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対岸の火事。

 492回目です。φです。

 今日はすごーく暑い日だったようで、37℃。気温を説明すると、フィリピン在住の講師の方々から驚かれます。日本、亜熱帯になる気でしょうか…えええ…。

 ほんと、危険な暑さだと思う。外で活動しなければいけない方々が、安全にできるようになればいいな、と思います。短期的には秋になって涼しくなってほしい、で長期的には異常気象を解決してほしい、ですね。ほしい、というよりも「やっていこう」という気持ちの方が強いけれど!

 今日も色々とありまして、基本的には多くのことが「対岸の火事」で、関係がない人には本当に関係がないんだなぁと思うことがありました。それについて、書いていこうと思います。


 私がそう感じたのは、今日が29日こと”肉の日”で、ちょっとした会話から。今日は肉の日、肉が安く売られるから食べるぞーって話。まぁ肉を食べる云々は個人の意思なので私がどうこう言う権利はないのだけれども。

 私は自分が環境に対して様々な思いがあることを再び知りました。環境のために、と思ってやることはたくさんあります私自身。電気の消費量を減らす、ごみを出さないようにする、エコを心掛ける、などなど。使うものは見付けられたらリサイクル系のものを使う。品質がすごく劣るわけではないし、私にとって不都合なことがあるわけでもないから。

 その意識の延長線上に、肉を控えめに、という考えもある。そこまで肉食に興味を持っていないから「肉を控えよう!」と思って行動しているわけではないけどね。そこまで好きじゃないし、なら控えようというくらいです(笑)

 あと、うなぎに関しても言える。うなぎはレッドリスト入りしているにも関わらず、消費量が止まらない。代替品も増えたとはいえ、「丑の日はうなぎ!」の風潮は消えていません。環境的にどうなんだろうな、と私は思います。私は好きではないどころか嫌いなので、勧められても食べません。もし好きであっても、レッドリストという現実がある以上食べないと思う。食べなくても死なないもの私!

 そういった自分の「環境のため」と考えていることは、誰かは賛同するかもしれないし、誰かは同じように意識しているかもしれない。けれど、反対に誰かから見れば「過剰」で、批判的な意見を持つ人もいるだろうと思う。好きなものを食べて何が悪い、とか。自分には関係ない、とかね。

 「自分には関係がない」と思えば、何でも関係なくなるんだなぁと思った。自分ひとりが気にしたところで変わらないのだから関係ない。気温が上がって嫌だ、でも関係ないで済ませることは可能です。

 先日の首相の辞任でも、難病とか病気持ちとか、自分に関係がなければ「へぇ」くらいのものなんだろうなぁとも思いました。自分に関わらないことって、そうなるんだろうなぁ。

 私自身も、自分の興味のないことにはきっとそんな態度なのだろうと思います。ある程度社会問題になっていることには関心を持って調べたり知識として頭の片隅に入れていたりはするけれど、そうではないことはきっと全く知識を持たないし、興味も持たないのだろうと思う。

 まぁ人間何かと有限です。すべてのことを知っている人なんていないだろうし、すべてのことに興味を持つことは難しい。すべてのことを調べることだって無理だろうと思う。数千年数百年生きていれば違うかもしれませんが(笑)

 けれど、社会的なことに関してはある程度は関心を持っていてほしいな、と思う。個人の力は微々たるものだけれど、個人が集団になったときの力は決して微々たるものではない。良くも悪くも、だけれどね。

 誰もが自分に直接関わりはなくても、未来の世代に関わることは自分も関係がある、と思えばいいな、と思う。未来のことにいちいち思いを馳せるなんて面倒!と思うかもしれないけれど。

 何事にも関係があって、自分も地球にいるのだから。国にいるのだから。人なのだから。その基準で、関心を持たれるものが増えていったらいいな。

 関心がある人が舵を取るのは素晴らしいことだけど、その人に続くことだって素晴らしいことです。「やってみた」とかの動機でもいいから、ぜひ関心を持ってほしい。

 そういう私も、興味の幅はかなり狭い。少しずつでも広げていこう。「私には関係がない」で終わらせようとせずに!

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