆く。

この後すぐに夢水は戻ってくる。そして、亜衣は帰ってきた夢水に推理を披露したのちに、「事件にあっても、わたしたちは自分で自分の身は守れる」と彼に伝える。三姉妹が彼と出会う第1作『そして五人がいなくなる』から第4作『魔女の隠れ里』は亜衣たちが中学一年生である期間での物語であり、学年が変わる前の最後のエピソードで、夢水との(一時的な)別れとそれに伴った亜衣の探偵としての成長を見てとれる。さらに、亜衣は第五作『踊る夜光怪人』で彼が起こした騒動の謎解きを行うだけではなく、「解決」までを行い、彼に名探偵だと認められる。

教授から教えてもらったことは、推理の仕方だけじゃないわ

はやみねかおる『踊る夜光怪人』、講談社文庫、2008年
(初出・講談社青い鳥文庫、1997年)、247頁

名探偵は、謎を解くだけが仕事じゃない。みんなが笑顔になれるような解決をしなくちゃいけないってことも

同書、同頁

シリーズ最終作『卒業~開かずの教室を開けるとき~』では夢水が再び姿を消す。しかし、作中時系列で2年前の『魔女の隠れ里』とは異なり、亜衣は嘆くこともなく「教授のように」自信をもって、真衣と美衣に推理を披露する。こうして、亜衣は夢水シリーズのなかで名探偵として成長するのである。

レーチは、夢水の第一助手を名乗ることはあり、多くの場面で推理や物事の解説をするものの、事件を解決する役割を与えられることはほとんどない。彼は亜衣とは異なり、夢水に名探偵と認められることもない。『卒業~開かずの教室を開けるとき~』で「名探偵になりたい」と夢を明言し、そのためにフランスの高校に入学することになる。

亜衣は夢水から能力の面で名探偵であると評されたものの、将来の自分が名探偵として振る舞うということは考えていない。レーチはただ能力があるというだけでなく、それを活かす生業としての名探偵を志す。後述する虹北恭助もまた、名探偵になるために旅をする者であり、彼の存在から考えるならば、レーチがたとえ作中で夢を叶えることができない、むしろ作中では「名探偵になれなかった」ことを強調されたとしても、名探偵になって帰ってくる、という希望を持つことができる。

真衣や美衣もまた、物語の進行と共に、自らの夢や目標、進路を定めて成長していく。第1作の最初、教授との出会いで、亜衣を含めた彼女たちは、彼が本当に名探偵なのかを確かめるべく、3人で入れ替わり「ひとり」を演じる。ここで「岩崎三姉妹」はそれぞれ交換可能な存在として描かれる。しかし、教授は彼女たちが三つ子であることを見抜き、顔と名前を一致させる(このとき、亜衣はもう教授が自分たちを間違えることは無いと直感する)。彼女たちは「いつも一緒」な「岩崎三姉妹」から「岩崎亜衣・真衣・美衣」という三人の個人へと変化する。以後シリーズ中幾度も彼女たちが異なるデザインのものを着用しているということが明示され、シリーズ最終作の最後では、それぞれ異なる高校に進学することになり、これまで同じだった制服も、相異なるものになる。シリーズを通して描かれた、交換可能だった三姉妹から独立した個人の変化もまた、はやみねの書く成長のひとつだろう。

亜衣やレーチたちが、他人(最も身近な存在である家族も含む)との関わりの中で自らのあるべき姿について悩む、ということは我々が思春期だったころにも同じように持っていたものだろう。本来の読者層=小中学生を考えるならば、小学生は自分の未来にはこのような迷いが存在するのだと彼女たちを見て感じ、中学生はまさに当事者として彼女たちと同じことを感じているだろう。児童文学として、登場人物たちが読者とともに悩み、成長していくのである。

推理小説の形式や赤い夢への旅立ちと帰還といった基本的な構成を壊さず、個別な事件を取り扱った連続作品でありながら、登場人物たち、特に亜衣ら子供たちの迷いと成長という「変化」と夢水の「不変さ」、この2つによってシリーズ全体がひとつながりの物語として固まっている。

前述したように、はやみね作品は「赤い夢」という世界観によってすべての作品が繋がっている。作品を読むほどに読者の中に夢=データベースは蓄積されていく。続く二章、三章では夢水シリーズ以外での「赤い夢」と登場人物の関係について見ていこう。

・怪盗クイーンシリーズ/虹北恭助シリーズについて

「怪盗クイーンシリーズ」は青い鳥文庫で刊行されているシリーズ作品であり、『いつも心に好奇心(ミステリー)』に収録されている夢水シリーズ番外編『怪盗クイーンからの予告状』にて初登場した怪盗クイーンと、そのパートナーであるジョーカー、人工知能のRDの三人が活躍する冒険小説シリーズである。語り手はおらず、三人称で物語は進められる。彼らは普段、巨大飛行船トルバドゥールで生活しており、クイーンが怪盗の美学に合った獲物を見つけると、予告状を出して仕事を成功させる。夢水清志郎とは前述した『怪盗クイーンからの予告状』や『オリエント急行とパンドラの匣(ケース)』、『怪盗クイーンと魔界の陰陽師』で共演しており、自らを捕まえることができるのは夢水だけだと断言している。

クイーンは夢水と同様に「赤い夢の住人」である。舞台となる世界は同じだとしても、怪盗クイーンシリーズでは超常現象や超能力者、オーパーツなどが数多く登場する非日常な世界が描かれており、読者と同じ世界観を共有はしていない=夢水のように子供と共に行動をしているわけではないので、クイーン自身が現実世界と赤い夢の世界とを往復する描写はほとんどない。つまり、夢水シリーズでは、赤い夢から帰ってこない人間は負(マイナス)の存在として扱われていたが、怪盗クイーンシリーズでは、むしろ主人公として、正(プラス)の存在として扱われているのである。

教授が、ひとりごとのようにつぶやく。
「名探偵が存在するのなら、必ず怪盗も怪事件も存在するよ。もし怪盗や怪事件が存在しないのなら、名探偵なんか必要ないからね。怪盗も名探偵も、おなじ世界の住人だよ。そこで、おなじ赤い夢をみてるのさ。さめることのない赤い夢をね―。」

はやみねかおる・松原秀行『いつも心に好奇心(ミステリー)』
講談社青い鳥文庫、2000年、50頁

怪盗クイーンシリーズにおいては、ただひたすら赤い夢の世界が描かれていると言え、故にはやみねの作品では最も日常から離れた作品群である。作者自身、当シリーズ主要人物のクイーン、ジョーカー、RDは扱いにくいキャラだと語り、シリーズは巻を追うごとに厚くなっていく。「解決=夢から醒める」手続きをしなければ、延々と夢の中を彷徨ってしまうこととなるだろう。夢水のような存在がいなくとも閉じ込められないのは、クイーンが必ず仕事を成功させる(=物語を終わらせる)怪盗であること、彼が基本的に仕事のとき以外は怠慢故に物語として記述されないということが挙げられる。

「虹北恭助シリーズ」は、講談社『メフィスト』連載、講談社ノベルスより刊行されている推理小説(ミステリ)のシリーズ作品であり、第一巻「少年名探偵虹北恭助の冒険」では謳い文句として「講談社ノベルス史上最年少の名探偵(小学6年生)」というものが使われた。主人公は「魔術師(マジシャン)」こと虹北恭助、語り手は恭助の幼馴染の野村響子。シリーズは全5巻で、1~4巻は連作短編集、5巻は長編となっている。他のシリーズ作品とは異なり、小学生から高校生まで、巻を追うごとに彼らは成長していく。

舞台は夢水シリーズでも扱われた虹北商店街。亜衣がアルバイトをしていた虹北堂という古書店が恭助の祖父の店であり、彼は愛猫ナイトと共に店番をしている。響子は虹北商店街のケーキ屋の娘であり、彼女の父は虹北商店街振興会会長である。第5巻の後半であるフランス編を除いて、ほとんどの事件は虹北商店街やその近辺で起こった事件=『日常の謎』を恭助が解く、というものである。怪盗クイーンシリーズが非日常一辺倒だったことに対して、虹北恭助シリーズは日常を前面に押し出したシリーズ作品なのだ。

商店街で少し不思議なことが起こり、それを「魔術師」である恭助が解くというスタイルにおいて、起こる事件は基本的に他愛ないものである。夢水シリーズのように、大掛かりなトリックが存在することは少ない。はやみねかおるが持つ「名探偵は最後の事件を解決したら、旅立たなくてはならない」というイメージの下、彼は各巻の最終話にて旅立とうとする。その理由として、シリーズ最終話における真衛門(家探しのために虹北堂に居候をしている白系フランス人で元貴族)や響子による発言が挙げられる。

今までの恭助は、事件の真実が見えても関わり合うことを避けようとしてました。真実が見える自分を、嫌がってました 

はやみねかおる『少年名探偵 虹北恭助のハイスクール☆アドベンチャー』、
講談社ノベルス、2004年、340頁

まわりを傷つけないよう、自分が傷つかないよう、どんどん恭助は一人になっていった。

前掲『少年名探偵 虹北恭助のハイスクール☆アドベンチャー』341頁

また、これらに関係する場面として、夢水シリーズ第13作『ハワイ幽霊城の謎』において次のようなシーンがある。

「なぁ、夢水くん。名探偵は、神じゃない。事件を、自分の思うように解決しようなど、おこがましいと思わんか?」
金田にきかれ、夢水は考える。
そして、うなずいた。
そのようすを見て、満足そうな金田。
大きく息を吐きだすと、手に顔をうずめる。
「だが、事件がおこり、悲しい結末が待っているのをしってしまうと……神になりたいと思うよな。」
指のあいだから夢水を見る金田。
こんどは、すぐにうなずく夢水。

はやみねかおる『ハワイ幽霊城の謎』、講談社青い鳥文庫、2006年、422頁

 
恭助は名探偵としての能力を持ちながら、謎を解き事件を解決しながらも、そのことを肯定できずにいた。恭助は、事件を「解決」する自信があるが能力の無かったレーチとも、自信も能力もあった夢水とも異なる探偵。小学生から高校生までという長い時間をかけて、彼は最終的に旅立たず、響子のいる虹北商店街に残ることを選んだ。名探偵・虹北恭助はひとりじゃなくなることで、他人を傷つけるかもしれないという恐怖と向き合い、それでもなお名探偵として「解決」するための行動ができるようになったのである。

・都会のトム&ソーヤシリーズについて

「都会のトム&ソーヤシリーズ(以後、マチトムシリーズ)」は講談社YA!ENTERTAINMENTから刊行されている、中学生によるゲーム開発を題材にした冒険要素がある推理小説(ミステリ)のシリーズ作品である。2014年現在の既刊は11巻(ただし、5巻と11巻は上下分冊なので、数としては13冊)であり、夢水シリーズに次ぐ長編シリーズである(ただし、初出からの年数は怪盗クイーンシリーズの方が長い)。
※2022年現在、最大ボリュームのシリーズとなっている

本作の特徴は同時期同レーベルから出版された、あさのあつこのジュブナイル近未来SF作品『NO.6』と同様に主人公が男子2人なことである。これまでの多くのはやみね作品とは異なり、「おとこのこ」の視点が中心となる(これまでも夢水シリーズにてレーチが一人称のエピソード等はあったものの、メインの語り手は亜衣であった)。「おんなのこ」の視点がほとんどないということであり、またここから「(無謀でも)夢を追う、冒険をする」という古典的な役割が男の子に与えられていることが読み取れる。
※※但し、近年のマチトムシリーズないしはやみね作品にはそういったジェンダー規範から離れたキャラクターも登場しつつある。

主人公である中学生二人に目を向けてみよう。まず、この物語の語り手である内藤内人。彼は登場人物紹介で「塾通いに追われるふつうの中学生」と記述されているが、創也いわく「完全無欠のサバイバー」である。次に、この物語の探偵役でトラブルメイカーの竜王創也。彼は登場人物紹介で「内人の成績優秀な同級生。竜王グループの後継者」(竜王グループとは『アナログからデジタルまで、生活をサポートする』がキャッチフレーズの超巨大総合企業である)と記述されているが、内人いわく「猪突猛進であとさき考えなしの大バカ野郎」である。

物語は、内人が創也を偶然街中で見かけるところから始まる。クイーンとジョーカー、恭助と響子のように、最初から共に居たわけではない。形式としては、夢水が三姉妹宅の隣の洋館に引っ越してきた夢水シリーズに近い、「偶然の出会い」からのスタートである。しかし、創也は「究極のゲームを作る」という具体的な目標を持っているが、それを実現する力は持っていない。内人もまた、おばあちゃんとの生活によって培われたサバイバル技術を有してはいるものの、具体的な夢を持たない。彼ら二人はレーチのような「中途半端な存在」なのだ。

夢水シリーズや怪盗クイーンシリーズのように「赤い夢の住人」が主人公のすくそばにはおらず、そういった意味では(中学二年生とは思えない能力や知識を有していても)単なる「子供」二人組が、伝説のゲームクリエイター「栗井栄太」や、謎の計画立案集団「頭脳集団(プランナ)」と対決したり、トラブルに巻き込まれたりしながら、「究極のゲーム」を作るという目標を叶えていく物語である。

この物語における「赤い夢」の存在について考える。本作において、赤い夢、あるいはそれに類する単語が出てくるのは、シリーズ1作目で創也が内人に「四大ゲーム」と「第五のゲーム」について説明する場面である。四大ゲームとは『子牛缶殺人事件:RPG』『モグラ・マグロ:対戦型カードゲーム』『ジャムへの荷物:アドベンチャーゲームブック』『匣の中の溌剌:家庭用テレビゲーム・アクションゲーム』の四つのゲームのことであり、これらは日本の推理小説における四大奇書のパロディとなっている。そして、それらに続く第五のゲームとして『ルージュ・レーブ』というコンピュータゲームが作られているという噂が存在すると創也は内人に説明する。

このとき、ぼくはじめて、『ルージュ・レーブ』ということばを聞いた。
意味はわからなかったけど、なんだかこわいようなあたたかいような、不思議な印象をうけることばだった。

はやみねかおる『都会(まち)のトム&ソーヤ①』
講談社YA!ENTERTAINMENT、2003年、107-108頁

Rouge Rêveはフランス語で赤い夢という意味である。マチトムシリーズにおいては、まず、具体的なゲーム名として「赤い夢」が現れるのである。

 その後、創也は内人に対して自らの夢を語る。

四大ゲーム―いや、『ルージュ・レーブ』をいれた五大ゲームをこえるような、すごいゲームをつくるのが、ぼくの夢なんだ[17]

前掲『都会(まち)のトム&ソーヤ①』、118頁

亜衣やレーチと同世代の存在でありながら、創也が彼女らと違う点は、既に明確な夢を持っており、それを叶えるために行動をしているというところである。片や内人は創也の話を聞いて、彼が明確に夢を持っていることを羨む。一応の形で「小説をかきたい」という夢を小学校の卒業文集に書いたことから、内人は「とりあえず何か書いてみよう」という形で、創也との冒険譚を書いている。
※※※実際に内人が書いた物語もシリーズに存在する

シリーズ第2作『都会のトム&ソーヤ② 乱!RUN!ラン!』でついに『ルージュ・レーブ』を作成した伝説のゲームクリエイター、栗井栄太と対峙することとなる。しかし、そこで『ルージュ・レーブ』を手放す、と栗井栄太は言う。テレビゲームやコンピュータゲームなどの仮想現実(バーチャルリアリティ)でのゲームには限界を感じており、現実世界を舞台にしたR(リアル)・(・)RPG(ロールプレイングゲーム)で「第五のゲーム」を作ると栗井栄太は語る。創也もまたその考えに賛成し、内人と二人で、栗井栄太のライバルとして活動することを宣言する。

シリーズ第3作「都会のトム&ソーヤ③ いつになったら作戦終了?」では、竜王グループが「頭脳集団(プランナ)」と呼ぶ、あらゆる企画の計画立案をする集団が初登場する。彼らは今作以後も物語に関わってくるがその目的や詳細はほとんど明らかになっていない。彼らの目的は創也と内人が「究極のゲーム」を作ることを阻止することのようである。その理由として2014年10月現在最新作である第11作「都会のトム&ソーヤ⑪ DOUBLE」では頭脳集団に所属するトキミ(時見、データを集めて未来を予測する能力を持つ者、未来屋とも呼ばれる)が『人はさめない夢を見る』という予言をしたことが判明しており、その「夢」に竜王創也が作るゲームが関わることが示唆されている。

原書房『ミステリ作家の自分でガイド/本格ミステリ作家クラブ編』において、はやみねかおるは次のように書いている。

"ゴミ"(引用者註:過去に宇宙人が捨てていったモノ。不思議な力を持つ)は、人類の終末にも、関わってきます。人類は、環境破壊や戦争ではなく、覚めることのない夢に入ってしまい滅亡します。

本格ミステリ作家クラブ編『ミステリ作家の自分でガイド』
2010年、141頁

今後の物語の展開については、マチトムシリーズが完結していないシリーズ作品であり、情報が不足しているためここでこれ以上予測を行うことはしない。ここでは本作品が、はやみね作品における人類の終末にも関わってくる可能性があることを提示するのみにとどめる。
※※※※2022年現在、他シリーズも含めて、内人や創也が人類の滅亡に関わっている公算は更に高くなっている。

マチトムシリーズは、究極のゲームの完成を目指す中学生二人が、なんらかの困難に出会うも、それを解決して進む日常ものだった。しかし、物語が進行し、栗井栄太の用意するR・RPGの規模や『頭脳集団』との関わり合いが深くなるほどに、いつの間にか非日常、「赤い夢」に囲まれるように変化しているのである。

これまでのはやみね作品で描かれる「子供」は夢の有無や自立の度合い、恋愛を含めた他人との関わり合いについて、子供という枠から離れないようにして描かれてきた。しかし、マチトムシリーズではそれとは異なった成長が描かれる。第11作にて栗井栄太は、現実世界は退屈で、だからこそ「究極のR・RPG」は現実世界をまるごとゲームフィールドに変えることだと考える。しかし、内人は現実世界を退屈だとは考えていないが、栗井栄太と創也が同じように現実世界を捉えているのではないかと思う。創也が退屈だと考えていても、そうではなかったとしても、内人は創也が自分とは異なる存在になってしまうのではないかと、不安になる。

本作のあとがきにて、はやみねかおるは今後の展開について次のように書いている。

同じ目的を持っていても、足並みをそろえるというのはむずかしいことです。それぞれの熱意、背負っているものの違いで、少しずつ見ている方向がズレてきます。いま、創也と内人は究極のR・RPGをつくろうとがんばっています。しかし、子どもは大人に成長します。いつまでも、同じ夢を見ることはできない―そのことを、ボンヤリとですが内人は感じはじめました。

はやみねかおる『都会(まち)のトム&ソーヤ⑪ DOUBLE』(下)、
2013年、268頁

はやみねかおるは個人が夢を追うことについて書いてきた。亜衣もレーチも恭助も、「自分が」どうやってこれから生きていくか、ということについて考えてきた。もちろん、亜衣とレーチ、恭助と響子のように恋愛関係にあり、これからも共に生きていくという風に描かれていたとしても、彼らはあくまで独立した個人同士のつきあいとして描かれている。クイーンとジョーカー、RDのような共生(共犯?)関係でありながらも、子供であり、これから大人へと変わっていく創也と内人はどういった成長をするのだろうか。

そして、赤い夢の世界は?

・おわりに

はやみねかおる作品の登場人物たちの振る舞いと、彼の作品に共通する世界観である「赤い夢」を中心にしてここまで述べてきた。最後に、はやみねが「赤い夢」を用いて何を読者に示してきたのかを述べ、本論のしめくくりとしたい。

児童向け推理小説として、はやみねかおるは多様な子供たちの成長の仕方を作品群で示してきた。登場する大人たちにも若かった頃、子供だった頃があり、時間は経過していくもの、物事は変化をするものとして描いている。そういった中で主人公に近い、あるいは主人公の「赤い夢の住人」は作中で時間経過を感じさせない、読者にとって不変/普遍で安心感を与える役割を果たしている。

はやみねの作品群には推理小説を謳っているものもあれば、主題が推理小説とは異なっているもの(たとえば『怪盗クイーン』のような冒険譚、ファンタジー、SF作品など)もある。だとしても、作中では何らかの事件や謎が発生し、それを探偵役の登場人物が作中の論理に従って解説・解決をするという形式をもっている。このように形式を守り、物語を終わらせるという区切りをつけることもまた、安心感を与える一因となっているだろう。

「かくあるべきだ」という子供の理想の提示ではなく「子供は多様であり、子供は必ず大人になる/なってしまう」という時間経過の存在とそこにおける子供の成長を提示した。ここにおいて「赤い夢」は、子供らしさの象徴でありながらも、夢水シリーズでは負(マイナス)の「赤い夢の住人」が描かれ、そこに留まり続けるものではなく、それと如何にして付き合っていくか、離れていくかということを考えさせるためのキーワードとなっている。

クイーンが「名探偵や怪盗には住みにくい世界になった」、栗井栄太が「現実世界は退屈だ」と言うように、赤い夢を見る子供たちは決して多い存在ではない。怪盗クイーンシリーズやマチトムシリーズは夢水シリーズとは反対に、子供たちを「赤い夢」に近づけるような意図もあるだろう。

過度ならば毒、適量ならば薬となる「赤い夢」を子供に見せること、自分たちと共に悩むキャラクター達を見せることで、成長を、変化を促す。それが、はやみねかおるが諸作品でやってきたことなのである。彼の世界が終わるまで、彼は「赤い夢」を子供たちに、そしてかつて子供だった我々に見せ続けてくれることだろう。

Good Night, And Have A Nice Dream.

『invert vol.2』2014年 所収論考を改稿


2014年fromH発刊のinvert vol.2に掲載したはやみねかおる論考を、表記直しやちょっとしたコメントを入れて再掲した。文中に※で追記した通り、赤い夢の世界の終わりは近づいており、2020年には『令夢の世界はスリップする 赤い夢へようこそ-前奏曲-』https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000343307 で、赤い夢の世界をひとつに纏め、終幕へと向かうシリーズを始めている。尾田栄一郎による漫画『ONE PIECE』(1997年〜、集英社)も今年最終章に入ることを明言された。同年代に始まった大きな世界を扱う物語の終わりが見え始めている。終わってほしくない気持ちと、不慮の事故などなく無事に終わって欲しい気持ちが綯い交ぜではあるが、今はひとつひとつ作品を読み返したり、新作を楽しんだりしたいと思う。

赤い夢の世界、はやみねかおる作品については、他にも色々と書いている。以下のマガジンにまとめているので、(令夢考察後編など書けていないけども…)よかったらお読みください。では!

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