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ミニマリストよりもモノが少ない

僕はテスト勉強の前に片付けをよくするタイプだった。
その延長で、部屋を片付けまくった結果、モノがほとんどなくなった。
モノがなければ、考えることも少なくなって集中できる。

ミニマリストが「モノを少なくする」ことだけが目的じゃないことは分かっている。
自分にとって必要なものは、たとえ贅沢品だとしてもきちんと買う流儀だろう。
むしろ、一つひとつのモノの価値を大切にするのがミニマリズムだと思う。

その点、僕は持っているモノが凄く少ないので、周りからはミニマリストだとか言われるが、そうではない。
単にモノが嫌いなのだ。

空間把握能力がないのか、僕は身体を家具にぶつけたりすることが多い。
何度もあるき回った部屋なのに、モノに躓いたり、ドアに足をぶつけて足の指が血だらけになることもままある。
そのため、既にいらなくなったものに対する憎悪が大きいのだ。

昔は、僕もモノを捨てずにゴミ屋敷みたいな部屋で過ごしていた。
電子書籍なんてまだない時代だったから、ベッドほどの高さに本が積まれて、足の踏み場がなかったり。
本が溢れて、収納のふすまが破れてしまって、敷金礼金以上に修繕費用を迫られたり。

別にそんな意識はないが、2,3年に1回くらいのペースで引っ越しをするので、その度に大量にモノを捨てるのにも疲れた。
残ったものだけでも、高額な引っ越し費用がかかるので飽き飽きしたのだ。
そして、僕はモノを憎むようになった。

モノを捨てる上で一番重要な考え方としては、目の前にあるものを見つめて、「もう一度これを買うか?」を問うことだ。
Noであるなら、それは不要なものだ。だから、捨てる。
判断に迷ったら、部屋の隅のダンボール箱に入れておいて、1ヶ月経ってもその中に入っていたら捨てる。

趣味の読書に関しても、電子書籍以外は買わない。
なので、紙の本でしか出ていない作品は、僕が鑑賞するための作品じゃない。
自分はターゲットではないのだ、と見向きもしない。

極力モノを減らしたいので、僕の家には箸がない。
料理にも使えるさえ箸があるので、それ一本で済ませる。
フォークもない。スプーンは、さえ箸では代用できないので持っている。

コップがない。
口が深めのお椀が1つあるから、コップが必要な時はそれで代用する。
麦茶を良く飲むが、3lのピッチャーだけあって、(口をつけずに)直に飲む。

収納ケースなどはなく、引っ越しの時に使ったダンボール箱をそのまま使っている。
服についても、大は小を兼ねるので、長袖があれば半袖も代用できると言い張ってしばらく長袖しか持っていなかった。
服を汚すことが多いので、捨てる時に買い替えるついでに半袖も買ってしまったが。
僕は半袖を買ったことに関して、贅沢なことをしたなぁと思っている。

僕は自分がケチという感覚はあまりない。
いらないと心底思っているから買わない。
モノが多いと掃除やら管理の邪魔になったりするから、本当にいらないのだ。

また、欲しいと思ったものは、あまり吟味をせず値段も見ずに買ってしまう。
とりあえず買ってみて、自分に合わなければ捨てる。
モノによっては、1回だけ使って、そのままゴミ箱に入れることもある。
といって、物欲があまりないのでそこまで散財はしていないが。

定期的に捨てるものを探して、モノを捨てるようにしている。
そこまでしないと、やはりモノが増えてしまうからだ。
モノは豊かさの象徴のように思われていた時代もあったらしいが、今はゆとりや余白を楽しむ時代だと思う。

ネットやサブスクといったコトが世の中を覆っている。
モノや量を突き詰めようとすると本当にキリがない。
自分にとって必要なモノを見極めて、それを愛でる余裕が必要だ。

といって、僕はそういった愛でるモノがなくなってしまって、
暇という絶望に覆われているのではあるが。
ただ、最近は目的や意味を考えずにただただ時間を浪費することだけを考えている。
だらだらとYouTubeでも見ている間に、あっという間に時間が過ぎ去ってくれたらそれで良い。

暇だの自分の存在意義だの考えて鬱々としているくらいなら、レコメンドされるままにYouTubeを見て、時間を消費すれば良い。
モノやコトにお金を払わない代わりに、ほとんどの金額をインデックス投資に入れている。
そのため、時間が経てば経つほどお金が増える可能性が高まる。

欲がない分、無駄にお金を使わず、堅実に投資にあてて後は時間を浪費する。
時間を味方につける稼ぎ方をすることで、無意味に過ぎ去る時間で金に金を稼がせる。
そう思えてからは、いちいち面倒なことを考える時間が減っていった。
これは無駄な考えを捨てる効能かもしれない。
モノだけでなく、無駄な考えもどんどん捨てていこう。


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