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人間宣言、しましょうか。

 423回目です。φです。

 今日はなんだか活動消費量少ない生物な私でした。ハシビロコウ程度かもしれない。見たことないけど本人(笑)

 「これやりたい!」がたくさんあるのだけれど、まだ世間の状況的に厳しい。アクセル全開にしたいのに、ブレーキで生活している感じ。

 結構な割合で、人が注意を払いつつも元の状態に戻っているようですが、私は「ウイルス?勝てるさ!」とは断言できないもので…安全が確認できたら、外出もできるかなぁ。

 室内でひとりでできることはやっているけれど、これから先は難しいね、の位置に立ち続けて、もう長い。ううむ、早く社会的な交流をしたいものです。見学に行きたいところもたくさんある。

 私は「人に会わないと無理です」なタイプじゃないけれど、気晴らしに交流したいし、別の人によって生まれる相互作用も求める。そして何より、家の環境がね!家出したいよね!

 まぁ毎朝毎日、聴かされ続ける母親の文句ですが、そろそろ私は緊急事態宣言をした方がいいかもしれない。そのときに、人間宣言でもしようか。

 インプットを続けて思ったことをアウトプットしよう。アイデンティティに関して、というか。これは私にとって大きな問題である、と思ったことについて書こう。家族に所属することって大切なのかな。


 さて、前述したように、私は人間宣言をしなければいけないかもしれない。これが後になって考えたとき、「大げさだったなぁ」で終わればいいと思う。杞憂であればいいと思うけれど。

 しかしながら、現在私は自分の人間宣言をしないといけないような気がするのですよ。

 私は家族が必ずしも優先されるものだといまいち考えません。家族に良い印象を持っていないからかもしれない。

 私の家は田舎の人間あるあるの、「生まれも育ちもこの地域!」の父親に祖母。母親は県内を移動したことはあるけれど、一人暮らし経験はない。実家暮らしからの結婚。

 このスペックである程度の予想がつく方もいらっしゃるかもしれない。「長男が一番!」な雰囲気があって、「女性は家にいて家事をするもの」と思っていて、という感じ。

 一言で言ってしまうのなら、世間一般で言われる「老害」を体現しているような父親と祖母です。「お客様は神様です」という態度をもって生活しています。私が覚えている外食の経験は、それはトラウマものですよ。変にお店の方には絡むし、料理にケチはつけるし、お金こそ投げて渡さないくらい。とにかく態度が悪いというか。うっわぉ私のトラウマぁぁぁ!って感じ(笑)

 ううむ、改めて家の人間のスペックを書くとすさまじいですね。まぁ私も「私は!聖人!」とは口が裂けても言えないけど。いや口が裂けた時点でしゃべるのやめるけど。ホラーだし。

 そういう家族に所属して、私は生きています。

 私が発達障害で色々とあっても、何かしらの要望をしても、基本「自分には関係ない」スタイルを貫いている方々です。自分以外のことはどうでもいい、そんな感じ。

 しかしながら、田舎の人には多い傾向らしい。「血は水よりも濃い」をモットーにしています。わぉ残念。

 そのため、何よりも先に「〇〇家の」が前提になってくる。私は私の家の娘で、真っ先にそれが優先される社会的身分なのです。

 「家族だからそうなるんじゃないの?」と思われるかもしれない。まぁそう思いたいけれど、そんなシンプルに済むものではなかったり。

 娘だから、親の言うことは従うべき。親は子供に愛情を注ぎます、時間とお金をかけます、だから子供は親のことが絶対に好きです。

 その思いが強い。親のその思いが、子供の思いに一致するのならば、家族円満になっているのだと思う。円満な家族はどこかには存在していて、ずっとその関係性を保っている家族もある。

 私はそうはならない、というか。不一致があって、それを指摘しても「子供は親の愛情を理解しない」ということで、より深刻な不一致へと向かっている。それで不一致を指摘することもなくなって、もっと不一致へ。

 「親がこんなに愛しているのだから、子供は親のもの」、そこまできているようだ。長年の蓄積、なのかなぁ。

 そんなこんなで、私は個人として存在していない。あくまで、”娘”であって、それ以外の所属を持ち合わせていないものになっている。

 私は所属の前に、個人です。私は名前こそついているけれど、たとえ名前がなくても私という存在で「私」は成り立つ。名無しですけど、まぁよろしく、みたいな。

 正直私は苗字とか名前とか、本人が言いたくなければ言わなくていいと思っているし、「この名前で呼んで!」と言われたら、本名なんて知らなくてもいいと思ってます。

 あ、もしものことがあったら、保険証とか見るけどね!獲物探しは私上手だから!(笑)

 本人の情報を必要としないのなら、私はその人との時間でその人自身の情報を私の中で構築するし、別にそこに社会的な所属や身分がなくても良いわけです。

 私は極論を述べているかもしれない。しかしながら、私にとって個人とはそういうもの。正面から挑んでね!というスタンスですね(笑)

 私の個人とは何か、という論についてはここまで。とにかく、まとめると「〇〇さん家の人」とか「〇〇大学の人」「〇〇で働いている人」とか、どうでもいいわけです。

 さて、私は冒頭に人間宣言しないとまずい感じです~どーしましょーと書きました。ほんと、杞憂に終わればいいね。

 母親に言及するけれど、何をするにも「自分の意思に従うもの」だと思われているっぽい。私が彼女の買い物に付き合わなければ、「荷物は誰が運ぶ」「自分は重いの持てない」「ひとりで行かせる気?」などなど。文句に関しては「他の人には言えない」「家族だから聞くべき」「イライラしているのは同じ」「ストレス発散」などなど。

 それって、もはや人間じゃなくて良くない…?Pepper君でも買ってやろうか。いやむしろAlexaでもいいかもしれない。荷物はまぁ…Pepper君ならできるよ多分(笑)

 イライラするから娘にぶつける。拒否権はない。拒否したら不機嫌になる、自分は愛されないと言い出す、それかイライラの標的が娘になる。

 それって、なんでしょうね。人間への扱いなのかなぁ。「家族は大事」という言葉は、何の意味があるのだろう?

 人間宣言しなきゃね!とは思いつつ、きっと言っても意味はないと分かってはいますね。私。「人間だよ、娘だよ」とか言われた暁には、私は自分の部屋の壁を殴りつくすかもしれない。それかソフトに部屋中でんぐり返ししているかもしれない。

 …あ、お伝えし忘れましたが、私は特技:でんぐり返し、趣味:でんぐり返し、しばしば側転に転向。です。私の人生にとって回転することは大切なのですよ。物心ついた頃から回ってますともぉぉ!!

 ふぅ、今晩は回るかな…また足ぶつけるかもだけど回ろう。ストレス蓄積量がオーバーしているからね。うん。

 人間宣言はしても意味がないかな。私が家族といるの嫌すぎて一人暮らしをしようと新卒で家を出たけど、そんな思いを全く認知せず毎日毎晩家に来て住み込んでいたからね…ははは…。

 しかしながら、「意味がない」「仕方がない」と諦め続けるのはよろしくない、私はそう思います。学習された無気力、これが一番危険。

 必ず、自分は幸せになれるし、自分が生きたい様に生きる道だってある。理想通りじゃなくても、「嫌だ、もう自分らしくない」と嘆き続ける日は避けられることはできる。私はそう信じています。道のりは険しいかもしれないし、誰よりも苦労していると感じるかもしれない。

 私はきっと人間宣言はしないだろう。でも心の中では「私は幸せな人間になってやるからなぁぁあ!!!」と雄たけびを上げ続けるのです、より一層。今はストレスなんてキャパオーバーするし、リビングにいるだけで嫌そうにされるし嫌な言葉言われるし、寝るための静かな環境すらないけれど。それでも、「反面教師、どうもありがとう」と最後にスマートに言って去れる様、心の余裕を持って生きたい。

 自分の心を守れるのって、結局は自分です。助けてくれる方もいる、でも自分の心は自分だけが見えるものです。自分でも見えなくなるけどね。大切にしてあげてね!

 さて、最後に余談。今日も「また姑が文句言ってくる!~とかありえない!」と朝からまぁお元気に文句を大声で言われたのですが、解決策を伝えつつ「はい、ブーメランですねーありえないのはどちら様!」と華麗に心の中でスタンディングオベーションしました。もう拍手喝采だよ。

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