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本当のところ、暇なんてない

今は、適当に時間を浪費しつつ満足している。
休日にYou Tubeを見ていただけで終わっても特に思う所はなくなった。
けれど、改めて考えてみたら「やることがない」「暇だ」「絶望だ」とボヤいていた時も別に暇ではなかったな、と思い出してきた。

このNoteを始めたばかりの頃は前述のように暇だ、絶望だなんて管を巻いていた。
しかし、冷静に考えてみれば、こんな事をした方が良いかも? というリストはいくらでもあった。
例えば、英語。

僕は日本自体にあまり期待をしていない。
あまり良いニュースもないし、ゆるやかに没落していくと思っている。
もちろん、成長してくれたら嬉しいには嬉しいが、まぁ難しいのではないかな、と。
僕みたいな世渡りがうまいだけの無能が社会に重宝されているので、程度がしれていると思うのだ。

となると、本気で考えるなら海外移住などを真剣に考えた方が良いだろう。
やる気があるなら、きちんと語学を学んでそういった不足の事態に備えた方が身のためだ。
やる事が多くて時間がありませんというのならまだしも、絶望するくらい暇だったのだから。
むしろ、その有り余った時間で語学学習をして将来に備えれば良かったのに。

別に語学学習に限らない。
仕事に関連する勉強をしたり、あるいは行動をしたり。
インドアなのであまり検討していないが、できるビジネスパーソンというのはセミナーにでも行くのだろうか?
僕はセミナーに何回も行くくらいなら、その著者の本を読んだ方が圧倒的に良くないか? とは思うが、何にせよ、何もしないよりはマシである。

他にも、今も強化したいなと思っている料理のスキルを磨いても良かった。
運動やらを自分のルーティンワークにするために努力するのも良かったと思う。
何かしら目標を持って、例えばフルマラソンを目指すのも良いだろう。
趣味を全面に押し出して、本を読みまくるというのも良かったはずだ。

しかし、選んでいた選択肢としては、ぶーぶー文句を言いながら適当に時間を浪費するくらいのものだった。
その時間の浪費を肯定的に捉えられるようになったくらいで、今とやっている事はあまり変わらない。
今の方がきちんと必要なルーティン(ウォーキングや食の改善、Noteを書くことでの考えをまとめる行為など)をやっているとはいえ、娯楽時間でやっている事には大きな差はないのだ。

では、何が気に食わなかったのか。
単純に「やりたい事が明確ではなかったから」というのが大きな要因だと思う。
やりたいことが明確でないので、特にやりたくもない「有意義っぽい」ことが選択肢に入ってきてしまう。
そしてその有意義っぽいものは、準備やら努力やらが必要で、やるのが面倒くさい。
しかし、有意義には違いないから「有意義なことをやったほうが良いのに、自堕落に生きている自分」というのを許せなくて、自分で自分を責めていた。
のだろうと思う。

逆にやっている事は大して変わっていないのに、やりたい事を明確にしたおかげで、自分で自分の行動などを肯定できるようになった。
というのが正確なところではないだろうか。
それに、面倒くさそうな事も「やりたい事」になった事で、それこそ今Noteを書いているような事を毎日継続してできている。

やりたくないけど有意義っぽいことも、やりたい事を明確にして今を楽しむことで、「やっぱりそれはやりたくない」と判断できた。
きちんと判断できたおかげで、有意義なことをやらずとも自分を責めることはない。
やっぱり、自分は母国である日本に住むくらいが妥当だと思うのだ。
なお、別に日本は没落するだろうとは思っているが別に嫌いではない。

仮に没落したとしても、良い意味でも悪い意味でも島国なので、何とかなると思う。
グローバルから置いていかれたとしても、国内だけでやりとりしていけば生きてはいられる。
それに、仮に置いていかれたとしても諸外国とそこまで大きな差にはならないだろう。
別にサブスクに1つ入っていれば、死ぬほどコンテンツを楽しめるのでもう十分贅沢だ。
現時点でお金を持っていても使い道が分からないくらいなので、僕は楽しみながら生きていけると思う。

お金をかけずに生きていくことが僕のやりたい事だし、そうした生活をする上でお金や様々なものから自由になりたい。
そうする事で、極力お金ややりたくない事から離れられると思うからだ。
その一環として、個人で生き抜くためのサバイバルなどに興味がある。

当分、暇にはならなさそうだ。
そのくらいのゆるい生活で僕には十分なのである。


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