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性別の概念は苦しめるためのもの?

801回目です。φです。

「この人にとってはどうでも良いんだな」と思うことに出会うと、なんだかなぁ、という気持ち半分、自分以外の考えに出会って考えるチャンスと考える気持ち半分になります。

考え方の多様性はもちろん大切。考えがひとつだったら、随分と面白くない世界になると思う。

しかしながら、”性別”という現在社会問題となっていることに対して、先日直面した考えには、微妙な思いを持ってしまいます。

まぁ母親の意見であって、いわゆる”ジェンダーについての考えが全く違う”ということは当然かもしれない。世代とまとめたら失礼かもしれないので、固定概念が時代に沿っていない人、という程度にしておきましょう…

私は正直、自分の性別はよく分からない。

臓器やらなんやらを考えると、まぁ女性。女性であるということに不満はあってもそれを「違う!」と否定する気はそこまでない。けれど、「本当にそう思いますか?」と聞かれたら、「そこまで女性って思ってないかもね」という返事をするだろうと思う。

私にとっては、性別は医学的な処置のための分類でしかない。男性と女性で臓器違うし。体のパーツも違うし。筋肉量だとか、血液量、ホルモンバランスが違う。だからこそ分類して適切な医療を受ける必要がある。

他はどうだっていい、と思っていたりします。個性で女性男性を云々する必要はなくて、その人がやりたいように”自分”を表現すればいい。そこに男女を介入させることはしなくていい。

フェミニンな洋服という言葉はよく耳にします。けれど、フェミニンと言ってもフリルが多いだとか、スカートだとか、まぁそのくらいでしょう。そこに「これは女性的!」と言える要素ってそこまで見当たらない。ただフリルがあったりするだけ。

こんな具合に、私にとって性別は特別な何かを持たない。この意見から想像は易しいと思いますが、「男らしく/女らしくあれ!」と言われても納得しません私は(笑)

しかしながら、母親の意見は違った。

男らしくない、女らしくない、性別がどっちか分からない見た目をしている。

それらを口にするのは毎日のことで、それを「そこまで言う必要ないよね」と言うと怒り出す。男は男でしょ、女は女でしょ、分からないなんてありえない、分かりづらい。そう言います。

分かんなくても別にいい、と私は思う。見た目で性別を分類して、何のためになる?

色々なことに、外見は由来する。肌の色にはじまり、本当に多くのことを人は外見から分類する。分類しても意味がない、と言いたくなるようなことまで。

何かしらの意味を持って「分けるべきものだ」と思う人はいるとは思う。けれど、私は賛成できないな、と感じます。

性別という概念が、誰かを苦しめないようになってほしい。それだけを願います。

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