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自然への恩返し。

661回目です。φです。

春の陽気でしたね、昨日。まぁ来週には冬が戻ってきて、雪が降るという予報も耳にするのだけれども。

地元の野菜を買いに産直販売所に行くと、子どもたちがたくさん。楽しそうに走っていたり、外に置いてあるテーブルと椅子に座ってちょっとしたピクニックしていたり。なんとも幸せそうな雰囲気でした。

人がいないところではマスクを外して、いっぱい外の空気を吸うんだよ~と心の中で彼らに手を振りながら伝える。運動中もマスク姿の子どもたちを見るのは、なかなかの罪悪感のようなものがある。大人は会食やめない人もいるし、たばこは吸うし、なんだか悪いなぁ、と思う。ルール違反が多い。人によるけどね。

子どもは半袖、大人も半袖の人がいるくらいの小春日和。これで段々と冬が戻ってくるとは想像できないくらいの天気。

自然あふれる光景を目にして、産直販売のツクシなどを目にして。こんなに自然のものを楽しんでいるのに、どうして駐車場に立っている私の目の前にはゴミが散らかっているのだろう、と思った。川も、きれいなようで、見るとゴミがたくさん落ちている。プラスチックのボトル。ビニール袋。缶。

ずっとゴミは分解されることなく存在して、そのうち新しいゴミが流れてきて、増えていくのだろうと思う。なくなることはなくて、ずっと溜まっていって。誰かが拾うことをしない限りは、そのまま。もしかしたら鳥が間違えて食べて、ひとつ動物の体が増えているかもしれない。

どうして、「ゴミを捨てない」ということが守れないのだろう。意識できないのだろう。とても単純なことなのにね。

自然からもらうものはもらって、返すものは返さない。恩をあだで返す、と同じような行為を私たちは繰り返す。それが環境汚染へ、やがて破壊につながっていく。誰かが意識しても、その人数を上回る数の人間が汚す行為を繰り返せば、汚れ続ける。汚染され続けて、破壊され続ける。

なんとも悲しいものです。ずっと昔から人間は自然の恵みを享受してきて、今もなお享受している。私たちが当然のように吸っている空気だってそうだ。人間は酸素を生み出せない。植物たちの働きによって、私たちは息を吸うことができている。

私は昔から自然が好きでした。休日にはキャンプに行ったりしたし、森や川と言った自然あふれる場所に行くことも多かった。だからこそ大切にしたくて、小学校の頃に落ちているゴミを拾ったりしていた。帰り道とか。

衝撃的だったことの記憶がある。仲がまぁまぁ良かった子から、「ゴミ拾ってどうするの?バカみたい」と言われた。すごくショックだった、という記憶はない。ただ、なぜそう思うのか、と思った言語化できない感情だけは覚えてる。

当時を振り返ることは、私にはできません。小学生の同級生の気持ちを考えたところで、正解なんて見つからない。今成人を迎えて数年経つ私が、小学生の頃の知識量に戻ることもできなければ、あれ程何も知らなかった頃の純粋さも考えることはできない。それに、私の同級生であって、私ではない。他人の気持ちをそっくりそのまま理解すること、推測することなんて不可能だ。考えるだけ、まぁ無駄と言っても良いだろうと思う。

今の小学生と、私が小学生だった頃の状況は違う。SDGsなどを学んでいるかもしれない小学生と、環境問題に深刻な態度ではなかった時代の小学生とでは意識も異なる。けれど、同じ純粋さを持っているとしたら、環境への望ましい態度が批判されることは”あり得ない”ものになっていてほしいと思う。

小さい頃に言われたことは、大人になって言われたことよりもずっと心に残ると思う。純粋さ故だろうし、経験の少なさ故だとも思える。けれど、幼い心に刺さったものは大人になってもどこかに刺さったような状態になるし、何かを考えるときの基本にもなることだってある。子どもの頃に育った環境での価値観って、結構影響していたりするでしょう?

子どもたちが環境への今後のためになるアプローチをしたときに、批判されない、その行為が望ましく素晴らしいものだと彼らに伝わるものになっていてほしいな、と思う。環境のために、良いことをする。自分たちのため、自然の未来のため、自分たちにとって未来の誰かのためになるのだと、ポジティブな気持ちを持っていてほしいと思う。

私たちを含め、先代の人間たちから汚れまくった地球を渡されて、嫌になっている子どももいるだろうし、世代も生まれると思う。「なんでこんなに汚したの!」とお叱りをいただくかもしれない。当然だとは思う。

それでも環境問題は一世代だけで解決できるものではない。何世代も巻き込んで、なんとか良い方法を見つけて、修復に努めていくしかない。地道なものだと思う。今の技術で話すのなら。

ゴミを捨てる大人たちに「こんな大人になりたくない」と思ってほしいし、ゴミを拾う大人たちに自分の未来を重ねてほしいと思う。まぁ、子どもたちばかりに自分の願いを押し付けるのも、なかなか酷なものだとは思う。けれど、それ以外のことは、地道に細々ときれいにするように心がけることくらいしか、きっと今の世代には難しいと私は感じます。ごめんね子どもたち、未来は託した。

少なくとも、ちょっとくらいきれいになった地球を渡したいし、森を、川を、ゴミが目に入らないような状態にしたいものです。空気の汚染は見えないけれど、自分たちのゴミを拾うだとか、ゴミを減らす努力をするとか、悪い循環になっている環境への何かを変えるようにするとか。そういったことはできるだろうから。そうやって、ちょっとくらいきれいにしていたいものです。

本日の私、川のゴミをとろうとして自分が落ちそうになったけれど。自分でも思った、ダサい(笑)

まぁいつか、ボランティアとかできれいにする活動に参加したいな、と思います。地球に優しくありたいものです。

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