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[読書日記]『テレビは見ない』というけれど

「テレビは見ない」というけれど
エンタメコンテンツをフェミニズム・ジェンダーから読む
青弓社編集部 (著, 編集)

こちらも星野源さんの会員サイト『YELLOW MAGAZINE+』に掲載のLIGHTHOUSE座談会で聞き手を務められた、ブックコーディネーターの内沼晋太郎さんが紹介していた本の一冊です。

(ここでの内沼さん紹介の本がどれもこれも興味を引かれるものばかりで今順番に読んでいる最中です。)

「私テレビ見ていないんです」
とかれこれ15年ぐらい言い続けている。

いつからか、ただやかましい箱にテレビの価値が下がってしまっていた。
推しが出来てからは推しの出演作を見るようになったので前よりはテレビを見る機会も増えたがそれでも他の番組はやっぱり見る気は起きない。

そんな私が本書を読んでみて、ほーっ!と今そんな事になってるのかと恐らく本来筆者が意図していた事とは別の意味でカルチャーショックを受けた。

読み進める中で印象に残ったのは「第6章なぜワイドショーはずっとああいう感じなのか」
そういえばワイドショーで女性のメインキャスターは見たことないかも。どちらかと言うと視聴者は女性の方が多いと思うのだが(そうでもないのか?)女性目線の作り手がいても良さそうなのに。だからワイドショーはああいう感じなのかと妙に納得してしまった。

ここまで案外サクッと読んでいたのだけど、最後の章「第13章わたしのためではない物語に親しむ――マイノリティ、ジェンダー、テレビドラマと社会空間のあいだから」がとても読みごたえがあり一気に引き込まれた。

当然、エンタメ作品に触れる時は自分のために観る・聞くと思っていたがその当然の中に肯定も否定もされない「なかったこと」にされていた人やモノが含まれていることを私は恥ずかしながら気付いていなかった。

「周縁化された属性の人々にとって、ほとんどの映画やテレビドラマは自分のためのものではない」
俳優のラヴァーン・コックスはそう指摘し(以下略)

ジェンダーやセクシャリティでマジョリティの人々には「『いま、映像は世界をどのように切り取っているのか』という問いに対して、まずは黙って声を聴けと答えたい、わかったふりはやめて、目の前の人が話し出すまでの間を待つこと」を求める岩川ありさの言葉を借りたい気持ちもある。
既に/常にあった声の力を奪わず、響かせる空間をまず作れを言いたくなる。

第13章わたしのためではない物語に親しむ――
マイノリティ、ジェンダー、テレビドラマと社会空間のあいだから
鈴木みのり

本書のタイトルには”テレビ”と入っているけれどそれ以外の媒体においても、もちろんここで問われることは他人事ではない。
私が気付かず素通りしていた事をちゃんと伝えてくれる作品に期待したいし、またそれを求める声を発信しなきゃいけないと思いました。

余談ですが、星野源さんがよく自分の音楽からあぶれる人を1人でも少なくしたいとインタビューなどで言っていて、実際彼の楽曲は普遍性がとても大きいと思っている。

またオフィシャルイヤーブックの中のご自身の結婚の話の中で現状の日本の婚姻制度からあぶれてしまう人々についても言及している。

こういう思考をお持ちの方が(そこに至るまでおそらくすごくたくさん学び考え悩んだと思うが)推しで良かったと心から思う。

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