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「克服しなければ!」にさよなら

りあです。自分の価値観を洗い出したい欲がありまして、うんうんと「私のなかにある固定観念・価値観」を考える日々を過ごしております。超突然ですが(笑)

突然ではないのですよ、本当は。最近「そういえば天文学って昔からあるし、今もそれなりに続いているよね」「新月や満月の日ってなんか不調になったりするよね」と思いまして、少々私は「星の動き」というものを意識して生活している。

6月22日は山羊座の満月で、「新しい自分になるにはぴったり」の日なのだそうで。2024年に「待ってました!」な年齢を迎えた私にとっては、なんとなーく「新しい自分になれる気がしてる!」という感じでして。

よぉし、星を読んでいらっしゃる人たちがおっしゃっている「6月22日までにやっておくと良いこと」をやっておこう。そういう気になった時こそ、そういうものって叶うはず。

と、いうことで。「やっておくと良いこと」のステップ1として挙げられていた「自分の価値観を書き出すこと」をやっているわけです。

結構私、一途で健気でしょ(笑)

私の理由はさておき。自分の価値観を知るのって、案外難しい。だって価値観ですもの、息をするように自分に根付いているものですもの。

私は本を読んだり、人の話を聞いたり、そういった「自分以外の”思想を持つもの”とのかかわり」を通して、自分の価値観を探るようにしています。「え、それはちょっと」とか、「いいねそれ!」と、私自身の判断が動いたときに、価値観ってじわ~っと滲み出るものですし。

「は!これは私の…偏見…!」とか「私ってそういうの嫌いなんだな~…ってことは、〇〇が良いって思っているんだ。へぇ」とか。そういった感じに、自分の反応を分析しています。超マニアック。

そんなこんなをやっているうちに、私は「克服しなければ!」と、「自分ができていないと思うことへの対抗心(?)を持つことが大事だ」という価値観を持っている、ということに気づいたのですよ。

まぁ、これには根深いものがあると思う。私が一般就労をして撃沈した頃、そして就労移行や障がい者職業訓練校に通っていた頃、散々言われた言葉だったし。

その経験を得るまでは、私は「できないものはできない。やっても伸びが悪い。だからできることを伸ばす方が良い」と思っていたわけです。合理的でしょ。

しかしながら、そういった態度は非常に!相手を怒らせるのです。「やる気がない!」とか「根性がない!」とか。「精神論が大事です」派の人にとっては、私は「頑張ります!の一言も言わなくて開き直っている野郎」なわけで。

「無理でーす、なので別のことで私は貢献します」みたいなマインドをメシャアと潰されちゃったのです。出る杭は打たれるならぬ、出る杭はめり込まされる。みたいな。

そんな経験をするうちに「頑張ります!克服するために頑張ります!」みたいな、そういう価値観を私は身にまとってしまった。良くも悪くも。

いろいろ頑張ってみました。苦手な環境に自分を置いてみるとか。どう努力しても改善しないことを泣きながらやり続けるとか。できない自分を追い詰めながら叱咤激励するとか。

まぁ結局、そういった努力の結晶は涙ぐましいくらい成果が出ないんですよね。「あ、無理」と最初に確信したものは上達しない、それが私の法則なのです。無念。

逆に「え、楽しいー簡単ーるるるー」と最初から感じられるものは、努力と思っていなくても続けているし、それなりに練習した人以上にできているらしいし、気楽だし。自然と上達し、成果を出せるわけです。

「〇〇を努力しました!とても大変でしたが、そのおかげで今があります!」みたいな記憶がさっぱりないのが残念だけど。「まぁできますよ、そんな苦労した記憶ありませんが」みたいな感じになるのが、非常に私の人生をさっぱりさくさくさせるわけであります。塩味な努力というか。

そういうわけで、振り返ってみると「克服する!」という努力をすればするほど、健気に一途に泣きながら血と汗をかけばかくほど、私は自爆するわけです。「克服こそ素晴らしい!」という価値観を持ち始めて以来、私は自分を苦しませ続けているわけです。

じゃあ、手放せば良いじゃない?そもそも「克服する」ってそんなに大事?

と、ふと思った。あらゆることを克服すれば、私は幸せなのか?完全な存在になるのか?人生を楽しめるのか?

Noだと私は思うんです。人間なのだから苦手なことはある。完璧な人間が完璧な人生を歩むわけでもないし、完璧に幸福だと思えるわけでもない。できないことがあるからこそ、人は人を助けるのだし、そのために社会を築いているわけです。そう私は思います。

人に対しては「無理しなくていいよ、できないなら「それ好き!できる!やらせて!」という人に任せればいいのだから」「得意な人にお願いした方がクオリティも高いし、スピードも速いし、合理的でしょ」と言うのにね。

なぜか自分には言えない。自分には「できないなら、できるまでやりなさい。努力しなさい。克服しなさい」と言い続けるって、なんなんでしょうね。言っていることとやっていることが矛盾しているというか。

私が手放した方が楽になれる価値観のひとつ。「克服しなければならない」。これにさよならしよう、というのが、6月22日に私がやること。

なんだかね、「頑張らないと!」と自然に思っちゃう人ほど、「克服しなければ!」と自分に矯正器具という名の拷問器具を付けるように、自分を痛めつけるくらいやっちゃうと思うんですよ。涙ぐましい努力をして、努力中に自分がダウンしちゃう、みたいな。で、自己嫌悪に至る。今回もできなかったとか。自分はやっぱり駄目なんだとか。

そういうの、手放しちゃいましょ。苦手だなぁ、よぉし得意な人を見つけよう。そのくらいの「ううむ、私は不得意!誰かーお助けをー!」を息するくらい自然にできる心を持つことで、自分に優しく生きていきましょうよ。

と、ここに書くことで私は自分自身に言い聞かせていたりします(笑)

軽やかに生きていきましょ。Have a cosy day.

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