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バイヤァ的な生活/カンガルー肉のカレー/気づけばカレーライス的なものばかり食べている:カレー哲学の視点(10/17〜10/23)

文化祭燃え尽き症候群に陥り、ここ1週間ほどスローライフを送っていた。日照時間が短くなるに従い、反比例して眠気の量は増大していきます。

室温に置いてあるココナッツオイルやギーが固まるようになると、作りたくなる料理もだんだん北上してくる。

ココナッツミルクたっぷりのカレーやドライめの料理が多い南インド料理はやはりトロピカルな異国の食べ物なのだ。常夏の気候にあった食べ物であり、個人的には寒い季節にはあまり作らない。どちらかというと今の時期に何も考えずに作りたくなってしまうのはネパール料理やベンガル料理などで、水分が多く身体が温まる気がする。

以前冬に訪れたカトマンズはかなり寒く、到着してまもなくお湯を飲んだし、翌日には熱々のトゥクパで身体を温めた。長野の山の中で生まれ育った自分には、山に囲まれたネパールの風景も素朴な食べ物も身にしみた。

適当に作ったネパール料理
カレーリーフを室内にしまえ。

バイヤァ的な生活

バイヤァはカレーシェアハウスの立ち上げメンバーだが、海のように安定感がある運転テクニックと、頼もしい爽やかな体育会系ということで定評がある。インド力が高い。
マサラ部室のイベントを無事終わらせ、いまは沖縄に移住したばかりだ。彼は人間と触れ合いすぎて心が汚染されると山の中をひたすら走りまわったり、ソロキャンプで心の洗濯にでかける。 

自然に親しみ、心を穏やかに保つ。決して無理をしない。
運動をし、プロテインを飲む。夜は22時には就寝する。ゆで卵を毎日ゆでて、キャベツをもりもり食べる。作りたくないときには無理してカレーを作ったりはしない。夜は毎日のように近くの温泉が出る銭湯に出かけて一時間以上風呂に入る。

そんな、自分のルーチンを保ち心を穏やかに日々を送る彼のやりかたをバイヤァ的な生活と呼び、スローライフの参考にしてみよう。心のなかにバイヤァを飼うのだ。気を抜くとすぐ無理をしてしまいがちな自分の生き方に気づかされる毎日だった。


僕は、すぐに夜ふかしをしてしまう。明日に回せるものを今日中に終わらせようとし、背伸びして頭でっかちな知識ばかりを得ようとする、強欲でエゴの強い自分の在り方に気づく。眠れるときは眠って、ストレスを感じることはなるべく回避した。

僕は最近、ずっと家にいてばかりで身体を十分に動かしていない。筋肉の足りない自分の薄い身体に気付かされる。優しさって、結局は体力であり強さだ。筋肉を鍛えることで節電も心がけなくてはならない。筋トレが日課になった。

僕は、毎日のようにゆで卵を茹でた。タンパク質を手軽に補給できるゆで卵は筋肉の強い味方でもある。毎回の食事が全て豪華でなくてもいい。気を抜けるときは抜いていいのだと、彼はきっとそう言うだろう。レシピを見ずにネパール料理とベンガル料理を作った。マサラ部室の月別テーマから外れて自由に料理をしたのは久しぶりだった。自分でルールを作って自分で勝手に縛られている、不自由な自分に気付かされた。

僕は仕事をさっさと片付け、久しぶりに銭湯に出かけてみた。そこは自転車で10分ほどの距離にある。すっかり冷たくなった夜風を切ってたどり着くと、冷え込み始めたからかいつも以上に混んでいる。天然温泉の出る露天風呂があるのに値段がそれほど高くないことと、入れ墨のある人の入浴を禁じていないことが人気の理由だろう。なにしろ入浴客の2-3割が「TATOOあり」なのだ。

浴場はいつも以上に混んでいたが、露天風呂は入れ墨を背負った者たちに占拠されていた。側の石段に腰掛けて待機してみるも一向にスペースが空く気配がなく、そのまま諦めて出てきてしまった。土日の早い時間帯などに行くと、子供連れの入れ墨のおじさんたちがたくさんいるのだが、お子さんたちはいつ頃からパパの身体にある模様が遺伝ではないことに気づくのだろうか。

バイヤァなら、そんなときどうするだろうか。
早く沖縄にいってカレーを作りたいですね。

カンガルー肉のカレー

冷凍庫にたまたまカンガルーの肉がある、ということが皆さんのご家庭でもよくあると思う。
これまたたまたま大量にあったコリアンダーリーフとともに、とりあえずカレーにしてみた。

カンガルーのランプ

カンガルーの肉を自分で調理して食べたのは初めてだったが、癖のない牛肉のような風味で、加熱時間が少なくても柔らかく食べやすい味だった。

そういえばカンガルーの本物を間近で見る機会があったのだが、肉を食べたあとだとこの動物そのものを見る見方が変わってしまうように思えた。味を知っている、その肉を食べたことがあるというのは視覚的な理解、触覚的な理解を超えて内側からその対象を知っているような気にすらさせる。

カンガルーは人間に危害を加えないようによく調教されている。筋肉がもりもりでオッサンのような動きをしていた。先日調理したランプの肉というのは尻尾の付け根からお尻にかけての肉だという。

そういえばヤギの匂いを嗅いだらマトンカレーを食べたくなって結局夜はマトンニハリを食べてしまった。その動物特有の匂いというのが肉に共通する成分としてあるのだろうけど、匂いをかいで食べたくなってしまうというのはサイコパスかもしれない。

気づけばカレーライス的なものばかり食べている

ここ1週間、気づけばカレーライス的な形式のものばかり食べていた。なぜだかわからないが、心の中のバイヤァがそうさせたのかもしれない。

カシミールカレーはもはや一つのカレーではなく、ジャンルとして成立している。すなわちカシミールカレーと言っても多くのバリエーションがあって、それだけで一つの生態系をなしているように思える。
こちらはボディ感が強く刺激が少なめ、甘めの仕上がりのカシミールだった。にんにくの香りはかなり強く、食後に口に残っていたw

沖縄居酒屋のネヴァーネヴァーランドに久しぶりに行ってみたら、あまり沖縄ではなくなっていた。沖縄料理はスクガラスという発酵した小魚くらいしかなかったが、シンプルなチキンカレーが美味しかった。

「無水パキスタンカレー」というのも、もはやひとつのジャンルをなしていると思う。パキスタンにはお客さんをもてなすためにひと晩かけて鶏肉をスロークックしていく料理があるのだが、それが日本に輸入され主に横浜と札幌で独自発展を遂げた。ホロホロどころかボロボロに筋繊維がほぐされたチキンの旨味が染み入るカレーであった。

寒くって、嫌なことが続いて、だめになっちゃいそうで、思わずピュアベジの反対側にあるようなノンベジの極みのようなジャパニーズターリーを食べた。しょっぱなからわかりやすい旨味がして、日本食ってすげえんだなというのが率直な感想だった。値段あたりのエネルギー量がすごい。

松屋のごろごろチキンカレーは、ごろごろ煮込みチキンカレーとは別のものだった。にんにくと塩味ととろみと旨味がブーストされていて、なかなかお腹が減らなかった。カレー食べたぞ、っていう満腹感だけが残った。

イマサのインド風カレーがジャンキーで好きなのだが、朝カレーのシンプルなチキンカレールウは全く別物だった。ケチャップのような、お子様カレールウのような甘ったるい具のないソースだった。
情緒とシチュエーションとともにかきこむ朝カレーだった。

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