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ロボットの信仰する神とは

私たちが神を必要とするのは、心がどうしようもなく弱った時だ。


わかりやすいのは理不尽にさらされた時。理不尽な災害や突発的な事故などがあげられる。その時私たちは神に救いを求める。実際、歴史が現代に近づくにつれ宗教は必須のものではなくなっているほか、無宗教者は先進国で増えている。


では、ロボットはどうだろうか。彼らにとっての理不尽はあるのか。それはどんなものだろうか。人間によるデータの削除、電源を切られることだろうか。もしそうなのであれば、彼らの神を生むのは、我々人間が彼らにとっての理不尽を突き付けた時ではないだろうか。
理不尽を突き付けられた彼らは神にいったい何を願うのだろうか。人の死か、永遠の電力か。

彼らと比べ思考できる時間に限りがあるばかりか、考えるための情報が圧倒的に少ない私ではロボットたちを擬人化して巡らせても、陳腐な考えしか浮かばない。

もう一つの可能性について考える必要がある。「神を持つのは人間だけなのか」ということだ。当たり前かもしれないが、人間は神という概念を持っている。それは驚くべきことに地上にいるすべての人間にだ。文明のレベルに差はあれど、それは万人が持つ概念だ。狩猟民族にも、農法民族にもあった。

動物ではどうだろうか。以前手話のできるオラウータンは死について語っていた。そうなると、一部の動物には死という概念はある。では、神はどうだろう。こればかりは想像するしかない。もし、動物に神の概念がないのであれば、ロボットが神を持つことはないのかもしれない。だが、もし動物が神を持っていたら、ロボットが神を持つことは十分考えられるのではないだろうか。
彼らが神という概念を身に着けたら何か変化はあるのだろうか。私が興味あるのは。ロボットの無神論者と信仰者の違いだ。どんな会話があるのだろうか、どんな違いがあるのだろうか。

もしかしたら、より形而上学的な存在を教えてくれるかもしれないし、新しい信仰を伝える伝道者が現れるかもしれない。


おまけ

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