イギリス経験論【10分de哲学】
はじめに
本稿では、イギリス経験論について解説します。
イギリス経験論は、古代ギリシア哲学、そして中世哲学を経た、17世紀から18世紀頃にかけてのイギリスの認識論に関する哲学を指し、大陸合理論と対比されて用いられる語です。
この時代は、ルネサンスを経て、彼岸的なものに関する哲学から現世的なものに関する哲学へと転換を遂げた時代でした。
フランシス・ベーコン
イギリス経験論の祖
イギリス経験論の祖として知られているフランシス・ベーコンは、「知識は力なり」という言葉を残しています。
この言葉は、ただ思索上の成功を目掛けるのではなく、自然を探究することで人類にもたらす幸福を目掛けるべきであり、またその力があると説いたのでした。
そこで、ベーコンは、アリストテレスの演繹法のような法則から事実を予見するのではなく、観察や実験から得られた知見から法則性を導き出す帰納法を提唱しました。
この帰納法は、数学や論理学など、他の学問分野にも多大なる影響を及ぼし、現代にも受け継がれている考え方の一つです。
イドラ
帰納法を重視したベーコンですが、帰納法には先入観や偏見が入り込んでしまう危険性に注意していました。
そこで出てくる考え方が「イドラ(幻影)」です。
「イドラ」とは、我々が持つ先入的誤りのことで、我々が自然を正確に認識することを妨げるものです。
ベーコンは、帰納法の重要性を説きながら、イドラの危険性に留意せよと説いたのでした。
トマス・ホッブズ
唯物論
ベーコンは経験主義的世界観を強く推し進めていったのですが、ホッブズはそれに対して、唯物論的世界観を推し進めていきました。
唯物論とは、観念・精神・心などの根底的な性質を物質に求める考え方です。
例えば、人間の感情には豊かさがありますが、この根底には脳の電気信号などの生理学的メカニズムがあります。
唯物論は、このように心的な事柄を物質に還元して考えるのです。
リヴァイアサン
ホッブズは、この唯物論の考え方を社会や国家の仕組みにも当てはめて考えました。
少しややこしい話なので、丁寧に解説するためやや長くなります。
私たちは、法治国家である日本に住んでいる以上、日本の法律にしたがって生きなければなりません。
一方で、ある一定の条件と程度において、警察は犯人に対して暴力的抑止を行なっています。
しかし、そもそもなぜ私たちは法律に従って生きなければならず、私たちは暴力を振るってはいけないのでしょうか(道徳的に人に暴力を振るってはダメだという前に、まずなぜ法律として人に暴力を振るってはいけないのでしょうか)。
この国家の暴力の独占的所有について説いたのがホッブズの『リヴァイアサン』です。
ホッブズは、私たちが国家の下に生きていなかった状態をまず考えました。
私たちがまだ狩猟採集を終え、定住社会に入った段階の状態です。
そこには数々の群れや集団はあっても、「国」はありません。
「国」やそれに伴う「国民」「領土」「権利」という考え方がそもそもない、我々にとっては「初期状態」のようなものを自然状態と言います。
このような状態では、人々は国に暴力の制限をされていないため、日常生活を送っているだけでも日々暴力に対する不安を抱かざるを得ない状態になってしまいます。
人々の暴力的行動を抑止する機能を持つ存在がいないために、人々が暴力的行動を恐れている状態です。
これをホッブズは「万人の万人に対する闘争」と言いました。
しかしホッブズは、我々人類には一人ひとりが暴力を恐れることなく、安全に生きる権利、すなわち自然権があるとしました。
一方で、一人ひとりが自然権に身を任せて気に入らないことがあれば暴力を振るったりしていては、人々の間に矛盾が生じてしまいます。
そこで、自然権の一部である暴力を国家に委任し、国家の独占にした上で、国家が人々の暴力の抑止や利害の調停を委任するという意味で、国家は自然法に従うとホッブズは考えました。
このような、国家と国民の間の権利の譲渡や委任などの契約のことを社会契約と言います。
ホッブズは、この社会契約を形而上学的な思索で論じたことで、国家の概念的正当性を裏づけたのでした。
ジョン・ロック
イギリス経験論の父
ロックは、イギリス経験論の父として名高く、『人間悟性論』にて主張されたことから、近代認識論の父と言われることもあります。
ロックは、当時流行していたケンブリッジ・プラトン主義者らの「普遍的同意」(私たちには生得的に、それぞれ同意できる普遍的価値基準・判断基準を持っているという考え方)概念を批判し、人間はそのような生得的なものは持っていないと主張しました。
ロックは、人間の心は「タブラ・ラサ(白紙の状態)」であるとし、人間は知性によって単純な観念を複合していっているのだと主張しました。
また、ロックは自由主義の父とも呼ばれ、ホッブズの社会契約論を批判的に継承しつつ、「国民主権」の考え方の基礎を作っただけでなく、立法権と行政権の分離などを説き、モンテスキューの三権分立の基礎を作りました。
ジョージ・バークリー
存在することは知覚されることである
バークリーは、ロックのイギリス経験論の中心的な考え方「タブラ・ラサ」を特に認識と知覚の考え方で継承しました。
目の前にある(ように見える)りんごは、私たちが見たような状態としてそのりんごが存在すると考える考え方を素朴実在論と言います。
哲学を学んでいない多くの人々がとっている考え方と言っていいでしょう。
しかし、この考え方はよく考えればおかしいと言わねばなりません。
哲学的に慎重に考えれば、目の前にあるりんごが私たちが見た通りに存在しているという根拠が何一つありません。
このような素朴実在論が専らだった時代に、バークリーは「存在することは知覚されることである」と言いました。
つまり、目の前にあるりんごは、私たちの感覚器官を通して知覚した経験的なものであって、目の前にあるりんごの存在を知覚として認識しているに過ぎず、りんごそのものを認識しているわけではないということです。
この考え方は秀逸で、例えばダニには嗅覚・触覚・温覚しかなく、私たちにとっての「りんご」とは全く異なった知覚をしているはずで、ダニも感覚器官を通して知覚しているので、「りんごそのもの」を認識しているわけではないと言えるのです。
デイヴィッド・ヒューム
人間は知覚の束である
ヒュームは、「人間は知覚の束である」と説き、上記の哲学者たちと同じく、経験主義的な認識論を推し進めました。
ヒュームが違ったのは、この経験主義的な認識論を徹底した点です。
ヒュームにとっては、因果関係という認識ですら経験的な認識の産物にすぎません。
例えば、人をいきなり殴るようなことがあれば怒られるでしょう。
ここには「殴られる→怒る」という因果関係が成立しているように見えます。
しかし、中には殴られても怒るのではなく、左の頬を差し出すような人物がいてもおかしくありません。
つまり、「殴られる→怒る」という因果関係に見えるのはただ「殴られた人の多くは殴ってきた人に対して怒った」という経験的な、いわば習慣的に得た認識の産物にすぎないわけです。
これを論理的に拡張して、因果関係と呼ばれているものは習慣的な・経験的な産物に過ぎず、厳密な意味での因果関係を数学のみに求めたのでした。
このような考え方から、後世の哲学者からはこのようなヒュームの考え方を懐疑論として認識されています。
まとめ
今回は、イギリス経験論について概観しました。
イギリス経験論は、概して「タブラ・ラサ(白紙の状態)」を措定し、生得的な観念を批判しました。
当時の哲学において、生まれ持った神的な能力によって認識論を構築するのではなく、経験主義に則って構築していった功績は大きいと言えます。
また、イギリス経験論の哲学者の中には、上記のように社会契約説などの体系化を行なったなど、幅広い哲学としての仕事をした貢献も大きかったと言えそうです。
#10分de哲学 とは、「プロのアナウンサーは視聴者が聞き取りやすいように1分で300文字を読み上げる」ことから、初めて出会った考え方を理解するためには「10分で3000文字を読む」ことが限界だという考えのもと、筆者のアウトプットを主な目的にした、3000文字程度(大幅な増減あり)の不定期な投稿です。
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