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家族という原因。

 489回目です。φです。

 昨晩「…逃亡していい?家出していい?」なことがありました。なんだかもやっとした気持ちになって、支障をきたし中。関係ないと言ってしまえば関係ない、と言えるのだけれど、それでも心に引っかかったものってずっと気になる。

 コロナが始まって、ずっと心にのしかかるものはあったけれど、「ええいコロナのせいだー!」としていたけれど、まぁ実際はそうじゃない。親子間の問題。

 家族ってなんでしょうね、ほんと。

 今日は昨日のもやもやとか諸々を書こうと思います。乾いた笑いと共に。


 私の祖母は入院しましたつい最近。脳卒中。冷たい人のように思われるだろうけれど、私は当然かもね、と思う。

 脳卒中は生活次第。動脈硬化を防ぐために生活習慣を改善すればある程度は防げるらしい。適度な運動、たばこを吸わない、バランスの良い食事。などなど。

 私の祖母は運動は全くしない。歩くのすら「自分のような人間がなぜ動かないといけないのか」と言う人だった。割と恵まれた家に生まれて、いわゆるお嬢様らしい。本人曰く。

 好き嫌いも激しい。それでいて食べることが好き。私的によく分からない。私は彼女を見るたびに「この人が私の立場だったら、『摂食障害!』と言われて病院につれていかれるんだろうなぁ」と思う。私は食べ物で苦手な食感や味が多い。それはおそらく味覚過敏なのだけど。

 まぁそんな祖母が入院した。運動しない、食事も自分が好きなものしか食べない、薬ばかり飲む、アルコール中毒。当然じゃない?、と私は思う。

 身内が入院すると、大変になります。私も2回入院したし、迷惑かけてるなぁと思った。衣類だけでも数日に1回は病院に来てもらわないといけない。

 今、祖母の子どもである私にとっての母親が面倒を見ています。毎日電話もしているそう。それが自分からかけているのか、祖母からかかっているのか私は知らないけれど。

 「じゃあまとめて何でもやって、会う回数減らせばいいじゃない」と私が言うと、「それはしたくない」、そして毎日積もるストレスへの文句はすべて私に伝える、母親。私も一応は家事を手伝ったり、母親のストレスを減らすことをやってみたりはしている。好きな食べもの作ったり。母親が好む系のものを送ったり。

 まぁそれらは一時的に効果がある。でも、朝から夜まで、母親の文句が私に向かってくる。自分がやったことに期待した見返りがなかったことから、相手の対応の無礼さまで。なんだろうねぇ。

 祖母と喧嘩しかしない祖父への世話も母親にはあるようで。「一人でやるって言っているのだから、一人でやらせればいい」と私が言った。「そうね、もう知らない」、この会話、もうやって何年目だろう。そんな感じ。

 祖父の薬を取りに行って、薬局で1時間待たされた。祖父は何も言わず、ただ待っていたらしい。そこに外で待っていた母親が乗り込み、怒鳴った。相手が知らない状況を「あなたは知らないでしょうけど」から始まって、薬局のスタッフさんを謝らせた。らしい。

 見事な迷惑なお客さんになったなぁ。と思う。私にとっての母親も、ついでに言うと父親も。怒鳴って、相手が謝ることしかできない状況を作る。正直、その人は責任がないのでは?と思うときですら私にはある。

 自分が成人して、いわゆる”大人”になって。親の行動って、全然お手本のようなものじゃなかった。そう思うようになった。私が幼少期に言われ続けたことは彼ら自身の行動とは矛盾しているし。相手を怒鳴っちゃいけない。ちゃんと人のことを考える。などなど。食事のマナーですら、私は誰に教わったのだろう、と思う。

 毎年「家、出るかー!わぁい!」みたいな私ですが、今年は何度も「家出ないとまずいですね。はい。」と真顔で考えています。嫌だなぁ、人の”老い”のようなものを見続けないといけないって。まぁ義務じゃないから、私は出ていく権利を持っているのだろうけれど。

 母親とどこかに行くとき、母親が去った後にスタッフさんに謝るのはもう慣れてしまった。どうしても言えないときは影からこっそり頭を下げた。謝罪のジェスチャーをした。嫌だなぁ、これが”普通”になってしまうのって。

 どこでもため口で、「お客なんだから」から始まって。私は自分が接客系の仕事に就いたことがあるから嫌でも分かる。めちゃくちゃ来てほしくない人。お店にね。

 これからもひどくなるんだろうなぁ、と思うと、もう家出するしかない。私の幸せはここにはないんだろうなぁと思う。価値観だって違う。自分の価値観がある程度固定された今、もう一緒には時間を過ごせないな、と思う。特にこの社会とのつながりを以前より閉鎖するしかない時期には。

 私から見ると、この家族は依存関係がひどいと思う。監視しているようにも思える。狭い社会で生きてきたんだろうなぁ、と思わざるを得ないような関係を築いている。お隣の事情は全部知っていて、昔からのその土地のつながりが今でもあって、という社会。それに生きて、家族ですらプライバシーを守れない。私もそのうちに生きているのだから、客観的に見ているか、というと「そうではないかもしれない」としか言えないけれど。

 …なんだか暗めな感じに思える文章だけど、書いている私的には「私は自由じゃないと無理なんだー!飛んでくぞー!Bye!」な気持ちです。あまりにもはっちゃけた文章はなんだかなぁと思ったから、ある程度気持ちを落ち着けて書いています(笑)

 まぁ、いっそ笑える。どうしてここまでこじれているのか、お互いに依存しているのか、自由じゃないのか、と考えると、状況がブラックジョーク過ぎて笑えてしまう。

 個人が自分の生き方や過去を語る機会が増えた。それを知る機会も増えた。誰かが誰かの人生を知る機会はかなり増えたと思う。だからこそ、誰かの家族の在り方を知ることができている。毒親や機能不全家族。本来なら知ることができない「誰かの家族」を多数見ることによって、自分と比較出来て、「自分の家は”普通”じゃなかったんだ」と思えることができるようになったと私は思う。”普通”の定義は難しいけれど、心が傷ついて、家族や親兄弟姉妹の関係性に悩まされるのは”普通”とは違うんじゃないかな、と私は思っています。

 知ることができるようになった割に、人の幸福度は比例していないように思う。そういった関係性からの解放は難しい。いくら知っていても、どうにかしようとしても、「はいできた!」ではなかなか済まない。個人的な考えだけどね。

 けれど、個人は個人の幸せを追求していいと思うし、家族だろうがなんだろうが、自分と合わない場合はある。離れてもいい。私はそう思います。

 ほんと、家族ってなんでしょうね。なんだろうなぁ。まぁとにかく、幸せな人が増える社会になればいいな、と思う。

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